慶應義塾大学(慶大)は11月27日、高血圧モデルラットに毎日1時間の水素吸入を行わせた結果、血圧を下げる効果があることが証明されたと発表した。

同成果は、慶大医学部 内科学(循環器)教室の佐野元昭准教授、慶大医学部の小林英司特任教授、同・医学部救 急医学教室の多村知剛助教、日本獣医生命科学大学 獣医保健看護学科の袴田陽二教授のほか、菅井和久氏(論文筆頭著者のひとり)、同・上村静香氏、同・藤澤正彦氏(以上、日本獣医生命科学大)、勝俣良紀氏、遠藤仁氏、吉澤城氏、本間康一郎氏、鈴木昌氏(慶大)らが参加した共同研究チームによるもの。また、大陽日酸も共同研究に参加した。詳細は、英オンライン総合学術誌「Scientific Reports」にオンライン掲載された。

脳卒中・循環器病は、国内では年間に約33万人が死亡している疾患だ。日本では急速に高齢化が進み患者数が増加しており、脳卒中・循環器病に関わる医療費は全体の20%の6兆円に達し、増加の一途をたどっている。脳卒中・循環器病は、生活習慣の改善などによりリスクを低減できる疾患だ。中でも高血圧は循環器病の最大の危険因子であり、それを制することが循環器病を制する第一歩といわれている。

日本の高血圧患者は、全体として約4300万人いると推定されている。日本人のおよそ3人に1人が高血圧という状況だ。しかし高血圧患者のうち、治療を受けているのはその半数程度とされ、血圧が健康な値とされる140/90mmHg未満にコントロールされているのは、全高血圧患者の3割にも満たないという。そのため、高血圧対策は喫緊の社会課題となっている。

血圧というと心臓のイメージがあるが、高血圧を招いているのは腎臓と考えられている。腎臓にストレスが加わると、その情報が求心路を介して脳へと伝わり、脳からの交感神経出力が増強。それにより、全身の交感神経に過度な活性化が生じることが動物実験で証明されている。

また酸化ストレスや炎症によっても、脳は全身の交感神経の過度な活性化を生じさせることがわかっている。この交感神経の過度な活性化が、高血圧の発症進展・維持、そして標的臓器障害、最終的には心血管病まで重要な役割を果たしていると考えられるのである。

そうした中、ストレスに伴う心身の過剰な反応や誤作動を緩和することが報告されるようになってきたのが水素だ。水素には抗酸化、抗炎症作用があることが知られているが、動物実験の結果から、高血圧の発症、進展に関わる臓器間ネットワークのどこかに水素が働きかけて降圧効果を発揮している可能性が考えられるとしている。

また、水素が緩和してくれることを示す基礎、臨床研究の結果も報告が増えている。共同研究チームも、2019年にブタを用いた実験系で水素吸入の評価を行ったことを発表。そのときは、頸動脈、門脈、肝上下大静脈の3か所の水素の血液濃度などが調べられ、頸動脈がもっとも脳へ送り届けることができる水素の量が多い可能性が示されたとした。

こうした結果から、吸入という手段を使うことによって、水素を効率よく脳に届けて、脳からの交感神経出力を抑えることにより、血圧を下げられる可能性が考えられるという。しかし水素を吸入する、あるいは高濃度水素水を経口摂取するなど、さまざまな方法で投与された水素の体内動態に関しては十分に解析されていない状況だった。

そこで共同研究チームは今回、大陽日酸と共同でラットを収用するケージ内のガス濃度を均一に保つシステムを開発。このケージで「5/6腎摘慢性腎不全モデルラット」が飼育され、毎日1時間、水素を吸入させて観察が行われた。すると、交感神経活動の過度な亢進が抑えられ、血圧が降下することが確認されたという。

  • 水素吸入

    水素吸入装置開発の概略。(a)ガス検知器は箱の9か所に設置。箱の両側に合計10個の穴が開けられ、箱内の各エリアのガス濃度の均一性の向上が図られた。(b)ガス出口に近い部分では、酸素濃度の低下が早かった。(c)箱の両側に10個の穴が開けられたことで、酸素濃度の低下が9か所すべてで均一になった。(d)水素濃度はすべての領域で一様に上昇し、2分後に箱内の空気は注入された水素含有混合ガスで完全に置換された (出所:慶大プレスリリースPDF)

次に、同じモデルラットを使って、水素含有混合ガス(水素1.3%+酸素21%+窒素77.7%)、もしくは水素非含有混合ガス(酸素21%+窒素79%=ほぼ空気)で満たされているケージ内に、毎日1時間収容する実験が行われた。すると4週間後には、水素含有混合ガスを吸わせたラットでは、水素非含有混合ガスを吸わせたラットと比較して、高血圧が有意に改善していることが確かめられた。

さらに、24時間、無麻酔・無拘束下で血圧・心拍数の記録も取られた。すると、毎日1時間の水素吸入によって、夜行性のラットの活動が活発し、血圧が上昇しやすい夜間においても高血圧が改善していることが判明したのである。

自律神経の活動評価が行われ、するとモデルラットにおける血圧と心拍数の減少と一致して、自律神経の機能障害(交感神経の過度の活性化と、副交感神経活動の過度な低下)が、水素吸入によって改善されることが証明されたとした。

  • 水素吸入

    水素の降圧効果と自律神経機能障害の改善との関連。「5/6腎摘慢性腎不全モデルラット」水素群(赤)および対象群(黒)の夜間1:30~2:30(自発的に活動している暗期)の各個体の経時的データを混合効果モデルにより解析されたもの(*P<0.05)。(a)平均血圧。吸入期間中、水素群では、対象群と比較し有意に血圧が下がっていることが確認された。(b)平均心拍数。吸入期間中、水素群では、対象群と比較し有意に心拍数が減少していることが確認された。(c)交換神経活動の評価指標。水素群では、交感神経活動の有意な低下が観測された。(d)副交換神経活動の評価指標。水素群では、副交感神経活動の有意な亢進が見られた。術前は腎摘出前の記録。水素群(N=3)、対照群(N=3) (出所:慶大プレスリリースPDF)

今回の成果から、水素吸入の降圧効果は、効率的に脳に運ばれた水素が、交感神経系の過度な活性化を抑えるという機序に基づくことが示唆されるという。共同研究チームは、水素吸入が、脳卒中・循環器病の予防や治療の一助になる可能性が期待されるとしている。