山梨大学、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、量子科学技術研究開発機構(QST)の3者は6月14日、生物学実験として5年10か月にわたって国際宇宙ステーション(ISS)に保存したマウスのフリーズドライ精子から健康なマウスを作出することに成功したと発表した。

また、宇宙放射線に長期間被ばくした精子で受精した胚は、地上で同期間保存した精子で受精した胚に比べ、わずかに質が低下する傾向が見られたが、次世代には影響がないことが確認されたこと、実際に被ばくした宇宙放射線量と地上でのX線照射実験の結果を合わせて考えると、理論上、フリーズドライ精子はISSで約200年間保存できることも併せて発表された。

同成果は、山梨大大学院 総合研究部 発生工学研究センターの若山清香助教、同・若山照彦教授、山梨大 生命環境学部 生命工学科の幸田尚教授、JAXAの鈴木智美研究開発員、同・永松愛子研究領域主幹、日本宇宙フォーラムの嶋津徹主任研究員、QSTの荒木良子グループリーダーのほか、有人宇宙システム、エイ・イー・エスなどの研究者も加わった総勢32名の共同研究チームによるもの。詳細は、米科学振興協会発行の国際学術誌「Science Advances」に掲載された。

日本も参加するアルテミス計画では、2020年代後半に恒久的な月面基地の建設も行われる予定で、地球外の天体に人類が居住することが期待されている。またJAXAなどが掲げるロードマップによれば、2050~60年代には、この恒久基地は1000人ほどの人々が生活する規模になるとされている。

月面に恒久的に人類が居住するようになり、さらにはその先には火星の有人探査を経て、火星に人類が恒久的に居住する時代もやって来るころになれば、宇宙での家畜の生殖・繁殖も必要になるが、宇宙環境は微小重力や強力な宇宙放射線など、地球で誕生した生物にとっては憂慮すべき要素がある。本人の健康だけでなく、遺伝子レベルでの悪影響が考えられるため、子や孫世代への影響も懸念されている。しかしマウスなどの哺乳類は宇宙での飼育が難しく、これまで宇宙において哺乳類の生殖実験はほとんど行われたことがなかったという(2021年8月にISSで胚の無重力培養実験が行われる予定)。

そうした中、山梨大では以前から擬似的に無重力環境を再現する装置を用いて、マウスの体外受精および胚の発生が無重力でも可能かどうかを調べるという実験を進めてきており、微小重力環境では胎盤の発育が悪くなり、出産率が減少することが示されたとしている。

ただし地上の疑似宇宙環境での実験には限界があり、実際に宇宙で実験する必要性を強く感じていたという。そこで研究チームは、1998年に若山教授らが開発した、液体窒素を使わなくても室温(厳密には冷蔵庫内)で長期間保存可能な「フリーズドライ精子」の技術を利用して、宇宙放射線が精子および次世代へどのような影響を与えるのか調べる研究を、2013年に実際にISSにて実施。2014年に最初の試料が回収され、破損などの技術的な問題はないことが確認され、哺乳類の精子を用いた宇宙生殖研究プロジェクト「Space Pup」が本格的に進められてきたという。

  • フリーズドライ精子

    Space Pupプロジェクトの流れ。(左)打ち上げ用フリーズドライ精子の作成の流れ。(右上)JAXAと山梨大によるSpace Pupプロジェクトのワッペン。(右下)ISSで6年保存されたフリーズドライ精子から合計168匹の産仔が生まれ、さらにその一部のマウスからは異常のない子、孫も誕生した (出所:山梨大プレスリリースPDF)

フリーズドライ精子の作成は、4種類のマウス系統から合計66匹のオスマウスを選び、ロットチェックにより成績上位12匹のフリーズドライ精子を6グループ(箱)に分け、ISSにおいて3箱は「きぼう」内の冷凍庫で9か月間(以降、1年間保存と表記)、2年9か月間(3年間保存)、5年10か月間(6年間保存)、残りの3箱は地上保存区(対照区)として、JAXAの筑波宇宙センター内の冷凍庫で、宇宙保存用と同じ条件(同温度・同期間)で保存が行われ、2019年6月、5年10か月にわたって宇宙で保存されたフリーズドライ精子がISSから回収され、地上で詳細な解析が実施された。

また、フリーズドライ精子の放射線耐性の限界を明らかにするため、この実験と並行して地上で、フリーズドライ精子および新鮮精子にX線を0から30Gyまで照射する実験も実施された。フリーズドライ精子のDNA損傷度は被ばく量が増加するにつれて増加したが、放射線耐性は新鮮精子に比べ高く、最大で30Gyまで照射した精子からも産仔を得ることができたという。これは新鮮精子の約10倍の耐性があることになるという。

さらに、ISSで6年間保存された精子の宇宙放射線被ばく量を測定したところ、合計被ばく量は吸収線量869.8mGy(線量当量1302.9mSv)で、1日当たりにすると0.41mGy(0.61mSv)となる。これは、JAXAの筑波宇宙センターで保管した地上保存区(対照区)の約170倍の線量に相当する値だという。

加えて、フリーズドライ精子の宇宙保存の影響についての比較検証が行われた結果、細かいDNAダメージや受精能力については、宇宙3年間と宇宙6年間の間だけでなく、宇宙区と地上区の間にも差が見られず、かつ使用したマウス系統すべてで同様な結果だったという。ただし、重度のDNA損傷を示す染色体分配異常は宇宙保存で増える傾向が見られたとはしている。

これらを踏まえ、宇宙保存精子を用いた受精卵の正常性についての比較が行われた結果、胚盤胞への発生率についてはまったく影響が見られなかったとしたが、宇宙6年間のものは若干だが胚盤胞の細胞数が低下する傾向が見られ、またアポトーシス陽性細胞数が宇宙保存精子全体で増える傾向が見られたという。

そして受精卵をメスマウスへ移植して産仔への発育率を調査したところ、宇宙3年間が12.3%、宇宙6年間が12.9%と差がないことが確認されたほか、地上3年間が12.4%で、地上6年間も12.1%と、こちらも差が見られなかったことが示されたという。

  • フリーズドライ精子

    宇宙で長期間保存したフリーズドライ精子からの産仔作出の比較 (出所:山梨大プレスリリースPDF)

今回の研究では宇宙で6年間保存した精子から合計168匹の産仔が生まれたが、いずれも外見は正常であり、網羅的遺伝子発現解析でも異常は見られなかったという。さらに、一部のマウスについては性成熟後に交配した結果、健康な仔および孫が生まれることも確認されたとしている。

なお、研究チームでは今後、今回の研究のような長期搭載実験を実施してデータを蓄積することにより、宇宙で長期滞在した時の放射線影響や耐性が明らかになることが期待されるとしている。