理化学研究所(理研)は6月8日、シリコン量子ドットデバイス中の電子スピンを用いて、3つの量子ビットの制御および量子もつれ状態の生成に成功したと発表した。

同成果は、理研 創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループの武田健太研究員、同・野入亮人基礎科学特別研究員、同・樽茶清悟グループディレクターらの研究チームによるもの。詳細は、英科学誌「Nature」系のナノテクノロジーを扱う学術誌「Nature Nanotechnology」への掲載に先立ち、オンライン版に掲載された。

ムーアの法則による半導体プロセスの微細化による性能向上は物理的限界を迎え、新たな高性能コンピュータを実現する手法が求められるようになっている。その1つが量子コンピュータで、まだ理想とするスペックまで到達していないものの、複数の企業が商用化しているほか、さらなる性能向上のための研究開発が世界中で進められている。

理想とする性能の量子コンピュータを実現するため、さまざまな物理系が考案されているが、その中で大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられているのが、シリコン量子ドット中の電子スピンを用いた「シリコンスピン量子コンピュータ」だという。既存の集積回路技術と相性がいいことや、比較的高温での動作が可能であることなどが主な理由である。

このスピン量子コンピュータの実現のためには、1つのスピン状態の制御(単一電子スピン共鳴)、2つのスピン間における交換結合の制御、スピン状態の単発測定、初期化などの基本要素をそれぞれ高い精度で実装する必要があるとされており、これまでの研究から、2つのスピンを用いてこれらの基本要素を実現し、2つのスピン状態の制御、量子アルゴリズムの実装が報告されている。

3つのスピン量子ビット以上については、研究チームを含むさまざまなグループから、GaAsの量子ドットデバイスを用いた研究が報告されているが、デバイスの品質、材料による制約(磁気および電気的雑音)などの問題があり、複数スピンを高い精度で操作・測定し、量子もつれ状態を評価することは困難だったという。

研究チームは今回、シリコン3重量子ドット中の電子スピンを用いて、3つのスピン状態の完全な制御、および高い精度を持つ3つのスピンもつれ状態である「Greenberger-Horne-Zeilinger(GHZ)状態」を実現することに成功したという。GHZとは、全量子ビットが0状態である状態と同時に1状態であるという、重ね合わせ状態のことで、量子コンピュータに重要なさまざまな非古典的な振る舞いを示すことをいう。

量子ドット構造は、シリコンスピン量子コンピュータで一般的に用いられている、歪みSi/SiGeの量子井戸基板上に微細加工を施すことで作製された。3層からなるアルミニウム微細ゲート電極に正電圧を加えることで、量子井戸中に電子が電界誘起される仕組みを持ち、高い自由度で量子ドットが形成されており、制御も可能となっている。

実験では、P1、P2、P3ゲート電極の先端直下に形成された3つの量子ドットに電子を1つずつ閉じ込め、それらの電子スピンが操作された。

  • 量子コンピュータ

    今回の研究で用いられたシリコン量子ドット試料の電子顕微鏡画像。3つのゲート電極(P1、P2、P3)の直下に、3つの量子ドットを形成することが可能となっている。赤、緑、青の丸は量子ドット中の電子が示されている (出所:理研Webサイト)

  • 量子コンピュータ

    単一量子ビット操作。丸点は測定結果が示されており、実線は正弦関数によるフィッティングが示されている。量子ビットの状態が、高周波の印加時間に対してほぼ減衰せずに振動している様子が観測された。観測された振動は、スピンが基底状態(下向きスピン状態)と励起状態(上向きスピン状態)の間を高周波の印加時間に対して周期的に遷移することが示されている (出所:理研Webサイト)

ランダム化ベンチマーキングと呼ばれる方法でスピン操作の精度を測定したところ、平均99.5%という高い精度(忠実度)で操作できていることが判明したという。

スピン状態を完全制御するには、1つのスピン操作に加えて、隣接する2つのスピン間におけるもつれ操作が必要だが、今回の研究では、それをスピン間の交換結合の電気的制御によって実現したとする。スピン間の交換結合(J)は、量子ドット間のトンネル障壁の大きさに依存するため、ゲート電圧によって制御が可能だという。。

  • 量子コンピュータ

    スピン交換結合(J)の電気制御。量子ビット2を下向きスピンと上向きスピンの重ね合わせ状態にした上で、量子ビット3のスピン共鳴スペクトルの分裂を測定することにより、量子ビット2と3の間のJが測定可能となる。(右下)障壁ゲートB3の電圧が0Vに近いときは、2つの量子ドットはほぼ結合しておらず、Jは0に近い。(右上)B3に正電圧を印加して結合が強められると、徐々に共鳴ピークは2つに分裂し、その間隔は大きくなっていく。この試料においては、Jを0.3MHzから30MHz程度まで制御可能だという。また、ここでは量子ビット2と3の測定結果が紹介されているが、1と2の組み合わせについても同様に交換結合を制御できるとしている (出所:理研Webサイト)

特に、ゲート電圧を高速でパルス制御し、Jを短い時間(典型的には数十ns程度)作用させることで、代表的な2つの量子ビット操作の1つである「制御位相操作」を実装できるという。

また、1つのスピン操作と制御位相操作を組み合わせることによって、3つの量子ビットもつれ状態を生成したほか、量子状態トモグラフィを用いて、量子状態の密度行列(ρexpt)の測定を実施。88%という高い状態忠実度が得られたのに加えて、生成された状態が2つの量子ビット以下のもつれ状態やW状態に分解できない、“真の”GHZ型の量子もつれであることが確認されたとしている。

  • 量子コンピュータ

    3つのスピン量子もつれ状態の生成と測定。(a)3つのスピンのGHZ状態生成および測定の量子ゲートシーケンス。X(Y,Z)はx(y,z)軸回りのπ回転、X/2(Y/2,Z/2)はx(y,z)軸回りのπ/2回転が表されている。CZ/2はCZゲートを半分作用させた操作を表す。この測定では、GHZ状態を生成する量子ゲートシーケンスにスピンエコー法(各量子ビットに印加されるY操作がリフォーカスパルス)を組み合わせることで、低周波雑音の影響を低減させている。(b)量子状態トモグラフィの測定結果。プロットされているのは密度行列の実部。(c)理想的な3つのスピンGHZ状態の密度行列。四隅の値(0.5)以外はすべて0となっている (出所:理研Webサイト)

なお、今回の研究で確立された量子ビット列の制御、測定技術を応用することによって、シリコンスピン量子ビット系に特有の問題である磁気的・電気的雑音を考慮した量子アルゴリズムの最適化や、その検証実験が可能になると考えられるという。また、より大きな量子ビット列を用いることで、大規模量子コンピュータの実現に向けた研究開発の進展が期待できると研究チームでは説明している。

2021年6月9日訂正:記事初出時、掲載していた図表4点とその説明文が正しくあっておりませんでしたので、当該部分を修正させていただきました。ご迷惑をお掛けした読者の皆様、ならびに関係各位に深くお詫び申し上げます。