イベント情報誌の出版からスタートしたぴあ。その後同社は、情報流通業、チケット取次、興行主催、エンタメ商社と業態を変えてきた。ぴあ 取締役 社長室長 広報・IR担当役員 兼 ぴあ総研 取締役論説委員の小林覚氏は「業態が変わるときには全てDXが関わっていた」と言う。

8月2日から18日に開催された「ビジネス・フォーラム事務局×TECH+ EXPO 2023 for Leader DX FRONTLINE ビジョンから逆算する経営戦略」に同氏が登壇。ぴあがこれまでに4度行ったというDXや、エンタテインメント業界が今後に向けて考えるべきことについて語った。

雑誌の自動編集から始まったDX

「ぴあ」が創刊されたのは1972年のこと。映画やコンサートの情報だけを並べた情報誌を手探りでつくった。イベントの良し悪しではなく、5W1Hの一次情報だけを客観的に伝え、目立たない自主製作の作品も取り上げた。

いつもは読者の立場であっても、掲載希望を出せば自分の主催するイベントを載せてもらえる。こうした誰も取り残さない発想は現在のSDGsに近いものだったし、情報の送り手と受け手がインタラクティブに入れ替わるところは、「現在のインターネットと共通する世界観だった」と小林氏は言う。

また一次情報だけを平等、客観的、網羅的に掲載し、アーティスト名や会場名、日時などから検索可能にした点は、アナログ時代の検索ポータルとも言えるものだった。「時代の先端のところで新しいことを始めていた」と同氏は当時を振り返った。

ぴあの1度目のDXは、1980年、コンピュータによるイベント情報の自動編集を開始したことだ。

その目的は省力化ではなかった。定型的なテキスト情報であれば、写植より自動編集の方が速いため、締切ぎりぎりまで情報を受け付けて掲載するために採用したのだ。この最初の本格的なDXが、次の情報流通業への端緒となったと小林氏は述べた。

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