情報通信研究機構(NICT)は10月6日、従来の10倍以上の周波数帯域を同時に観測・データ処理可能な広帯域VLBI観測システムを開発し、日本とイタリアそれぞれの直径2.4mの小型アンテナを使って、NICT本部とイタリア国立計量研究所(INRiM)本部の間でそれぞれが運用する光格子時計の周波数比を16桁の精度で計測することに成功したと発表した。

同成果は、NICT電磁波研究所時空標準研究室の関戸衛副室長、同・井戸哲也研究室長のほか、INRiM、イタリア側の小型アンテナを運用するイタリア国立天体物理学研究所(INAF)、国際度量衡局(フランス)の研究者らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、英科学雑誌「Nature Physics」に掲載された。

時間の基準は技術の発展と共に移り変わってきており、現在は、セシウム原子の91億9263万1770Hz(約9.2GHz)という共鳴周波数が用いられている。セシウム原子の共鳴周波数の周期(91億9263万1770分の1秒)の91億9263万1770倍が1秒という定義だ。そして、世界最高精度のセシウム原子時計は、正確な1秒間を±1京分の1.1秒の精度で実現している。

そうした中、近年になってセシウム原子時計の精度を超える光格子時計およびそれを中心とした複合システムなどが開発されてており、原子の光領域の共鳴周波数(数百テラヘルツ)を基準とすることへの変更も検討されている。例えばNICTが開発したストロンチウム光格子時計は、±10京分の5秒の精度を持つ。セシウム原子時計の2倍以上の精度である。

光格子時計は、精密な周波数の光を発する複数の原子を、レーザー光線の干渉で作った格子状の井戸に閉じ込め、高い精度で周波数の計測を行うという仕組みだ。NICTの光格子時計はストロンチウム原子の放射する約430THzの周波数が、INRiMの光格子時計はイッテルビウム原子の約520THzの周波数が用いられている。

ただし、一つひとつの光格子時計が精密なのは間違いなくても、それだけで新しい時間の基準として採用することはできない。光格子時計を新たな時間の基準とするには、世界各地の光格子時計の発生する周波数比を精密に確認する方法が必要だからである。要は、世界の複数の光格子時計がネットワークして同期していなければ、意味がないのである。

遠く離れた国同士の時計で周波数比較を行うには、これまで通信衛星や測位衛星の信号が使われてきた。しかし、光格子時計の精度は現在の衛星のシステムの精度を超えており、不十分という大きな問題が生じている。仮に精度的な点が解決できたとしても、日欧間や日米間のような遠距離の場合、利用できる衛星そのものの数が少なく、測定可能な時間が制限されてしまうという課題もある。

また光ファイバーでつないで光信号を伝送する方法もあるが、こちらも課題が複数ある。遠距離のために信号の減衰が起きてしまう技術的な課題に加え、そのような遠距離で光ファイバーを利用するには莫大な経費がかかるという経済的な観点からも非現実的な手段と考えられている。

そこでNICTが中心となって今回開発したのが、広帯域VLBIシステムだ。VLBIとは超長基線電波干渉法のことで、電波天文観測で用いられている技術である。複数の電波望遠鏡で銀河系外の天体の信号を同時に観測し、天体の信号の到達時間差を精密に計測することにより、数千km離れたアンテナ間の距離をセンチメートル以下の精度で計測できるというものだ。いわば、アンテナ同士の距離がそのまま巨大なアンテナとなるという技術で、2019年4月に発表されたブラックホールの直接観測もこの技術によるものだ。

広帯域VLBIシステムは、広帯域受信機と観測システムと小型アンテナの組み合わせからなる。本来、小型アンテナは集光面積が小さいため、それだけでは数億光年もの彼方の天体から届く微弱な電波を受信し、VLBIに必要な電波の精密な到着時間差(遅延時間)を計測することは困難だ。この課題を解決したのが、「広帯域受信」と「Node-Hub方式」という2つの方法である。これにより、約8800km離れた直径2.4mの2台の小型アンテナを用いた数億光年離れた電波源天体のVLBI観測により、光格子時計の周波数比を16桁という精度で計測することに成功したのである。

