東京大学(東大)は2月3日、マウスを用いて、その背側前頭皮質内側部が報酬の有無とそれに関連する感覚表現においてほかの皮質領域より特異な場所であり、「報酬がもらえないだろう」や「報酬がもらえなかった」ことを強く表現することを、光遺伝学による神経活動操作や、広域カルシウムイメージング、2光子カルシウムイメージングによって明らかにしたと発表した。
同成果は、東大大学院 医学系研究科 機能生物学専攻 生理学講座 細胞分子生理学分野の近藤将史助教、同・松崎政紀教授(理化学研究所 脳神経科学研究センター 脳機能動態学連携研究チーム・チームリーダー兼任)らの研究チームによるもの。詳細は、ライフサイエンスを扱うオープンアクセスジャーナル「Cell Reports」に掲載された。
動物が生きていくには、外界からの感覚入力を手がかりに、適切な運動(行動)をすることが重要だ。どのような感覚情報が生存に重要かを決める要素のひとつが、水や食物などの「報酬」である。それを端的に示す現象が、ベルを鳴らしてからエサを上げると、最終的にはベルの音を聞いただけで唾液を分泌するようになるという、有名な「パブロフの犬」に代表される古典的条件付けだという。
脳において、報酬信号の処理は大脳皮質以外の場所で、一方で報酬を予期させる感覚入力は主に大脳皮質処理されていることが、これまでの研究によって理解されている。しかし「パブロフの犬」のように、感覚入力と情報を結びつけるのに重要な脳部位がどこなのかは諸説あり、これまでははっきりとわかっていなかった。そこで研究チームは今回、マウスの大脳皮質、中でも前頭皮質における感覚入力と報酬を結びつける神経活動の検証を実施することにしたのだという。
今回の研究では、まず感覚入力と報酬の関係を明確にするため、マウスに音(感覚入力)と水(報酬)による古典的条件付けが行われた。音はAとBの2種類が用意され、試行するごとにランダムにどちらかの音が流されるように設定。音Aのときはそのあとに70%という高い確率で水が与えられ、逆にBのときは30%と低くなる。
このような条件付けが十分なされたあとでは、マウスは音が鳴るとそのあとに与えられる水を期待した行動の「予測リッキング」を示すようになるという。その予測リッキングの頻度は、音Bよりも音Aが鳴ったときにより高くなることが確認された。
そして報酬の有無と、報酬確率と結びついた音が前頭皮質を含む大脳皮質全域の神経活動として表現されているのかを調べるため、広域カルシウムイメージング法を用いた観察が行われた。カルシウムイメージング法は、カルシウム感受性蛍光タンパク質を発現する遺伝子改変マウスと、低倍率かつ明るい光学系を持つ顕微鏡を組み合わせることで、頭蓋骨ごしに背側大脳皮質ほぼ全体の神経活動を可視化することを可能とする技術である。また、脳の領域ごとの平均活動の計測を行えるのが特徴だ。
観察の結果、大脳皮質の各領域は、運動野以外の領域でも、マウスがリッキングするたびに強く、似たような活動を示すことが判明。しかし、領域間の活動の因果性を検証するグレンジャー因果解析が実施されたところ、背側前頭皮質内側部がほかの前頭皮質活動の起始点となっていることが示唆されたという。
なお背側前頭皮質内側部とは、マウスの背中側の大脳皮質を上から見て、最も前かつ内側に位置する領域のことだ。二次運動野の一部にあたり、運動の企画や行動の価値、動物のおかれた状態に応じて活動する細胞が存在することが知られている部位である。
続いて、広域カルシウムイメージング法による観察結果を踏まえ、前頭皮質の各領域における神経活動を、光遺伝学的に抑制したときに予測リッキングの頻度が変化するかが調査された。光遺伝学とは、光活性化タンパク質を神経細胞に導入し、それに光を照射(光刺激)することによって、神経細胞を興奮または抑制する研究手法のことである。
同様の条件付け学習が行われたマウスにおいては、音Aが鳴る試行で背側前頭皮質内側部の活動を抑制しても、予測リッキング頻度に変化は確認されなかった。しかし、音Bのときに活動を抑制すると、音Aと同程度に予測リッキング頻度の上昇が確認されたのである。
また、ほかの前頭皮質領域の活動を抑制しても、このような予測リッキングの変化は見られなかったという。このことは、「報酬が大きく期待できない刺激に対しては期待行動を取らない」ことに、背側前頭皮質内側部が強く寄与することを示しているとした。
以上の結果から、背側前頭皮質内側部が報酬とそれに関連する感覚入力の統合に重要な役割を持っている可能性が示されたとする。これを受け、続いては一つひとつの神経細胞の活動に関しての詳細な調査が行われることとなった。各前頭皮質領域に対し、2光子カルシウムイメージング法により行われた。2光子カルシウムイメージング法は、長波長・超短パルスレーザーを用いる2光子顕微鏡によるイメージング法の一種だ。この方法は空間解像度に優れており、ひとつひとつの神経細胞の活動を観察することが可能である。
そして得られた神経活動は、広域カルシウムイメージングの結果と同様に、マウスがリッキングを行うたびに強く活動しているのが確認されるものだった。一見すると、ほとんどすべての神経細胞がリッキングを表現しているようだという。
そこで「報酬の有無」と「報酬を予期させる音」を表現する神経活動を取り出すため、線形回帰モデルを用いたエンコーディングモデルにより解析がなされた。エンコーディングモデルとは、外部環境のできごと(音提示、報酬など)や運動(目や口の動きなど)を変数として、神経活動を説明する数理モデルのことだ。計算されたモデルから各変数の重みを読み取ることで、ある神経細胞の活動がどのような変数によってよく説明されるか調べることが可能である。
その結果、報酬の有無によって活動が変わる細胞は、前頭皮質に広く存在していることが判明。その一方で、背側前頭皮質内側部には、報酬を予期させる音によって活動を変える細胞が多く存在することが明らかとなった。
さらに、前頭皮質全体の各神経細胞の活動を、エンコーディングモデルから得られた説明変数の重みの時間パターンをもとにした分類がなされた。すると、音A/Bのどちらが提示されたのか、現在の試行での、またはひとつ前の試行での報酬が与えられたかどうかは、ある特定の細胞集団が活動するかしないかではなく、異なる細胞集団がそれぞれに応じて活動することで表現されていることが確認されたのである。
これらの結果から、背側前頭皮質の内側部が「報酬とそれに関連付いた感覚入力」を強く統合する領域であることが明らかにされた。そのうえ、ほかの前頭皮質領域の活動に対する起始点であるだけでなく、「高い報酬が期待できるときは前もって行動し、報酬がそれほど期待できない刺激に対してはほどほどにしておく」といった合理的とも捉えられる行動を作り出すのに重要な役割を持っていることが示唆されたという。
今回の研究成果は今後、報酬を得るために何らかの特定の行動を適切に行う、または行わないで行動コストを節約するといった、より複雑な意思決定を可能とする神経基盤を理解するうえでの一助になることが期待されるとしている。