東京大学(東大)と杏林大学は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染後のシリアンゴールデンハムスターの嗅上皮と脳の組織を解析し、嗅上皮での嗅神経細胞と炎症細胞、脳での炎症細胞やシナプスの形態変化を明らかにしたと発表した。
同成果は、米・テキサス大学 医学部ガルベストン校 病理学の岸本めぐみリサーチアソシエイト(現・東大 医学部附属病院(東大病院)耳鼻咽喉科・頭頸部外科 医師)、同・ガルベストン校 耳鼻咽喉科の浦田真次博士研究員(現・東大病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 助教)、東大大学院 医学系研究科 外科学専攻 耳鼻咽喉科学・頭頸部外科学の近藤健二准教授(東大医学部 附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科兼任)、同・山岨達也教授(同・兼任)、杏林大 保健学部 臨床検査技術学科の石井さなえ准教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」に掲載された。
新型コロナに感染すると、嗅覚障害のほか、認知機能の低下や強い倦怠感の持続や頭がボーっとする、といった“Brain fog(ブレインフォグ)”などの中枢神経症状も報告されているが、それらの原因については、良く分かっておらず、完治するのか、嗅覚障害との関連はあるのか、などについて明らかにすることが求められている。そこで研究チームは今回、新型コロナ感染後42日までのシリアンゴールデンハムスターの嗅上皮と脳の組織解析を行うことにしたという。
嗅覚受容体の先行研究で傷害の残存していた嗅上皮の背内側は、嗅上皮と嗅球で対応した層構造(Zone1から4)のうち、Zone1の部位と酷似していたため、嗅上皮障害の部位をより正確に評価するため、Zone1に特異的に発現するタンパク質(NQO1)が存在する部位での成熟嗅神経細胞の評価が行われたところ、感染後42日の嗅上皮は鼻腔の全領域で正常厚まで改善しているにもかかわらず、Zone1における正常嗅神経細胞数は少ないままであることが確認されたほか、同部位の粘膜固有層のマクロファージは感染直後から42日まで持続して活性化したであることも確認されたという。
これらの結果から「新型コロナ感染後の中枢神経症状は嗅覚入力の減少によるものである」という仮説を立て、嗅覚に関わる嗅球と嗅皮質、記憶に関わる海馬での神経細胞、グリア細胞の形態解析が行われたところ、炎症細胞であるミクログリアが新型コロナ感染後17日でも活性化していたことが確認され、新型コロナ感染によって脳に起こる免疫応答は、単純な二本鎖RNA刺激による気道炎症に伴うものとは異なる可能性が示唆されたとするほか、鼻腔内の長期にわたる炎症が嗅球を萎縮させることが知られていたため、非感染群と感染群での嗅球の重量が比較されたが差はなかったとする。
また、嗅上皮(Zone1)での成熟嗅神経細胞の減少が嗅球のシナプス形成にどのような影響を与えているのかの検証から、感染後42日での嗅球糸球体における成熟嗅神経細胞の軸索の密度が減少していることが判明したほか、嗅上皮傷害の残存の有無に関わらず、嗅球全体での糸球体サイズが縮小していたことが判明。これらの結果は、新型コロナ感染は嗅球でのシナプス前部に加えて後部にも影響を与えている可能性が示唆するものだとする。
さらに、嗅覚情報処理の高次脳である嗅皮質と記憶に関連した海馬でグリア細胞の活性の解析から新型コロナ感染による嗅皮質のミクログリアの活性化は確認できなかったが、嗅皮質軟膜に存在するマクロファージは嗅球と同様に感染後17日まで活性化が認められたとするほか、嗅皮質におけるアストロサイトは、感染後42日まで活性化している可能性が見出されたという。
加えて、嗅覚と関連した海馬のCA1の尖端領域では基底領域と比べて、ミクログリア、アストロサイトの活性化が長期にわたり持続していたほか、同部位での樹状突起スパイン密度が減少していることも判明。スパインの構造は記憶や学習において変化し、また自閉症スペクトラム症、統合失調症、アルツハイマー病患者においてもスパインの形態や密度の変化が報告されている。
なお、研究チームでは今回の研究成果について、新型コロナ感染症モデルを用いた動物実験であるため、ヒトの臨床症状と一致するかは不明だとしつつも、従来のウイルス・細菌の鼻腔感染の所見とは異なる点が多く見受けられたとしている。また、先行研究と今回の結果を合わせて考えると、新型コロナの感染は匂い物質の変容(しきい値の変化、感じ方の変化)や嗅覚に関連した認知機能や記憶に影響を与える可能性があるともしている。そのため、今回の研究成果は、新型コロナ感染による嗅覚障害や中枢神経症状の病態解明だけでなく、治療シーズ開発を加速させることも期待されるとしている。