安否確認サービスやkintoneの連携機能などを提供するトヨクモは、2010年8月、サイボウズの100%子会社「サイボウズスタートアップス」として設立された。もともと、サイボウズの海外進出の足掛かりをつくるために設立されたという。

社長の山本裕次氏は大学卒業後、証券会社で営業をしていたが、社会人10年目である2000年4月にサイボウズに入社する。

畑違いのIT業界に転職した理由を山本氏は「私自身、大学は理系だったので、大学でコンピュータは使っていました。転職した2000年ごろは、インターネットが家庭にも入り始めた頃で、卒業後入社した野村証券の中にもイントラネットができていました。そのため、これからはインターネットでいろいろなことができるようになると感じていました。そんなとき、野村証券の同期からサイボウズの社長を紹介され(野村証券はサイボウズの主幹事)、それが入社のきっかけでした」と説明する。

  • トヨクモ 代表取締役社長 山本裕次氏

山本裕次氏略歴
1990年03月 関西大学 工学部 管理工学科 卒業
1990年04月 野村證券株式会社 入社(2000年01月退社)
2000年01月 ドレスナー クラインオート ベンソン証券会社 入社(2000年03月退社)
2000年04月 サイボウズ株式会社 入社(2014年3月退社)
2001年02月 サイボウズネットワークス株式会社 代表取締役社長 就任(2003年4月清算)
2002年04月 サイボウズ株式会社 取締役 就任(2005年3月退任)
2005年04月 執行役員 就任(2014年3月退任)
2009年02月 才望子信息技術(上海) 有限公司 董事長 就任(2010年8月退任)
2010年08月 サイボウズスタートアップス株式会社 代表取締役社長 就任
2019年07月 トヨクモ株式会社 代表取締役社長(現任)

入社当時のサイボウズは従業員が20名くらいで、ちょうど東京移転(当時は大阪が本社)を考えていた時期だったという。山本氏は入社後、その手伝いをしながら、中小企業向けにグループウェアを導入する責任者やサイボウズの代理店網構築の責任者をやりながら、中国や米国などの海外進出の立ち上げをやっていたという。

ただ、海外とのグループウェアに対する認識には違いがあり、とくに自分のスケジュールを他人に見られることには抵抗があったという。

「このままの製品では海外では通用しないと思いました。そのため、海外進出するために新たな製品をつくらせてほしいと会社に提案して、サイボウズスタートアップスを設立しました」(山本氏)

社内の事業部ではなく別会社にしたのは、社内調整が不要で、意思決定を迅速に行えることが理由だったという。

「サイボウズの人間は一人もいりません。自分で採用もすべてやるので、自由にさせてください。そう言って、2010年8月に新会社を設立しました。キーワードはクラウド、携帯、グローバルでした」(山本氏)

サイボウズスタートアップス設立時、社員は山本社長とエンジニアの2名。あと、アルバイトが数名いたという。事務所はサイボウズのオフィス内ではなく、マンションの一室を借りた。より、自由度を高めるための選択だった。

最初に開発した製品は、スマートフォン用アプリケーション「DrCrop(ドクタークロップ)」。これは、たくさんのパーツから手軽に合成写真を作成し、共有する写真サービス。サイボウズのグループウェアとは、関連性はない。

「サイボウズの延長線上で海外進出すると時間がかかると思いました。ゼロから足掛かりをつくろうと思い、言語に関係のない写真にしました」(山本氏)

そして、2011年4月からDrCropの米国提供開始を予定していたが、その直前に東日本大震災が発生した。

「東日本大震災が発生し、日本でクラウドビジネスが立ち上がろうとしていました。それまではオンプレミスが中心でしたが、これ以降、一気にクラウドにシフトしていく予感がありました」(山本氏)

山本氏は、日本のクラウドビジネスに興味を持ちながらも、目前の米国進出に注力したという。

「青野社長(サイボウズ)には、3カ月時間をくださいといって、米国でプロモーション活動をしていました。成功する感じもありましたが、日本でクラウドビジネスをやっていくほうが、確率は高いと思いました」(山本氏)

