米国航空宇宙局(NASA)は2021年4月19日、火星ヘリコプター「インジェニュイティ」の初飛行に成功した。

地球以外の天体で、航空機が動力飛行に成功したのは史上初。ライト兄弟による初の動力飛行の成功に並ぶ歴史的快挙となった。

この偉業が実現した背景には、名前のとおり数多くの「創意工夫」があった。

  • インジェニュイティ

    火星の空を舞うヘリコプターの「インジェニュイティ」。火星探査車「パーサヴィアランス」から撮影されたもの (C) NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS

インジェニュイティとは?

インジェニュイティ(Ingenuity)は、NASAジェット推進研究所(JPL)が開発した小型の無人ヘリコプターである。インジェニュイティとは「創意工夫」や「発明の才」といった意味をもつ。

古今東西、地球以外の惑星の空を動力飛行した例はない。金星の空を気球で飛んだり、土星の衛星にパラシュートで降下したりといった例はあるが、自力で飛行する航空機は、このインジェニュイティが史上初となる。

しかし、火星の空を飛ぶことはきわめて難しい。

火星には地球の約3分の1に相当する比較的大きな重力がある一方で、大気はきわめて希薄で、大気圧は地球の約1%、高度30kmに相当する薄さしかない。

また、火星の地表に届く太陽のエネルギーは、地球の昼間の約半分に過ぎず、さらに夜間の気温はマイナス90℃まで下がる。

おまけに、火星探査車「パーサヴィアランス」に搭載して火星に持ち込むことから、コンパクトに造らなければならないという制約もあった。

そのため、機体は全高49cmで、胴体部分はティッシュボックスほどの大きさしかなく、質量も約1.8kgときわめて小さい。また、テイルブームやテイルローターをなくし、二重反転ローターを装備している。一見すると『ドラえもん』の「タケコプター」のようにも見える。

ローターにはそれぞれ2枚、計4枚の羽(ブレード)が取り付けられており、軽い特製のカーボンファイバーで造られているうえに、できる限り大きな揚力を得るため、胴体に対するローターのサイズも大きくなっている。さらに、ローターはそれぞれ毎分約2400回転で回る。これは地球のヘリコプターの何倍もの速さである。

そして、ローターを回すモーターの駆動にくわえ、極寒の火星の夜を耐えるためヒーターも稼働させることから、電源系は高い効率で動くよう造られている。加えて、機体の一部にはスマートフォン用の部品が使われており、既製品、民生品が火星など深宇宙でも使えるかどうかという試験も兼ねている。

さらに、火星と地球との間は遠く離れていることから、電波が届くのに片道5~20分ほどもかかるため、ラジコンヘリのように地上から操縦することはできない。そこで、センサーとコンピューターを使い、完全に自律して、すなわちインジェニュイティ自身の判断で飛行できるようになっている。

希薄な空気中でのローターの性能から、太陽電池、ヒーター、その他の部品など、すべてのシステムはNASA/JPLの真空チャンバーや実験室で試験が繰り返された。開発が遅れた場合には搭載しないという選択肢もあったが、無事に開発を完了。そして2020年7月、パーサヴィアランスのお腹の部分に搭載され、ついに火星へ向けて打ち上げられた。

  • インジェニュイティ

    インジェニュイティの実機 (C) NASA/JPL-Caltech

初飛行の成功

インジェニュイティは2021年2月18日、パーサヴィアランスとともに火星のイェゼロ・クレーター(Jezero Crater)に到着。そして、パーサヴィアランスによって「飛行ゾーン」へと運ばれ、4月3日に分離。火星の地表に降り立った。

この飛行ゾーンは、イェゼロ・クレーター内の、パーサヴィアランスの着陸場所の近くに設定された10m×10mの広さの場所で、平らで障害物がないという理由で選ばれた。

最初の関門は、極寒の火星の夜を超えることだった。これまではパーサヴィアランスからの指令でヒーターを動かすなどして耐えていたが、分離後は自律的に作動させなければならない。インジェニュイティは無事にこれをクリアし、さらにその後、自律的に太陽電池パネルを使って充電することにも成功した。

当初、初飛行は4月8日に予定されていたが、飛行前の試験の結果、ソフトウェアの修正や追加の確認が必要と判断。そして無事に修正や確認を終え、初飛行に臨んだ。

  • インジェニュイティ

    飛行を待つインジェニュイティ (C) NASA/JPL-Caltech/ASU

飛行が始まったのは、日本時間4月19日16時34分(米東部夏時間同日3時34分)のことだった。ローターを勢いよく回したインジェニュイティは、希薄な火星の大気を必至に捕らえながら浮上。そして高度約10ft(約3m)まで上昇し、30秒間にわたり、安定したホバリング状態を維持した。その後降下し、火星の地表に無事に着陸した。飛行時間は39.1秒間だった。

その間パーサヴィアランスは、64.3m離れた場所に待機し、カメラで飛行の様子を撮影。また、インジェニュイティと地球の間の通信を中継も担うなど、文字どおり飛行の様子を見守っていた。

インジェニュイティやパーサヴィアランスのデータは、火星探査機を中継して地球へ送られた。データが地球に届いたのは同日19時46分(6時46分)のことで、飛行の成功が確認された瞬間、管制室は大きな喜びに包まれた。

  • インジェニュイティ

    インジェニュイティに搭載されたカメラが捉えた、空を飛ぶ自身の影と地表 (C) NASA/JPL-Caltech

データは現在も送られてきており、今回の試験の詳細については、今後順次発表される予定となっている。

NASAの長官代理を務めるスティーヴ・ジャージック(Steve Jurczyk)氏は「NASAは長きに渡り、数々の不可能を可能に変えてきました。今回、インジェニュイティはその新たな1ページを刻みました。今日、私たちは、少なくとも火星の空に限界はないということを証明しました」と語った。

インジェニュイティの飛行試験期間は、30ソル(31地球日)が予定されている。初飛行を行った時点ですでに16ソルが経過しており、今後3ソルかけて今回の飛行試験で得られたすべてのデータと画像を受信。そして早ければ4月22日にも、2回目の試験飛行を行いたいとしている。もしこの2回目の飛行も成功すれば、より長時間、長距離飛ぶなどの実験を行うことを検討するとしている。

パーサヴィアランスが撮影した、インジェニュイティが離陸、ホバリング、着陸する様子 (C) NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS