科学技術振興機構(JST)は12月16日、ピアニストの心理的な緊張による技能の低下を予防するトレーニング法を発見したと発表した。
同成果は、ソニーコンピュータサイエンス研究所 シニアリサーチャーの古屋晋一博士、関西学院大学 工学部/感性価値創造インスティテュートの長田典子教授/所長、同・大学院修了の石丸怜子氏らの共同研究チームによるもの。また研究は、JST戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の研究領域「人間と情報環境の共生インタラクション基盤技術の創出と展開」の研究課題「技能獲得メカニズムの原理解明および獲得支援システムへの展開」として行われた。詳細は、英科学誌「Nature」系の生物科学を題材としたオープンアクセスジャーナル「Communications Biology」に掲載された。
大勢の人の前でのプレゼンや受験など、心理的な緊張を伴う場面では、普段なら起こり得ないようなミスをしてしまうことがあることが分かっており、それはプロでも同様で、どうすればそうしたプレッシャーに打ち勝つことができるのか、といったことの解明が求められていた。
これまでの研究から、緊張により技能の喪失が起きてしまう背景には、注意や記憶といった認知機能や自律神経機能に異常が生じることが関わっていると報告されているものの、緊張に伴う感覚や運動機能の異常の詳細についてはよくわかっていなかったという。また、それを回避するための方法も、「ひたすら練習する」、「プレッシャーに負けない強い心を養う」など、具体的なトレーニング方法とまでは言えない段階にとどまっていた。
研究チームはこれまでの研究にて、ピアノの演奏中においてリズムのエラーを聴いた直後に、音楽訓練未経験者だと演奏が乱されてしまう一方で、ピアニストは頑健に演奏を遂行し続けられることを発見していたが、その一方で、緊張に伴い、この技能にも異常が生じ、熟練ピアニストであっても音楽訓練未経験者のような状態になる可能性も示されたともしており、その真偽は不明のままであったという。
そこで研究チームは今回、ピアノの発音のタイミングやピッチ、音量を任意に操作できる「可変聴覚フィードバックシステム」を用いて、人為的に発音のタイミングを遅らせることで、それに対する手指の動きの反応を評価することで、演奏時の指の運動が、聴覚から得られる情報の影響をどの程度受けるかを調べることにしたという。
具体的には、規定のテンポでピアノを演奏中に、予想できない箇所で発音のタイミングを80ミリ秒ほど人為的に遅らせることで、その後の演奏がどの程度乱されるかを調査。その結果、緊張を伴う演奏時のみ、遅延聴覚フィードバックの提示による打鍵タイミングの正確性に関して、有意な低下が見られたとした(p<0.05)。これは、緊張を伴わない場面での音楽訓練未経験者と同様の反応だという。このことから、緊張に伴い、聴覚へのリズムのエラー情報に対して、過度に身体動作が反応してしまう異常が生じることが示唆されたという。
一方、二音を連続して提示し、その音間の時間間隔を識別する聴覚機能や、各指を最速で動かす際の運動の速度や正確性といった運動機能は、心理的な緊張に伴う変化は認められなかったという。
また、心理的な緊張下での演奏を行う前に、可変聴覚フィードバックシステムを用いたトレーニングを、ピアノの演奏中における発音タイミングの遅延を無視して練習するグループ(遅延無視群)と、発音の人為的な遅延を打ち消すように通常より早いタイミングで打鍵する練習を行うグループ(遅延適応群)に分けて実施(トレーニングを行わないグループ(統制群(安静))も用意)。
トレーニング後、緊張下での遅延聴覚フィードバックの提示による演奏の乱れ(打鍵タイミングのエラー)を調べたところ、遅延無視群のピアニストのみ、演奏の乱れが見られなかったことが確認されたという。
これはピアニストが緊張下においても、聴覚からのリズムのエラー情報に対して過剰に手指動作が反応しないよう、聴覚と運動を統合する機能がトレーニングによって正常化したことを示唆していると研究チームでは説明する。
なお、今回の成果について研究チームでは、心理的な緊張下で最適なパフォーマンスを発揮するための新しいトレーニング理論やトレーニングシステムの開発、アガリやイップスといった問題の背後にある、脳と心と身体のメカニズムの解明などに役立つことが期待されるとしている。