理化学研究所(理研)は4月6日、マウスを用いて、卵の「エピジェネティック修飾」が次世代の胎盤へと伝承される新しい機構を発見したと発表した。
同成果は、理研 生命医科学研究センター融合領域リーダー育成プログラムの井上梓上級研究員、同・メイ・ハイリャン特別研究員、同・公文麻美テクニカルスタッフII、同・免疫器官形成研究チームの小塚智沙代基礎科学特別研究員、同・古関明彦チームリーダー、同・疾患遺伝研究チームの林凌也研修生らの研究チームによるもの。詳細は、科学雑誌「Nature Genetics」への掲載に先立ち、オンライン版に掲載された。
ゲノム(遺伝情報)は、細胞分裂時に母細胞から娘細胞に受け継がれる。このとき、娘細胞でも母細胞の性質が保たれるように、ゲノムに上書きされた“記憶”も一緒に受け継がれる。この記憶を担う仕組みが「エピジェネティック修飾」だ。エピジェネティック修飾は、細胞が自分自身の膨大なゲノム情報から必要な情報だけを取り出すための主要機構の1つである。例えていうなら、「ゲノムの取扱説明書」ともいうべきシステムだ。
親世代の卵や精子(配偶子)から子世代の受精胚へと世代が切り替わるときには、エピジェネティック修飾も含めて、これまでは親の持つ記憶は消去されると考えられてきた。ところが、近年になってこの記憶の一部が次世代に受け継がれることが明らかになってきた。これは「エピジェネティック修飾の世代間伝承」と呼ばれている。
このような伝承能力を持つエピジェネティック修飾としては、「DNAのメチル化修飾」が以前から知られていた。DNAのメチル化修飾とは、DNAを収納するタンパク質である「ヒストン」への化学修飾と並ぶ、エピジェネティック修飾の主な分子実体だ。
DNAメチル化修飾とは、DNAを構成するアデニン、グアニン、シトシン、チミンの4種類の塩基のうち、シトシンに付加されるのがメチル基であり、この付加のことを指す。DNAメチル化修飾は、遺伝子発現の制御に寄与していることがわかっている。一方のヒストン修飾とは、DNAが巻き付くヒストンのアミノ酸残基に付加されるさまざまな化学修飾のことをいう。こうしたエピジェネティック修飾がゲノム内の適切な場所に配置することで、必要に応じた遺伝子を発現させることができるのである。
エピジェネティック修飾が適切に配置される機構については、現在世界中で研究が行われている最中であり、井上上級研究員らも近年、卵に存在するヒストン修飾の1つであるH3の27番目リジン(K)のトリメチル化修飾(H3K27me3)が伝承能力を持つことを明らかにしている。しかし、H3K27me3が卵においてどのように確立されてどのように伝承されるのか、そして何のために伝承されるのかはよくわかっていなかったという。
これらの疑問の解決に向け、研究チームが注目したのが、ES細胞においてH3K27me3と相互作用することが知られているヒストンH2Aの119番目リジンのモノユビキチン化修飾(H2Aub)だという。
マウスの卵と初期胚におけるH2Aubの動態を分析したところ、卵巣内の卵形成過程から受精後の胚盤胞期まで、伝承能力のあるH3K27me3にはH2Aubが常に共局在することが確認されたという。
また、卵形成過程におけるH3K27me3の確立に際して、H2Aubが必要かどうかの分析が行われた結果、一部の遺伝子においてH3K27me3が確立されなくなっていることが判明したとする。
さらに、その卵を受精させたうえで、着床前胚におけるH3K27me3の分布を分析したところ、この胚ではH3K27me3が欠落したまま発生していくことが確認され、その結果、母性H3K27me3依存的な「ゲノム刷り込み」が破綻し、着床後には約半数の胚が胎生致死になること(胎生部分致死)、そして残りの半分は生誕するものの胎盤が過形成することなどを見出されたという。
これらの結果から、H2Aubは伝承性H3K27me3の確立に重要であり、それが破綻すると、着床後の胚発生と胎盤形成に異常が生じることが示されたと研究チームでは説明している。
また今回の研究に付随して、器官形成などに関わる数千個の発生関連遺伝子群にはH2AubとH3K27me3が共局在して、その発現を制御するというこれまでの通説が、実際には着床前胚においてはH2Aubが単独でこの遺伝子群に存在し、着床期にようやくH3K27me3が付与されることが確認されたことから、覆されたともする。
研究チームによれば、今回の研究を踏まえ、着床前胚において、H2Aubだけが存在することにどのような意味があるのか、今後の研究が待たれるとしている。
今回、卵のエピジェネティックな変化が伝承されて、それが着床後の胚発生や胎盤形成に長期的な影響を及ぼすことが解明されたことについて研究チームでは、このようなエピジェネティクス伝承機構を介して(ゲノム配列の変化を伴わずに)、親の生活習慣が将来生まれてくる子供の疾患素因に寄与するようなことがあるかもしれないとしており、今後は、伝承機構のさらなる理解を進めるとともに、同様の機構がヒトを含むほかの種でも保存されているかどうかの解明に向けた研究が進むことが期待されるとしている。