東北大学、住友電気工業(住友電工)、高輝度光科学研究センター(JASRI)の3者は10月29日、高速トランジスタ「GaN-HEMT」の課題である「電流コラプス現象」を解決するため、デバイス動作条件下での電子状態の1兆分の1秒かつ100nmという高精度な時空間分解能を有する「オペランド・ナノ時空間分解X線吸収分光装置」を開発し、動作中の条件下でGaN-HEMTの直接観測に成功したと発表した。
その結果、GaN-HEMTの特性を決定する要因のひとつである「表面電子捕獲」の時空間挙動が初めて解明され、その詳細なメカニズムを解明したことに加え、表面保護膜による特性向上のメカニズムをも明らかにしたと同時に発表した。
同成果は、東北大学電気通信研究所の吹留博一准教授らの研究チームと、住友気工、大型放射光施設SPring-8を運用する高輝度光科学研究センターの産官学連携共同研究によるもの。詳細は、米国物理学協会が刊行する「Applied Physics Letters」に掲載された。
GaNと、AlNとGaNの混晶であるAlGaNの界面を電子輸送層として用いたトランジスタであるGaN-HEMTは、Xバンド(数GHz)やミリ波帯(数十GHz)で動作する有望な超高速通信用トランジスタだ。
GaNとその上に成長させたAlGaNの界面において、電子は二次元的に閉じ込められており、高速で動作するという特徴がある。さらに、GaNはバンドギャップ(電子が存在できないエネルギー帯)が大きいため、大出力化が可能だ。GaN-HEMTはこのような優れた特性を有することから、次世代通信技術のキーデバイスのひとつとして期待されているのである。
GaN-HEMTを実用化したのが住友電工で、現在世界1位のシェアを誇る。同社は現在、東北大学とGaN-HEMTや炭素の二次元結晶であるグラフェンなどの二次元電子系を利用した電子デバイスの共同研究を行っている。GaN-HEMTは実用化したとはいっても、さらなる高性能化が必要で、それにはまだ十分には解決されていない課題を解決する必要がある。その最大の課題といわれるのが「電流コラプス現象」だ。
電流コラプス現象とは、高出力動作をさせようとするときに、出力電流が時間的に変動したり、低下してしまう現象のことをいう。電流コラプス現象をもたらしている大きな原因のひとつが、デバイス表面の電子捕獲だ。表面電子捕獲は産業的に重要であるばかりでなく、トランジスタ発明の際に勃興した表面物理学における核心的な研究課題とされる。
GaN-HEMTの電流コラプス現象に関与する表面電子捕獲の機構を解明するのが難しいのは、半導体デバイスの動作機構の解明にこれまで用いられてきたのが、巨視的な電気測定評価法だからだ。同評価法では、局所的な情報を得られない。今回のGaN-HEMTの表面電子捕獲の機構を解明するには、局所的な情報を得る必要があるのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、大型放射光施設SPring-8に設置されている「軟X線固体分光ビームライン」に設置されている「オペランド・ナノX線吸収分光装置」だ。オペランド・ナノX線吸収分光法は、光電子顕微鏡(PEEM)を用いてX線吸収分光法に、100nm以下という高い顕微機能を持たせ、デバイス動作下で行う分光法のことだ。デバイス表面の電子状態および化学状態の観察に最適とされる手法である。
実際に、同装置は動作しているデバイスの表面状態を高空間分解能で観測できる性能がある。という空間分解能だ。これまでに、電圧が印加されたグラフェン・トランジスタやGaN-HEMTの微視的な電子状態の観察に成功してきた実績もある。
ただし、同装置は十分な時間分解能がなく、これまで定常電圧下のみの測定に限られ、実際の高周波動作下での測定は困難という課題を抱えていた。GaN-HEMTの表面電子捕獲の機構を解明するには、時間分解能をより高性能化する必要があった。
そこで今回、同装置の時間分解能を強化する「オペランド・ナノ時空間分解X線吸収分光法」を用いた研究を共同研究チームがスタートさせた。そして放射光X線のパルス性を活用したシステムが構築され、オペランド・ナノX線吸収分光装置に高い空間分解能に加えて高い時間分解能を備えた「オペランド・ナノ時空間分解X線吸収分光装置」の開発に成功したのである。
同装置の最高空間分解能はこれまでと同等の100nm以下だが、最高時間分解能は100ps以下という性能が備わった。また、同装置は電圧印加下で電子状態観察が行える点も大きな特徴で、分光測定と同時に電気特性評価が行えるなど、機能の追加や高性能化が行われた。
同装置を用いた、GaN-HEMTの表面電子捕獲に関する実験結果から、印加電圧を切った直後のゲート電極近傍においてのみ、測定スペクトルが弱化することが見て取れたという。
このスペクトルの強弱は、表面Ga原子の共有結合度により決まる。このスペクトルの弱化からいえることは、「Ga+ + e- = Ga」のような電気化学反応が、印加電圧を切った直後のゲート電極近傍においてのみ起こることを意味するという。
今回の観測結果から、共同研究チームは、表面電子捕獲の時空間的挙動を説明する新たなメカニズムを提案することに成功したという。その内容とは、電圧印加直後では表面電子捕獲はゲート電極近傍のみで起こっており、時間が経つとゲート電極から離れた所へ電子がホッピングしていくというものだ。
従来の電気的手法を用いたのみの観測では、このような時空間的な挙動を説明するメカニズムを提案することは困難だという。このメカニズムはDC電圧下と高周波電圧下での電流コラプス現象の違いをうまく説明することができるといい、高周波動作条件下での安定動作を行うための設計に役立つものだとしている。
共同研究チームは現在、今回得られた成果に基づき、電流コラプス現象を考慮した、デバイス・モデリングの研究を進めているという。これまではブラックボックス的であったモデリングを、機械学習の援用により、固体物性論に基づいてホワイトボックス的にモデリングする手法を開発しているとした。
ホワイトボックス化することで、これまではデバイス開発者が有する暗黙知もしくはノウハウと呼ばれてきたものを、形式知、つまり言語化することが可能となるという。この言語化は、デバイス開発者と物性研究者が同じテーブルの上で議論することを可能とし、新たなデバイスを生む土壌を醸成するものとなることが期待されるとしている。