京都大学(京大)は10月26日、脳MRIドック受診者1799人を対象に、脳の灰白質容積から算出したGM(Gray Matter:灰白質)-BHQ(Brain healthcare quotient:脳の健康指標)が、海馬の容積計測と比較して、認知機能テストの結果と強く相関することを明らかにしたと発表した。
同成果は、京大 オープンイノベーション機構の渡邉啓太特定准教授、同・山川義德特任教授らの研究チームによるもの。詳細は、認知と神経系と精神過程との関係を扱う学術誌「Cortex」に掲載された。
脳容積の減少(脳萎縮)は、以前は高齢者になってから生じると考えられていたが、近年の脳MRIを用いた脳研究の発展から、脳容積は20歳代がもっとも大きく、その後、30歳代から徐々に減少していくことがわかってきたという。
この脳容積の減少は加齢による変化のほか、肥満や糖尿病などの生活習慣病の有無、疲労状態、食生活などとも関連することも分かっているため、脳容積を用いて脳の健康を数値化する、または脳年齢を計測するといった研究が世界中で行われている状況となっている。
そのうちの1つとして、国際通信連合 電気通信標準化事業部門(ITU-T)によって標準化されているのが、脳MRIで計測した灰白質容積や白質の結合性を、脳の領域毎にデータベースと比較して偏差値を求め、その平均した値を脳の健康指標とする「BHQ」である。
高齢化が進む日本において認知症は大きな社会問題となっていくと考えられており、対策が求められている。しかし、MRIやアミロイドPETなどの画像診断に期待が寄せられているものの、実際にその画像から診断することは、例えばアルツハイマー病患者の死後の脳解剖から、間違いなくアルツハイマー病の状態であるにも関わらず、その死の直前まで認知機能が正常であった人が一定数居ることが報告されていることなどを踏まえると、実際のところ容易ではなく、新たな知見の確立が求められる状況となっているという。
そこで研究チームでは、以下の3つの仮説を立て、その検証が試みたという。
- 脳のさまざまな部位を考慮したBHQは、海馬など、単独の脳部位よりも認知機能を強く反映するとする。
- 脳の容積減少が加齢により進行した高齢者ほど、脳容積の減少の程度と認知機能の関係性が乏しくなるとする。
- 健康的な生活様式を実践している人や脳を活発に使っている人ほど、脳容積の減少が生じても認知機能が保たれるとする。
今回の研究の対象とされたのは、単一施設において2013年~2019年の間に脳MRIドッグを受診した1799名。さまざまな検討の結果、以下の3点の結果を得たという。
- 脳の灰白質容積から算出されたGM-BHQと認知機能の関係を調査(比較対象として、記憶と関与し、認知機能において重要と考えられている海馬の容積と、傍海馬容積を用いた)。認知機能とGM-BHQまたは海馬容積、傍海馬容積の相関関係の解析から、GM-BHQは海馬容積や傍海馬容積よりも、認知機能と高い相関関係が認められた
- 年齢を65歳未満と65歳以上の2グループに分けて、GM-BHQと認知機能との関係を調査。その結果、65歳以上のグループでは、65歳未満のグループよりも、GM-BHQと認知機能の関係性が乏しくなっていることが確認された
- 脳の容積減少が進行している人(平均よりも1標準偏差以上BHQが低い)を対象に、認知機能が保たれている群と低下している群の2つのグループに分け、肥満の程度や糖尿病、高血圧の有無、喫煙、飲酒、運動、教育年数などの比較を実施。その結果、脳の容積減少が進行しても認知機能が保たれている群は、教育年数が長いという結果が得られた。
脳容積が保たれている人ではなく、減少が進行している人を対象にした理由について編集部が研究チームの京大 オープンイノベーション機構の渡邉啓太特定准教授に伺ったところ、
「私の本職が放射線科医で、これまで多くの患者様の脳画像を診てきました。その中で脳萎縮が進行しているにも関わらず、認知機能が良好に保たれている方が少なくないことに気が付き、脳が萎縮しても認知機能が保たれている方と低下している方は何が異なるのかずっと疑問に抱いていました。今回、大規模なデータセットを扱える機会があり、これまでの疑問を検証したかったというのが『脳萎縮があっても認知機能が保たれる要因』を調べた理由です。また、脳萎縮を防ぐ(BHQを高く保つ)因子については、数多くの先行研究がすでにありますので、先行研究とは異なる観点からデータを解析したいという思いもありました」と回答をいただいた。
研究チームによると、今回の研究では、記憶を司り、認知機能と強く関連すると考えられている海馬のみの容積を測定するよりも、各脳部位の容積を考慮したGM-BHQの方が、認知機能と強く相関していることが示されたとしているが、今回の研究では脳MRIドックを受診した人のみが対象とされているため、病院で認知症と診断されている人への有用性については今後の検討が必要となるとしている。
また、大学や大学院まで進んだ教育歴の長い人の方が、脳の容積減少が進行しても、認知機能が保たれることがわかったものの、今回の対象には20歳代から90歳代までの幅広い年齢層の人が含まれており、年代によって大学進学率が異なる点が考慮できていない点に注意する必要があるともしているほか、認知機能が保たれた要因についても、「若いころによく勉強していたから」、「大人になっても勉強する習慣を持っていたから」など、複数が考えられるとしており、今回の結果を認知症の予防に応用するにあたっては、認知機能低下を防いだ要因のより詳細な解析が必要になることが考られるとしている。 なお、前出の渡邉啓太特定准教授に、編集部が今後の研究の展望に関して伺ったところ、「病院や脳ドックで脳萎縮を評価する試みが進んでおり、脳MRI検査で脳萎縮を指摘されるケースが増えてきています。しかしながら、脳が萎縮しているといわれた時の具体的な対応策について一般の方に向けた科学的・医学的な情報は少なく、脳萎縮について適切にアドバイス出来る医師も数少ないです。そこで、そういった情報を広く知っていただくために脳萎縮の予防・改善と関連する過去の論文を500ほどピックアップし、レビューすることや、脳萎縮の改善に関する介入研究を進めています」とのコメントをいただいた。脳萎縮の予防・改善と関連する過去の論文をレビューしたものは、ハンドブックのような形でまとめ終わっており、出版先を探している段階とのことだ。