慶應義塾大学(慶大)と金沢大学(金大)の両者は6月9日、細胞集団の運動を記述する独自の力学モデル(シミュレーション技術)を開発し、細胞集団が立体的な培養面から剥がれ、大規模な変形を引き起こす仕組みを解明したことを発表した。
同成果は、慶大 理工学部の山下忠紘専任講師、金大 ナノ生命科学研究所の奥田覚准教授、慶大理工学部の須藤亮教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、生体材料科学に関する分野全般を扱う学術誌「Acta Biomaterialia」に掲載された。
人体を構成する細胞は、隣り合う細胞や細胞外基質を引っ張る性質を持つ。この牽引力は、人体の恒常性の維持、たとえば傷口をふさぐ際の大きな助けとなることなどが知られている。また、このような細胞が持つ力は、再生医療の世界でも利用されている。具体例としては、培養された細胞をプラスチック製の皿からシート状にうまく剥離させるような場合が挙げられる。
しかし、近年研究が進んでいる3Dプリンタなどの技術を使って、複雑な形状を持つ人工素材を加工してその上で細胞を培養し、リアルな臓器を作ろうとする研究では、その細胞の力がマイナスに働いてしまうという。精密に加工された培養基材から細胞が剥がれて凝集することがしばしば起きてしまうのだ。
再生医療として、リアルな臓器を作るための素材を効率的にデザインするためには、立体面に培養された細胞が、なぜ自発的に剥がれてしまうのかを理解する必要がある。そこで研究チームは今回、細胞培養実験と力学シミュレーションを組み合わせて、細胞が立体面から剥がれる仕組みを明らかにしたという。
今回の研究のため、研究チームは、細胞集団の変形や破断を予測する力学シミュレーション技術を開発した。同技術によって描き出された細胞の剥離・凝集挙動は、同じ形の立体面で実際に培養された細胞の様子をよく再現し、その仕組みを予測できるようになったとする。さらに、同シミュレーション技術を使って仮想的な実験を行うことで、細胞が発揮する牽引力が、連鎖的な剥がれを生み出す力学的な仕組みを解明することに成功したという。
多数の細胞は、マイクロ構造体の表面を覆った後、それぞれの細胞が発する牽引力が一部に集中することで、細胞と足場の接着が壊されることが解明され、さらに、細胞集団が変形することで応力集中が連鎖的に進行し、破断や凝集といった細胞集団の大規模な変形現象が引き起こされることも明らかになった。それに加え、同シミュレーション技術を用いることで、角張った凹凸を持つ星形基板など、複雑な立体面から剥がれる細胞の形態を再現することにも成功したとする。
今回開発されたシミュレーション技術や、それを使って解明された細胞の剥がれ現象の原理は、3Dプリンティングなどの技術を用いた再生医療における細胞培養容器の設計・加工技術が発展するための基盤となることが期待されるという。今後は、細胞の増殖や細胞外基質の産生といった、生物学的な振る舞いを粒子ベース力学モデルに取り込み、人工環境で培養された細胞集団の動態を予測する発展的な数値計算手法の開発を目指すとしている。
また研究チームでは、将来的に今回のような手法を発展させることで、「細胞集団がどのような形態を取り、どのような性質を示すか」をある程度の確度をもって予測し、再生医療の基材を効率よくデザインすることができるようになることを考えているといい、このような試みを通じて、人々の健康増進や、健やかな暮らしの実現に貢献することを目指すとした。