広帯域受信の技術的な特徴は、3.2~14GHzという2オクターブ以上の広い周波数帯域を受信に利用できることだ。通常のVLBI観測では2GHz台と8GHz台の周波数帯が用いられるが、広帯域受信機ではこの広い帯域の中から、任意の1GHzの周波数幅を選んで観測する仕組みである。この利用できる周波数の帯域幅を10倍以上に広くしたことに加え、データ取得レートも64倍以上に向上させる新しい観測システム(従来比80倍の性能)も開発されたことで、飛躍的な遅延時間の計測精度の向上が実現した。

なお遅延時間の測定は、各観測局で使用する原子時計によって測定されている。つまり、同時に、各局の基準原子時計の周波数差を精密に比較することも可能だ。要は、今回の研究成果は原子時計で行われていた方法を応用し、光格子時計の精度にまで向上させたものである。

そしてもう1つのカギとなったNode-Hub方式について。VLBIの観測感度は、2つのアンテナ直径の平方根に比例する。つまり、NICTとINAFそれぞれの直径2.4mの小型アンテナは、集光面積が小さいために観測感度が低い。そこで、NICTが運用する大型の鹿島34mアンテナ(茨城県鹿嶋市)を観測に加えることで解決が図られた(画像1)。実は鹿島34mアンテナは1988年の建設から老朽化が進み、2019年の台風15号で損傷。2020年10月3日に運用を終了し、間もなく解体となる。今回の約8800kmの橋渡しは、まさに最期の活躍といっていいだろう。

NICTとINAFの小型アンテナ(それぞれA、Bとする)同士の間では直接観測は困難だが、そこにNICTが運用する大型の鹿島34mアンテナ(Cとする)を加え、A-C、B-Cの観測が行われたのである。この3つのアンテナの環をなすネットワークの遅延量の和はゼロとなる性質があることから、A-C、B-Cの遅延量から、AB、つまり小型アンテナ同士の基線の遅延量を計算で得られるという。なお、この観測遅延量は、鹿島34mアンテナの影響が相殺される点もポイントだ。そのため、重力変形や熱膨張など、大型アンテナで特に大きくなる誤差要因を低減できるという利点もあるとしている。

また今回の周波数比較での誤差要因としては、VLBI観測の対象とした電波源天体の構造の影響もあったという。そのため、今後はその構造を有する天体を利用しないことにすることで、より高い精度での比較を実現できるとしている。

こうして、NICT本部(小金井市)とINAF(伊・ボローニャ県メヂチーナ)の約8800kmも離れた小型アンテナ間で、VLBI技術を用いた光格子時計の周波数比較が実現した(イッテルビウム光格子時計のあるINRiM本部の所在地はトリノ)。

また、今回の広帯域VLBI観測による周波数比較では、電波源を複数の周波数で同時に観測するため、天体の構造などを調べる電波天文学にも新たな知見をもたらす可能性があるという。それに加え、今回の周波数比較は測地VLBIの分野で国際的に設置が進められている全地球VLBI観測システム(VGOS)の観測局を使っても行えることから、測地VLBIが度量衡分野で有効な計測手段となることを実証したとする。

そして、日本標準時の管理を行っているNICTではその正確性を求めるため、GPSや通信衛星によって協定世界時との時刻差を常時確認を行っている。しかし、今回開発された技術を用いれば、米国のGPS衛星など、外国の所有物に頼らずとも時刻差を計測することが可能となることにもメリットがあるとした。銀河系外の天体からの信号を仲介して協定世界時と時刻同期ができるようになることから、日本標準時の安定運用につながるとしている。

さらに国際共同研究チームは、今回の成果により、光子時計の国際的な精密比較に新たな技術が加わったことから、時間の基準(1秒の長さ)の再定義に関する研究が加速されるものと思われるとした。

  • 光格子時計

    NICT本部(小金井市)の小型アンテナとINAF(伊・メヂチーナ)の小型アンテナのは約8800km。NICTのストロンチウム光格子時計と、INRiMのイッテルビウム光格子時計は、鹿島市のNICT鹿島34m大型アンテナを加え、こうして周波数比較が可能となった (出所:NICT Webサイト)