「一つのことを成し遂げた。次の人のため、身を引きたい」。宇宙飛行士の野口聡一さん(57)が宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職するとして25日、都内で会見した。6月1日をもって退職する。今後は研究機関での活動や宇宙事業への助言のほか、総合知を備えた人材育成教育に注力する意向を示した。
野口さんは会見の冒頭、老子の言葉「功遂げ身退くは、天の道なり」に触れた。昨年5月に自身3回目の飛行を無事に終えたのを機に、「後輩飛行士や、新たに選抜される新人に道を譲るべきだと考えた」と、退職を決めた経緯を明らかにした。
さらに「厳しい民間の世界でもう一度、揉まれたい。今の年齢からもう一つ、新しい場面を作って頑張りたい」「JAXAは才能が豊富。私は残るより、わりとフリーな立場でいろいろな方に助言し、一緒に物を作る方が日本全体ではプラスになる」「組織にがっちり守られるより、ここら辺でフリーな立場もいいかな」などと、思いを語った。
活動の軸の一つに挙げた総合知をめぐっては「狭い言い方をすると、専門教育にとらわれず、いろいろな分野に興味を持ち、総合的に理解し、ウィズダム(知恵)へと消化していく試み。(自身が特任教授として)大学でやっている『当事者研究』も、これにつながっていくことだ」と説明。「宇宙で『この先には死しかない』という世界を何度か見た体験は、大きな収穫になった。体験が人の内面世界に与える影響を、研究として深めていきたい」とした。
これまでの飛行士人生で最も辛かったこととして、2003年の米スペースシャトル「コロンビア」の空中分解事故に言及。「そこから私の使命はずっと、あの亡くなった7人が見た景色と、伝えたかったことを伝えていくことだった。そのために、宇宙にはいろいろな死の危険があるが、何が何でも帰還すると考えてきた。コロンビアのことは忘れないが、彼らの遺志を継ぐことは後輩につないでいいのではと思った」とした。
再び宇宙に向かう可能性を問われると「国の政策としてではなく、民間人の立場で行く可能性はある。(地球の近くを回る)低軌道は民間主体になっていく。そこに私も水先案内人というところで、活動が続けば」と、意欲をにじませた。
野口さんは1965年、横浜市生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、石川島播磨重工業(現IHI)を経て96年に宇宙飛行士候補者に選定された。
サンタクロース姿でISSに到着。多彩に活躍してきた野口さんだが、最も印象に残る一枚はこれかもしれない=2009年12月(JAXA、NASA提供)
これまでに3回の飛行を経験。2005年、コロンビア事故後のシャトル初飛行に搭乗した。この時の3回の船外活動でリーダーとして、事故の一因となったシャトル耐熱タイルの補修試験などを実施した。09~10年には日本人では初めてロシアの宇宙船「ソユーズ」でISSと地上の間を往復。14~16年、飛行士の国際団体「宇宙探検家協会」会長を務めた。20年、東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了した。
20年11月~昨年5月には、米国の宇宙船「クルードラゴン」本格運用1号機に搭乗。ISSで各種の実験、船外活動などを行った。シャトルとソユーズ、クルードラゴンの3機種全てに搭乗したのは、野口さんが史上初となった。昨年12月に東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任した。
野口さんの退職により、JAXAの現役飛行士は6人となる。JAXAは新たな飛行士を選抜中で、4127人の応募者から4月、2266人が書類選抜に合格している。
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