Lattice Semiconductorは米国時間の11月10日、同社のFPGA上で動作するAI向けソリューションスタックであるsensAIのVersion 4.1の提供を開始した。またこれに合わせて今後の製品ロードマップも公開した。
sensAIは2018年から提供を開始している、同社のFPGA上で動作するAI Solution Stackである。2019年にはVersion 2.0、2020年5月にはVersion 3.0がそれぞれ提供され、今年5月にはSensAI 4.0がEmbedded Vision Summitに合わせて発表されていた。
さてそのsensAI 4.1の新機能であるが、新たに「人感検出」「アテンショントラッキング」「物体分類」といった機能が加わり、またsensAI Studioの統合やNN Compilerなどが追加され、さらにCNN Plus AcceleratorというIPが加わっている。「CertusPro-NX 音声/ビジョンMLボード」は別にsensAI 4.1の一部ではないが、新しく利用できるようになった評価ボードである。これらを利用して、Client Computing Experienceを実現できるようになる、というのが今回の趣旨である(Photo01)。
ここで言うClient Computing Experienceとは何か? という話だが、sensAI 4.1を利用すると、Client PCに新たな機能を追加することが出来る(Photo02)。
いずれもカメラを利用したもので、人感感知とかはすでにそれを実装している例もあるが、Attention Tracking(画面を見ていない時にはバックライトの輝度を落とす)、のぞき見検知(のぞき見を検知したら画面にぼかしを掛けてプライバシー保護を行う)などは、カメラ映像をAIをベースに処理する必要があり、こうした実装をsensAI 4.1を利用して容易に行える、という話である。
顔追跡機能を持ったカメラは、むしろ外付けのUSBカメラなどの用途向けという気もするが、LatticeのFPGAを使えばそうした実装が低価格に行えるという訳だ。ちなみにAttention Trackingに関して言えば、これを利用する事で大幅にバッテリー寿命を延ばせる可能性がある、とする(Photo03)。
ちなみに実装にあたってのsensAIのメリットは、顔の画像そのものを使うのではなく、顔画像から必要な要素を抽出、これをベースに判断を行うので、画像が蓄積されるというプライバシーの問題が発生しない事も挙げられるとする(Photo04)。
こうした処理をASSPベースと比較した場合、CrossLink-NXベースだと最大20倍の性能と7倍の性能/消費電力比が実現できる、という話であった(Photo05)。
この数字をそのまま鵜呑みにすると、キャプションに描いたようにCrossLink-NXやCertusPro-NXを使うと絶対的な消費電力は増えてしまう形だが、(Attention Trackingまで実装できるかは謎だが)人感検出だけであればiCE40 UltraPlusなどの低消費電力品に載せる事も出来るという話で、またCrossLink-NXを使う場合でも、例えば判断する頻度をASSP1と同程度まで落とせば消費電力は1/20になる計算だから、あとは要求性能と消費電力のバーター、という事になる。
ちなみにそれ以外の用途ということで、Photo02に追加された物体分類の例であれば、224×224pixelのRGBカメラでの物体認識がCertusPro-NXを使うと33fps、400mWで実現できるという例も示された(Photo06)。
Lattice sensAI Studio(Photo07)は今回初めて追加という訳ではなく、sensAI 4.0のタイミングで提供されているものである。このsensAI Studioは、どんなNeural Networkを使い、どんなデータセットを与えてトレーニングを行うか、という作業を支援するためのツールである。これを利用する事で、エンドユーザーが容易に自身が必要とする独自のネットワークを構築できるようになるというものだ。
最後に今後のロードマップ(Photo08)について。まずSolution Stackとしては2022年前半中に5GのORAN向けStackが提供されるほか、その次のSolution Stackも開発中だそうである。一方ハードウェアでは、Samsungの28FDSを利用したNexus Platformは2022年前半に5番目の、おそらく2022年後半には6番目の製品が追加投入される予定である。それとは別に、2022年後半には別のプロセスで製造される「Lattice Avant」という新しいシリーズが予定されているという話であった。