江戸時代末期の医師、蘭学者の緒方洪庵(1810~1863年)が使ったガラスの薬瓶の中身を、瓶を開けずに突き止めた、と大阪大学などの研究グループが発表した。大強度陽子加速器施設「J-PARC(ジェーパーク)」(茨城県東海村)の分析装置で透過性の高い素粒子「ミュー粒子」(ミュオン)を使い成功した。医薬品の文化財の成分を非破壊で解明したのは世界初といい、当時の治療戦略の解明や、医療関係の文化財の継承に役立つ成果という。
洪庵は大阪大学医学部の源流で、福沢諭吉、大村益次郎らを輩出した蘭学塾「適塾」の開祖。同大は洪庵が壮年期と晩年に使った2つの薬箱を所蔵しており、晩年のものには液体と固体の製剤が入ったガラス瓶22本と木製容器6本が入っている。うち数本は栓が固く開かない状態。洪庵は瓶の上部に独自に「甘」「下」「酒」などと漢字1文字のラベルをつけたが、何を意味するかは本人にしか分からない。貴重な文化財を壊して調べるわけはいかず、また今後の保存のためにも中身の特定が課題となっていた。
そこで研究グループは、このうち白い粉末が入った「甘」の瓶をJ-PARCに持ち込み、ミュー粒子のビームを打ち込んだ。負の電気を帯びたミュー粒子が原子核に捕獲される際、特有のエックス線を放つことで元素を特定できる。
その結果、水銀と塩素の存在を観測。当時「甘汞(かんこう)」と呼ばれ、おしろいや下剤に使われた塩化水銀(I)=Hg2Cl2=であるとの考証に一致した。ラベルの「甘」は甘汞を指すと推定される。
ミュー粒子は自然界では、宇宙を高速で飛び交う陽子などの宇宙線が地球の大気と反応してできる。透過性が高く近年、ピラミッドや原子炉、火山の内部の把握などに活用され、非破壊分析の新手法として注目されている。J-PARCでは加速器で人工のミュー粒子を作り、さまざまな物に当てて元素を調べる。
文化財には「蛍光エックス線分析」が広く利用されており、今回は薬瓶が鉛を含んだガラス製であることを明らかにしている。ただ発生するエックス線のエネルギーが小さく、対象は対象物の表面などに限られる。
幕末にはコレラやインフルエンザなどの感染症が大流行した。研究グループの大阪大学総合学術博物館の高橋京子招へい教授(生薬学)は「それらの原因が分からない中、洪庵は既存薬で患者を楽にしようと、最新知識を勉強しながら医療を続けた。その治療戦略を知ることはまさに温故知新。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)でワクチンや薬の開発途上にあるわれわれが、示唆を得られる情報は多いはずだ」と説明する。ミュー粒子による分析は、高橋招へい教授が「医療文化財」と呼ぶさまざまな史料の継承にもつながるという。
研究グループは大阪大学、元興寺文化財研究所、豊田中央研究所、高エネルギー加速器研究機構などで構成。成果は日本生薬学会の英文誌「ジャーナル・オブ・ナチュラル・メディシンズ」の電子版に3月13日に公開され、阪大などが17日に発表した。
関連記事 |