東京工業大学(東工大)の青木尊之教授と大学院生の大橋遼河氏、九州大学の渡辺勢也助教、慶応義塾大学の小林宏充教授のグループは、東工大の「TSUBAME 3.0」スパコンを用いて野球ボールの周囲の気流を精密にシミュレーションし、なぜフォークボールが落ちるかを明らかにし、発表を行った。
縫い目が回転しながら飛ぶ野球ボールは、計算が複雑で、縫い目の影響を含めた詳細なシミュレーションはこれまでは行われていなかったという。
球を投げると周囲の空気の抵抗を受けて減速する。図1の左上のグラフは横軸はレイノルズ数で、野球ボールの場合は球の速度に比例する。そして、縦軸は球を減速させる力(抗力)である。
図1の右のグラフは、左のグラフの赤枠で囲んだ部分の拡大図で球速が速くなると抗力が急に減るドラッグクライシスという領域を示している。ドラッグクライシスより速度が遅い場合は境界層は層流であり、気流はボール表面に張り付いているが、境界層が乱流に変わるところで抗力が急激に減少するドラッグクライシスが起こっている。
図1の下の左側の図のように、ボールの速度が遅い領域では空気がボールの表面に張り付いた状況が続き、ボール表面から空気がはがれる「S」で示した剥離点はボールの後ろ側にある。ボールの速度が速くなると、剥離点はだんだんとボールの前方に移動する。
一方、図1の下の右側の図のように、ボールの速度が速い場合は、剥離点Sはボールの前方にあるが、ボールの速度が上がると剥離点は後方に移動し、抗力が減少するという現象が起きる。ただし、この現象が起きるのは球速が150km/s以上の場合であり、素人が簡単に投げられるような球速ではない。
図2にドラッグクライシス近傍の抗力のグラフを示す。実線や破線のグラフはこれまでの論文の結果で、●が今回の計算の結果である。図の右側に2つの速度のボールの周囲の気流を示す。上側はレイノルズ数が20万のケースで、ボールを離れる気流は、まだ、整然としており層流に近い。一方、下側の気流はレイノルズ数が50万の気流であり、最も抗力が小さくなっているところの気流である。ここではボールを離れる気流は乱流になっていることが分かる。
流体シミュレーションを行う場合、対象物の周囲に格子を切って、それぞれの格子の空気の動きを計算する。格子のサイズは対象物の形状を細かく表す必要があり、この研究では一番細かい格子は0.0176mmにしている。
図3の一番上の図は流体シミュレーションする領域全体の格子の配置を示す図である。格子は一様に切った方が計算は楽であるが、全域を0.0176mmの格子で切ると格子数が膨大になってしまうので、下側の図のようにボールの近傍になるにつれて細かい格子を使っている。そして、境界層が付着するボールの表面近くは、右下の図のように一番細かい格子を使っている。
そして、東工大のTSUBAME 3.0スパコンのTesla P100というGPUを96個使用して計算を行った。
図4は球速が比較的低速でボールが回転している場合の、ボールに働く力を示す。ボールの上面ではボールの上面の空気の動きとボールの回転による動きは同じ方向となるので、ボール表面から見た相対的な空気の動きは(主流流速-回転速度)となる。一方、ボールの下面での相対速度は(主流流速+回転速度)となる。ボール上面では相対的な空気の速度が小さいので圧力が低く、ボール下面では相対的な流速が速いので圧力が高い。このため、ボールには上向きの力が加わる。この力は「マグヌス力」と呼ばれている。
この力は、飛行機の翼にかかる浮力と同じものである。
ドラッグクライシス近傍という速いボールの場合は、図5のようにボールの下面では(主流流速+回転速度)と相対的な流速は速くなるのであるが、低速ボールとは逆に抗力は減少し、圧力は低くなる。結果として、ボールの上側の圧力が高く、ボールの下側の圧力が低くなり、ボールには下向きの力が加わる。この力は負のマグヌス力と呼ばれている。
野球ボールの空力解析を行うにあたって、ボールの縫い目のCADモデルを購入して使用した。
ボールの回転軸はY軸で、バックスピンをかけ、ボールの初期速度は151.2km(レイノルド数200,000)、回転数1110rpmのツーシーム(フォークボール)とフォーシーム、回転数を2230rpmのフォーシーム(ストレート)の条件でシミュレーションを行った。ボールが飛んでいる時間は約0.45秒であるが、計算ステップは約900万ステップで、計算時間は約150時間かかったという。
