弊誌で動向を追っている”サイボーグ昆虫”の第一人者、佐藤裕崇博士が、新たな研究に挑んでいる。現在はシンガポール南洋理工大学に籍を置き、シンガポール国家の支援を受けながらサイボーグ昆虫の実用化に向けた研究を進めているところだ。

本稿では、「サイボーグ昆虫を実用化する段階に入った」と語る佐藤氏のインタビューからサイボーグ昆虫研究の現在地をお伝えする。

  • シンガポール南洋理工大学 佐藤裕崇教授

ロボット技術が発展する時代になぜ昆虫を動かすのか

佐藤氏がサイボーグ昆虫の実用化を目指す理由は、災害での救助活動を支援するためだ。がれきの下など、人間や救助犬では入れないごく狭い場所に昆虫が潜り込むことを見据えている。

かつては大型カナブンなどを活用して昆虫の飛行を制御する研究をしていたものの、「今の災害救助で必要なのは歩く探索機」と佐藤氏が語るように、さまざまな技術の進化を踏まえて研究をピボットした。

現在は、マダガスカルオオゴキブリの力を借りて、昆虫を歩行させることに注力しているという。その理由としては、空中ドローンの活用が一般的になったことや救助犬の嗅覚で外部からの位置がおおよそつかめるため。昆虫には、外からは判断しづらい深層部分に入り込んで、要救助者を発見する役割が求められる。

佐藤氏はレスキュー部隊との連携の中で、災害救助支援ロボットの実用化にもっとも必要な3つの条件を挙げた。1つ目は「小型であること」、2つ目は「一回に8時間以上稼働できること」。3つ目は「障害物を避けて自律的に航行できること」、1つ目は通常の人工のロボットがクリアできているが、現状では2つ目、3つ目はサイボーグ昆虫だからこそ成しえるものだと佐藤氏は語った。

災害現場でのがれきの内部の探索には、小型探索ロボットの活用も考えられる。しかし、小型化したロボットでは、積める電池も小さくなる。その電池を移動の動力に使ってしまうと稼働時間を確保できない。佐藤氏が「小型ロボットは脚や車輪を動かすために必要なエネルギーがとても高く、小型の電池では数分しか駆動できません」と語るように、小型ロボットは非常に厳しい課題を抱えている。

対して、生物であるマダガスカルオオゴキブリを活用する場合、移動に電力が必要ない。限られた電池のエネルギーのほとんどを、人体検知のためのセンサーや無線通信に充てられることがサイボーグ昆虫の強みだ。

昆虫の習性を航行に利用し、AIにより人体の判別も可能に

マダガスカルオオゴキブリを操るには、バックパックと呼ばれる小型装置を取り付ける。この装置は電池を含めて5グラムほどで、大型種であるマダガスカルオオゴキブリにとっては負担が少ないという。

障害物を避けて航行するのに、昆虫の習性を組み込んだプログラムがバックパックにインストールされている。例えば、歩行する昆虫は、障害物や壁を検知すると減速する習性がある。この“減速”情報をバックパックに搭載した加速度センサーで収集する。その情報がコンピューターで処理され、昆虫が障害物に出会ったことを確率的に判断できるのだ。そして、障害物に出会ったと判断した場合、歩行の制御を一時的に解除して、昆虫自身に障害物を回避させることが可能だ。(参考文献)。

また、最近の研究の成果として、人体を高精度で検知できるようになった。バックパックには小型のサーモグラフィカメラも積んでおり、その撮影画像を使って人体判定用AIモデルを開発している。このモデルを使うことで、PCや家電製品などの熱を持った物体には反応せず、人体だけを検知できるようになった。

画像1枚あたりおよそ89%の正確さで人体を判定することができる。昆虫が歩行している間に、異なる距離・角度で複数の撮影がされるため、結果として人体検出の精度はさらに向上し、ほぼ間違うことなく人を見つけることができる(参考文献)。

なお、学習済みのAIモデルは昆虫のバックパックに搭載した小型コンピューターで動作し、人体と判定した場合にのみ通信処理を行い、その位置データを基地局(レスキュー部隊)に送るよう設計されている。通信回数と通信データ量を最小限に抑えることで、通信に関わる消費電力を抑えることができ、長時間稼働を実現している。

  • バックパックは触覚に電気信号を流すメカニズムだ

「他者を助けるスピリットがある」シンガポール政府と連携

現在シンガポール南洋理工大学で研究を行う佐藤氏は、レスキュー部隊とも連携したうえでサイボーグ昆虫をレスキュー活動へ配備することを目指している。

シンガポールの内務省傘下にあるホームチーム科学技術庁(Home Team Science & Technology Agency、以下:HTX)が佐藤氏の研究をサポートしている。また、シンガポールの企業からも支援を受けており、同社とHTX、佐藤氏の研究チームが連携して災害救助技術の開発に取り組んでいる。

「2011年の東日本大震災の時、最初に日本に駆け付けてレスキュー活動を行った国はシンガポールでした。シンガポールでは台風や地震などの災害がほとんど起こりません。それにも関わらず、シンガポールは災害から人を救う技術を開発するHTXが設立されており、多数のプロジェクトが行われています。日本の色々な技術が世界中で人を救っているように、シンガポールも他国を救う強いスピリットをもっています。我々もサイボーグ昆虫が人を救う技術になるようにしています」(佐藤氏)

また、佐藤氏は日本国内の研究者とも連携を積極的に進めているという。日本では台風や地震など災害が多く、研究者や技術者自身も様々な状況に応じた救助活動を経験しているケースが多い。そのため、災害現場で必要になるリテラシーを備えているのだ。昆虫サイボーグは小型であるため、センサーやカメラを積むスペースが小さく、災害の種類や規模に応じて必要な機能をよく見定め、小型で性能の高いものを選ばなくてはならない。

「日本の研究者、技術者の方々と共同で開発しているデバイス・システムがあります。それらを適宜サイボーグ昆虫のバックパックに搭載して、実用化を目指しています」(佐藤氏)

批判があっても全力で実用化を目指す

日本と同様に多くの国でゴキブリの印象は良いものではない。サイボーグ昆虫の研究を進めるにあたっては、「ゴキブリにまで命を救ってほしくない」という意見や「遊び半分でやっているのではないか」との批判を受けることも少なくないという。しかし、佐藤氏はこう話す。

「興味本位で昆虫を使っているのではありません。昆虫を使う理由があり、早くに実用化して人を救う技術になることを目指しています。人工の小型ロボットの開発を否定している訳では決してありません。50年すれば人工のロボットで様々なブレイクスルーが起きて、実用化されるはずです。ただ、世界中で災害が多発している中、人工の小型ロボットが成熟するのを待つだけではなく、昆虫を使った捜索ロボットをもう1つの救助方法として、早くに実用化できた方を使うという戦略が大切だと考えています。生き物を使うことに抵抗はありますし、非難を受けることもあります。ですが、マウスやモルモットなどの生き物が扱われている医療研究で病気の苦しみから人を救うことが目的であること同様に、我々も災害の不安や悲しみから人を救う目的で開発を進めています。研究所の学生・スタッフも私もとても真剣に研究に取り組んでいます」(佐藤氏)

現在、サイボーグ昆虫の研究は実践段階へ進んでいるとのこと。レスキュー部隊の訓練施設に設けられている災害模擬現場で実地テストを行っている。佐藤氏の研究で誰かの命を救う未来が、徐々に近づいている。

  • 佐藤氏はサイボーグ昆虫の実用化へ尽力している

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シンガポール南洋理工大学 佐藤氏の研究室

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