日本原子力研究開発機構(JAEA)は2月8日、重元素化合物など、多数の電子が強く影響し合って運動する物質の振る舞いを解析可能とする、従来とは異なる理論を考案し、これによってこれまで高温超伝導体などで観測されている特異な量子現象「フェルミアーク」が重元素化合物でも観測され得ることを予言することに成功したと発表した。
同成果は、JAEA システム計算科学センターの永井佑紀研究副主幹、米・マサチューセッツ工科大学のLiang Fu博士らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、米物理学会誌「Physical Review Letters」に掲載された。
これまで物質の性質を解析するために電子集団を理論的に取り扱う際、電子を1個だけ取り上げ、ほかの電子からの影響を背景として取り込むという計算手法が用いられ、大きな成果を上げてきた。しかし、高温超伝導物質や重元素化合物などの場合は電子同士の相互作用が強く、互いに強く影響を及ぼしながら運動することから、従来の計算手法では再現することができていなかった。
逆をいうと、強く影響を及ぼし合う電子集団を理論的に解析する計算手法を構築できれば、高温超伝導物質のような優れた性質を示す未知の物質探索が可能になると予想される。そうしたことから、世界中の研究機関が新たな材料開発のための“武器”として、強く影響を及ぼし合う電子集団を扱える新たな計算手法の開発を目指しているという。
そこで国際共同研究チームは今回、重元素化合物における電子集団に着目。ほかの電子の影響を強く受けて運動する電子の動きを表現する方法の探索を実施した。
重元素化合物とは、ウランやプルトニウムなど、原子番号の大きい元素を含んだ物質のことだ。重元素化合物では、多数の電子が互いにより強く反発し合う状態が生じる。その一方で、電子の動き方によってはほかの電子の影響をあまり受けずに済む場合もあり、このような2種類の状態の電子が混在する複雑さが重元素化合物の特徴のひとつとなっている。
国際共同研究チームは、ひとつの電子が比較的自由に動ける場合とそうでない場合のふたつの特徴の解析がカギになると考察。その二面性を持つ電子の振る舞いを同時に扱うため、大きく発想の転換を試みたとした。その結果、通常とは異なる量子力学原理である「非エルミート量子力学」ならより的確に重元素化合物における電子の運動を捉えられることを発見したのである。
通常の量子力学では、方程式に従ってエネルギーを計算すると、必ず実数になる「エルミート性」と呼ばれる性質があり、根本的な原理となっている。しかし、物質の両端に電流を流し続ける場合など、特殊な条件下では、電子のエネルギーを計算すると実数にならない場合がある。2乗するとマイナスの数になる概念上の数字である「虚数」と実数の和である「複素数」になることがあるのだ。こうした特殊さを扱うのが「非エルミート量子力学」であり、通常の量子力学では、表現できないさまざまな特異な現象を予言することが可能となるのだという。
そして今回の研究では、非エルミート量子力学を用いることで、電流を流し続けるような特殊な条件を考えなくても、電子がほかの電子の影響を強く受け、互いに影響し合う様子を記述できることが発見された。
重元素化合物では、自由に動ける電子とそうでない電子が混在しており、後者は同じ方向に進もうとしても、すぐにほかの電子に邪魔されて元の状態に居続けることが不可能となる。つまり、このような通常の量子力学ではありえない「途中で消えてなくなる電子」という描像を捉えるため、「非エルミート量子力学」を使うと、簡単にかつ正しく現象が解析可能になるのだという。
実際、この理論に基づき、電子のエネルギーの計算が行われたところ、特異な量子現象である「フェルミアーク」が重元素化合物においても観測されることを初めて予言することが可能となったとした。
物質中では、電子が原子核やほかの電子の影響を受けつつ、さまざまな方向に、さまざまな速さで移動していることから、電子のエネルギーについての計算も、さまざまな方向と速度(運動量)について実施。それをグラフ化すると、物質の構造を反映した形となるのである。
通常、そのグラフはなめらかな形で、ある高さで切った断面(等高線)は必ず輪を描くのに対し、等高線が途中で途切れてしまう場合がある。このような形は、輪の一部の円弧(アーク)になっていることから、「フェルミアーク」と呼ばれ、高温超伝導物質などで、これまで観測されてきた。重元素化合物においてはまだ観測されていないが、今回の計算で観測され得ることが導き出されたのである。
なお、「非エルミート量子力学」で計算される電子のエネルギーは複素数になるが、これは現実に存在し得ない概念上の数であり、実験で測定されるエネルギーはもちろん実数となる。つまり、得られる複素数のエネルギーとは、その実数部分が実験で観測されるエネルギーに対応する一方、「電子が消える」という効果が虚数部分に効果的に取り込まれていることを意味しているのだという。実際に電子が消えることはないというが、電子同士が互いの状態を変化させる様子を考える際、「消える」ように見えるということを表現できたことを意味しているとした。
このような場合、電子の運動量とエネルギーの関係についてグラフを描くと、直線的で尖った奇妙な形が得られることが判明した。この形は、エネルギーを実数に限って計算する従来の量子力学の場合は決して得られず、高温超伝導物質などの強く電子が相互作用し合う物質でのみ観測される「フェルミアーク」に該当する。
国際共同研究チームは今後、今回の研究成果に基づき、重元素化合物でも「フェルミアーク」を観測する実験が行われ、今回の予言が確認されることを期待するとしている。そして予言が的中すれば、これまで解析が困難だった物質の基本的な性質を理解するための大きな手掛かりとなるという。
また今後、「非エルミート量子力学」を用いた量子シミュレーションにより、従来手法では存在を予測することさえできなかった重元素化合物が示す特異な性質を、計算で詳細に明らかにすることが可能になると考えられるとする。
まだ謎の多い重元素化合物や高温超伝導物質などで見られる、強く影響を及ぼし合う電子集団の量子力学的振る舞いについて、コンピュータ上でさまざまな現象を予測することが可能になれば、これらの現象を利用した新しい機能を持った材料を設計・開発するといったことも近い将来、現実になることが期待されるとしている。