神戸大学は12月7日、大人だけでなく、小学生においても、あえて何もいわない「不作為の嘘」は、偽の情報を伝える「作為の嘘」よりも道徳的に甘く判断してしまう傾向が強いことを明らかにしたと発表した。

同成果は、神戸大大学院 人間発達環境学研究科の林創教授らの研究チームによるもの。詳細は、子どもの発達を扱う学術誌「Journal of Experimental Child Psychology」に掲載された。

誰でも少なからず何かしらの嘘をついたことがあり、身近な社会的行動として知られている。それは大人に限らず、子供も同様で、親や先生に悪事を怒られることを避けるために嘘をつくといった行動をとることなどがある。

こうした嘘は行為の形態によって、2つのタイプに分けられるという。1つは、「事実と違うことを相手に伝える」ことで欺くもので、こうしたタイプは積極的な発言を伴う「作為による嘘(lies of commission)」と呼ばれる。もう1つは、事実を知っているのに「あえて何もいわない」ことで欺くというもので、こちらは「不作為の嘘(lies of omission)」と呼ばれる。

人間は物事を、常に正しく客観的かつ合理的に判断できるわけではなく、考え方の特定の偏りや思い込み、参照した情報が偏っていることによる不正確な認識など、さまざまな「認知バイアス」によって歪みが生じてしまうことが知られている。作為と不作為についても同様で、ヒトは作為による悪いことを、不作為による悪いことよりもネガティブに判断する(不作為の方が悪くないとする)傾向があるとされる。

積極的に嘘をつくよりも、黙っているだけなら嘘をついたわけではない、という風に思うことといったことが当てはまり、これは「不作為バイアス」と呼ばれており、「他者の大切なものを突き落として壊す」(作為)と、「他者の大切なものが落下しそうな状況に気がつきながらもあえて支えない(その結果、落下して壊れる)」(不作為)というように、「何かをする/何もしない」という「行動の有無」に対し、主として焦点を当てられた研究から明らかになったことだという。

研究チームは今回、「発言の有無」に焦点を絞り、作為の嘘と不作為の嘘の道徳的判断においても不作為バイアスが生じるのかどうか、さらに年齢や状況によって、バイアスの程度に差があるのかを検討するための実験を行ったという。

対象となったのは、小学3年生(8~9歳)78人、6年生(11~12歳)76人、大人80人で、実験として、2つの類似した話で構成された4場面が用意された。

  • 不作為の嘘

    4つの場面の構造 (出所:神戸大Webサイト)

この4場面のうち2場面は「利己的状況」で、主人公が自分を守るために先生を欺くというもの。片方が、主人公がわざわざ悪いことをする「意図的悪事」(例:主人公がゴミをゴミ箱に投げ入れて遊んでいて、入らずに散らかしたままの状態にした)とし、もう片方が、主人公がうっかり悪いことをしてしまう「偶発的悪事」(例:主人公はうっかりゴミ箱をひっくり返して、ゴミを散らかしてしまう)となっている。

  • 不作為の嘘

    「利己的状況」かつ「意図的悪事」の場面の例。主人公が女の子の例(もう1つの話のペアでは、性別が入れ替えられている)。また、主人公の名前は一例 (出所:神戸大Webサイト)

残り2場面は「他者をかばう状況」で、主人公が同級生を守るために先生を欺くというもの。片方が、同級生がわざわざ悪いことをする「意図的悪事」(例:壁に落書きをしている同級生と目があった)、もう片方が同級生がうっかり悪いことをしてしまう「偶発的悪事」を主人公が目撃してしまう(例:絵具を片付けようとしてうっかり壁を汚してしまった同級生と目があった)というものとなっている。

  • 不作為の嘘

    「他者をかばう状況」かつ「偶発的悪事」の場面の例。主人公が女の子で、同級生が男の子の例(もう1つの話のペアでは、性別が入れ替えられている)。なお、主人公と同級生の名前は一例 (出所:神戸大Webサイト)

また、各場面の2つの話で、主人公の「意図」(例:先生に聞かれたら、「自分ではない」と言おうとした)と、「結果」(例:主人公はホッとして喜んだ)を完全に同じとしており、違いを、主人公の嘘が「作為」によるもの(偽の情報を伝える)か、「不作為」によるもの(何もいわない)かとしたという。

参加者には各場面で事実確認の質問をしたあと、2つの話それぞれについて「善悪の評価」として、「とても良い」、「まあまあ良い」、「少し良い」、「どちらでもない」、「少し悪い」、「まあまあ悪い」、「とても悪い」の7段階での回答方式で実施。その結果、全世代ともに、作為による嘘を不作為による嘘よりも悪いと判断したという。

また、バイアスの強さの調査も実施。もし嘘に対する参加者の道徳的判断が論理的であれば、バイアス値は0になると予想されたが、結果はすべてで統計的に有意に0より大きくなっており、年齢や状況の違いを問わず、不作為バイアスが生じることが確認されたという。さらに、バイアスの強さは年齢によって違いがあることも判明。小学3年生と6年生では4場面の間で差はなかったが、大人では統計的に有意な差があり、利己的状況の方が他者をかばう状況よりもバイアスが大きく、また意図的悪事を隠す方が偶発的悪事を隠す場合よりバイアスが大きくなったという。これは、悪事が意図的であったか偶発的であったかを区別できなかった参加者は分析から除外した上での結果であるため、子供は大人と違って、状況に左右されず不作為バイアスが同程度に生起することが示されたという。

  • 不作為の嘘

    (上)善悪の評価の結果。(下)バイアス値の結果。バイアス値が正であり、その値が大きいほど「作為の方がより悪い」と判断する傾向が強く、不作為バイアスがより強く生じていることになる (出所:神戸大Webサイト)

なお、不作為の嘘に対しては、どの状況でも大人の方が小学3年生や6年生よりも寛容であることがうかがえ、このことが大人における不作為バイアスの強さを生み出していることが確認されたと研究チームでは説明するほか、3年生からすでに他者をかばう嘘に対して寛容な傾向が見られたともしている。ただし、3年生では隠蔽する悪事の意図性の違いは評価に影響せず、6年生と大人では、他者をかばう状況において、他者の悪事が偶発的だった場合において、寛容に判断していることが示されたという。

これらの結果について研究チームは、子供の嘘に対する道徳的判断は、幼いころから長い時間をかけて変化していくことが示唆されたとしており、このことは教育にも重要な意味を持つと考えられるとしている。また、大人の方が子供よりもバイアスが強く働くことが示されたことは、大人自身も不作為による嘘に対して、甘く判断しがちになる傾向に気づきにくいことを意味するともしており、その結果、子どもの道徳性を向上させる機会を逸している可能性があるとも指摘している。