山本氏は、米国ではプロモーション費用をかなりかけないと、成功は難しいと感じたという。

そこで、山本氏は2011月8月から、サイボウズスタートアップスを日本でクラウドサービスを提供する会社に変更した。

「いま考えると、クラウドにシフトするにはいいタイミングだったと思います」(山本氏)

当時は、サービスを数多く立あげることにコミットしていたという。とくに2013年、2014年は数多くのサービスをリリースした。

「たくさんサービスを出していけば、売りやすいものが見えてくるので、それに注力すればいいと思っていました。売れればそのサービスを続け、売れなければやめようという感覚でした」(山本氏)

【トヨクモがこれまでリリース(終了)したサービス】
2011年4月 スマホ向け合成写真サービス「DrCrop」をリリース
2011年11月 「DrCrop」のサービス提供を終了
2011年12月 「安否確認サービス」をリリース
2012年2月 スマートフォンで行なう「営業報告サービス」をリリース
2012年3月 ソーシャルタスク管理「ToDous」をリリース
2012年7月 サイボウズkintone連携サービス「フォームクリエイター」をリリース
2012年9月 スマートフォン対応の「面接支援サービス」をリリース
2013年1月 従業員スマートフォンを管理する「BYODサービス」をリリース
2013年5月 Android端末を業務専用器にする「専用端末化サービス」をリリース
2013年12月 Cloudサービスのアカウント管理を行なう「Cloudum」をリリース
2014年6月 スマホで行う「デジタルサイネージ」をリリース
2014年6月 サイボウズkintone連携サービス「プリントクリエイター」をリリース
2014年6月 「BYODサービス」のサービス提供を終了
2014年8月 「Cloudum」のサービス提供を終了
2014年9月 サイボウズkintone連携サービス「kViewer」をリリース
2014年11月 サイボウズkintone連携サービス「kBackup」をリリース
2014年12月 「営業報告サービス」のサービス提供を終了
2015年3月 「デジタルサイネージ」のサービス提供を終了
2015年3月 「専用端末化サービス」のサービス提供を終了
2016年2月 「面接支援サービス」のサービス提供を終了】
2016年3月 サイボウズkintone連携サービス「タイムスタンプ」をリリース
2017年7月 サイボウズkintone連携サービス「フォームブリッジ」をリリース
2018年1月 サイボウズkintone連携サービス「kMailer」をリリース
2020年3月 サイボウズkintone連携サービス「データコレクト」をリリース
2020年6月 サイボウズkintone連携サービス「フォームクリエイター」のサービス提供を終了
2021年6月 サイボウズkintone連携サービス「タイムスタンプ」のサービス提供を終了
2021年11月 「トヨクモ スケジューラー」をリリース

どういったサービスを開発するかという点については、それほど深く考えていなかったという。

「『採用面接って面倒だなあ。3分くらいの動画があれば、それで判断できるのに。それじゃ、これをアプリにするか』そんな感じでした。自分がほしいと思うものをどんどん作っていきました」

その当時は月200万円の売上に対してコストが700万円。毎月500万円くらいの赤字が出ていたという。そこで、自分の給料を削るなどのコストカットを実施して、赤字を300万円くらいに圧縮。ただ山本氏は、サブスクリプションビジネスだっため、契約者が増えれば、いずれ黒字化するだろうと思っていたという。

赤字が続く中、同社は2014年、経営陣によるMBO(Management Buyout)を実施し、サイボウズから70%の株式を取得する。資本金が赤字により半分近くまで減っていたため、増資する必要があったためだ。

「当時、サイボウズはKintoneビジネスに注力していたため、増資は認めてもらえませんでした。サイボウズからは、会社に戻ってKintoneのビジネスを一緒やりませんかといわれていましたが、お断りしました。契約者が徐々に増えており、2年がんばれば黒字化できると思い、MBOを選択しました」(山本氏)

当時の売上の中心は、現在の主力製品である「安否確認サービス」。また、Kintone連携サービスも徐々に拡大していった。安否確認は東日本大震災後で、説明する必要がない非常にわかりやすいサービスで、それが売りやすさにつながっていたという。

「2014年くらいからは、KintoneのAPIも揃ってきたので、安否確認サービス以外は販売をやめ、Kintone連携サービスに注力していきました。社名がサイボウズスタートアップスだったので、売りやすい面もありました」(山本氏)