ボールを投げてから打者に届くまでの0.45秒の間に、ボールが受ける抗力、横力、揚力をシミュレーションで求めたのが次の図8で、上側のグラフがツーシームの場合、下側のグラフがフォーシームの場合である。
これまでの実測では、力の時間平均しか得られなかったが、シミュレーションでは、この図のような時間を追った力の変化のグラフが得られる。
縫い目の影響であるが、ボールの上面では、上流側の縫い目で部分的に気流が剥離しても、再付着するので、結果として剥離点が後流側に移動する。
ボールの下面では、剥離した状態が縫い目の回転で上流側に移動し、縫い目がない場合と比べて剥離点は上流側に移動する。
回転する縫い目は、ボール上面では境界層の剥離を下流側に移動させ、ボール下面では剥離を上流側に移動する効果を持つ。これは正のマグヌス効果と同じで、正のマグヌス効果を助長することになる。
図11はフォークボールの揚力特性を示す図である。ボールが回転しているので、ボールが-180°の状態では正のマグヌス効果、-30°から90°の範囲では負のマグヌス効果が発生する。
これまでの実験では、ツーシームの場合は負のマグヌス効果は発生しないと考えられていたが、今回のシミュレーションでは、縫い目が-30°から90°の範囲にあると、負のマグヌス効果が発生し、これがフォークボールが落ちる原因であることが判明した。ただし、図11に見られるようにボール1回転の平均では正のマグヌス効果の方が影響が大きい。このため、力の時間変化の分からない実験では負のマグヌス効果の発生を見つけることができなかったことは理解できる。
図12の右下のグラフは、横軸がボールの回転数、縦軸は揚力係数である。×はフォーシーム、〇はツーシームの値である。この図に見られるように、低速回転の場合にツーシームとフォーシームでは揚力に大きな差が出ている。
マグヌス効果を発生させる縫い目が頻繁に上下面を横切るフォーシームの場合は負のマグヌス効果は発生していない。このため、図13のようにフォーシームの方が揚力係数が大きい。
投手がボールを投げ、それが打者に届くまでの軌道変化をシミュレーションした。この計算で抗力、揚力、横力の時間変化をもとにボールの運動方程式を時間積分してボールの位置の変化を求めた、。その結果を図14に示す。
左上のグラフはボールのホップとスライド量を示すもので、ホップ量はストレートが最大で、ツーシーム、フォークボールの順である。右側の図はスライド量を除いて、ボールの落下だけをグラフにしたものである。そして、下の表はフォークボール(ツーシーム、低速回転)、フォーシーム、低速回転とストレート(フォーシーム、高速回転)の縦横の変化量をまとめたもので、同じ1110rpmの回転でも、ツーシームとフォーシームでは縫い目だけの違いで19.1cmも落差の違いがでている。また、同じフォーシームでも回転数が1110rmpmの回転と2230rpmの回転では11.3cmの落差の違いを生んでいる。
ソフトバンクホークスの千賀投手の落差の大きいお化けフォークは、縫い目の回転がツーシームでなくジャイロ回転ではないかと言われている。ジャイロ回転は、ボールの進行方向が回転軸になっているライフルの銃弾のような回転である。
図15はジャイロ回転のボールの動きをシミュレートした結果で、左のグラフはフォーシームのジャイロとツーシームのジャイロのボールの抗力係数をプロットしたもので、フォーシームジャイロの方が抗力係数が大きく、ボールの減速が大きい。そして、右のグラフは6種の球種のボールの縦方向変化をプロットしたもので、フォーシームが最も縦方向変化が小さい。そして、ツーシーム、球速の速い自然落下、球速の遅い自然落下と続き、ジャイロボールの縦方向変化が最も大きい。
150kmの球速で2300rpmのフォーシームと比べると、139.9kmの球速のジャイロボールは落差が63cmも大きく、お化けフォークになっていることが分かる。
ここまでに示したように、今回実現した高精度のモデルとシミュレーションで、ボールの動きとその原因を細かく理解できるようになった。フォークボールが落ちるのは回転数が少ないために浮き上がらないためと考えられていたが、それは間違いで、縫い目が-30°から90°までの範囲では負のマグヌス効果が発生し、ボールに下向きの力が働くことが原因であることが分かった。
また、高精度のシミュレーションができるようになり、投手がリリースした直後の球速、回転数、回転軸などが分かれば、打者までのボールの軌道をかなり精度よく計算できるようになった。