毎月の契約者数の増加ペースから、当初はMBOから2年くらいでの黒字化を想定したが、実際は1年程度で達成した。売上が伸びていないサービス提供を中止し、安否確認サービスに集中した点と、Kintone連携サービスの伸びが要因だったという。

黒字化した当時でも社員は6名程度で、ほかに開発とデザインを担当するアルバイトが10名ほどいたという。

同社の営業活動は、顧客からの問い合わせを待つというスタイル。サイボウスにも営業協力は依頼しなかったという。

「無理な営業を行うとサポートなどのコストがかかりますので、一気にシェア拡大は狙わず、粛々と売っていきました。ネットで調べるお客様向けに、細かな仕様まで情報公開しています。営業マンから聞く情報と、ネットで得られる情報では安心感が違うと思います。競合は真似されないように情報を公開していませんが、うちは真似されても、費用を安くするという覚悟があります。時間はかかりますが、問い合わせていただいたお客様の5割には買っていただいています」(山本氏)

その後も売上は順調に伸び、2019年、社名を「トヨクモ」に変更する。上場を見据えており、そのために社名変更が必要だったという。

社名には、「雲を創り出し、人々に恵みの雨をもたらしたトヨクモノノカミのように、全世界にクラウド(雲)を広げたい」という意味が込められている。

そして2020年9月。同社は東京証券取引所 マザーズ市場への上場を果たす。山本氏は2017年あたりには、上場を意識していたという。目的は知名度向上だ。

「まだ上場の効果ははっきりとはわかりませんが、私はあると思っています。社名を知る機会は増えていますし、従業員が1万人を超えるような大きな企業さんから契約をいただけるケースも増えていますので、信頼度が向上しているのではないかと思います」(山本氏)

会社規模が大きくなった現在でも、同社の営業スタイルは問い合わせを待つというスタイルだ。

山本氏に、MBOからの6、7年で、ターニングポイントはあったのかと尋ねると、「安否確認で言えば、契約者数が100社を超えたタイミングくらいで大きく伸びはじめ、500社を超えたところで、さらに伸びています。それぞれのポイントで信頼度が増しているのだと思います。『それだけのユーザーが使っていれば、大丈夫だ』という安心感があるのだと思います。それによって、大きな会社さんからの問い合わせも増えていきました」(山本氏)

サービスをスクラップ&ビルドする中では、サービスを止めるタイミングは難しい。このあたりについて山本氏は「もう少し頑張れば、何とかなるのではないかと、つい思ってしまいますが、自分たちのビジネスモデルに合うか合わないかというのはあると思います。社内ではある売上金額に達するまでの日数を逆算しながら議論します。あと、サポートに専門知識が必要なのかも考えています」(山本氏)

今後の目標として、サイボウズを超えるような大きな企業にしたいという思いはあるか尋ねると山本氏は、「そういうのはあります。サイボウズを超えるというような具体的なものはありませんが、すごくきれいな会社にしたいと思います。きれいというのは、キーエンスのようにすごく利益率が高く、効率的で、社員の給料も高い。そういう会社をつくりたいと思っています。社員は楽に仕事ができ、クリエイティブで、知恵を出し合いながら仕事をする中で、生産性が高い会社にして、世界に出ていきたいと思います」(山本氏)

そういう会社にするためにどういう社員を採用したいかと聞くと、「常に疑問をもち、すぐに質問してくるような人が好きです。疑問を持たずに、そのまま受入れるようでは、会社がは良くならないと思います。なぜそれが必要なのか、ロジカルに納得してやっていける人が未来をつくれると思います」(山本氏)

そして最後に、スタートアップ企業の先輩として、企業を立ち上げようとしている人にアドバイスするとしたらどんなアドバイスを行うのか聞いたところ、「まず、やってみたほうがいいと思います。やることで、必要なことも見えきますし、経営はその都度考えていけばいいと思います。やらないと何も始まりませんし、問題も見えません。想定問答集をつくってやっていくことも多少は必要ですが、予想していない問題が出てくるのは同然ですので、『それは考えていませんでしたね』でいいと思っています。自分がワクワクして、楽しんでやれそうなテーマを見つけたのであれば、やってみればいいと思います」(山本氏)