昨今、テレワークで仕事をする人の増加に伴い、契約書、請求書、社内の決裁文書など、さまざまな文書の電子化を進める企業が増えています。一方で、文書の電子化は社内文書のように自社の取り組みだけで比較的簡単に実現できるものもあれば、契約書のように他社の協力が必要で自社だけでは電子化を進めることができないものもあります。
特にハンコ文化を持つ日本人にとって、押印された紙の書類は電子書類よりも信頼できるという安心感も与えてくれます。そこで今回、契約書の電子化に興味はあってもなかなか始められない方々のために、電子契約を始める上での必要な準備や注意点などについて、法務の専門家である、みなと青山法律事務所の馬渕泰至弁護士にお話を伺いました。
馬渕泰至(まぶち やすし)
みなと青山法律事務所 代表
2002年弁護士登録、2010年税理士登録。弁護士登録後、青山学院大学大学院において税法務を専攻。現在は、税務と法律の重なる領域を専門分野とし、中小企業法務、税理士事務所の法的支援、相続紛争、税務争訟などに積極的に取り組み、著書も多数ある。
ライフワークとして、子どもの権利擁護活動にも取り組んでおり、子どもシェルターを運営する社会福祉法人カリヨン子どもセンターの理事を務める。
日本特有の押印文化
--テレワークを進める企業が最近増えていますが、それに伴い電子契約も増えていると聞いています。馬渕先生のクライアントで、すでに電子契約を導入している企業はどれくらいありますか。
馬渕氏:正確にはわかりませんが、まだそんなに多くはないと思います。実感として2割ぐらいではないでしょうか。社内規定として、紙の契約書でないといけないという会社もまだ多いです。
規定があるということのほかに、日本人には紙の書類に印鑑を押すという行動によって「承認した」「よし、頑張ろう」と思うような感覚があると思います。そのため、こうした規定や法的な観点以外の部分で、紙で契約をすることの意味合いが意外と大きいのではないかと感じます。
--文化、慣習的なものですよね。確かにそういう感覚があるような気がします。そうした感覚的なものの影響は大きいですね。
馬渕氏:そうですね、皆さん頭では電子契約サービスを使えば便利なのだろうとは思っていらっしゃるようです。実際、クライアントからそのような話を聞くことがあります。
ただ、電子契約サービスの利用にはサービスの利用手続きが必要で、自社だけが電子というわけにはいかないので、相手にも電子で契約するための社内ルールなどを整備してもらわないといけない。その手続きが相手企業に手間をかけてしまうため、電子契約をしたいと思っていても相手に強く要求できない事情があるように思います。
--相手にも手間をかけてしまうかもしれない、ということですね。確かにお客様に対して、要求するのは難しいところもありますね。こうしたハードルを下げる方法はないものでしょうか。
馬渕氏:法的には、口頭でも契約は成立します。契約書はなくても良いのです。ただし、口頭ではその証拠を残すことが難しいため、一般的には合意事項を契約書の形で書面として残す企業が多いでしょう。証拠を残す、ということでしたら契約者同士のメールのやり取りも契約の証拠になります。
実際、私も継続的にお付き合いをしているクライアントとの間では、メールでやり取りをすることで、煩わしい契約の手間を省くことがよくあります。
--メールが契約の証拠になるのですか! もしそれで良いのなら相手にも手間をかけないのでかなりハードルが下がりますね。具体的に、どういうやりとりを残すべきなのでしょうか。
馬渕氏:例えば、私がクライアントから訴訟の依頼をメールで受けたとします。そのメールに返信する形で「今回ご依頼の件の弁護士費用は〇〇でよろしいでしょうか」と依頼主に送ります。それに依頼主が「はい、これでお願いします」と返信すれば契約は成立し、そのメールが契約の証拠になります。
メールのやり取りを複数回往復しながら合意を積み上げていく形の場合は、最後に合意内容をまとめて「この内容でいいですね」という確認をして、それに返信をもらうようにしています。
もちろん、メールに書面を添付するなどしてやりとりすることも可能ですが、添付ファイルよりもメールの本文に契約に関する重要事項や合意事項を記述したほうが、合意に至るまでの流れが明確になりますし、何より楽です。
メールと契約書では法的な差はない
--すごく驚きました。メールだと偽造や誤削除などのリスクがありそうで信頼性に不安を感じますが、メールと契約書で法的な差はないのでしょうか。
馬渕氏:契約の効果は、メールの往復も契約書も全く同じです。むしろ裁判では、メールの方がやり取りの流れを追うことができるので、どこで両者の理解が違ってきたかなど経緯がわかり、証拠として重宝されているように感じます。
確かに、自分のメールソフトの中でメールを削除したり、印刷するときに修正を加えたりすることができるかもしれませんが、メールは当事者双方が履歴を持ち合っています。自分がメールを削除しても、相手側のメールは消せませんし、偽造も簡単ではありません。
ちなみに、長く弁護士をしていますが、通常のビジネスに関する紛争で、契約書が改ざんされたり偽造されたりするケースはほとんどなく、裁判で改ざんや偽造が争点となることもほとんどありません。争点となるのは契約の解釈であることが多いです。
ですから、電子契約でよく改ざんや偽造ができない、という点をメリットに挙げていることを目にしますが、改ざんや偽造が重大なリスクという訳でもない気がしています。重要なのは当該内容につき、本当に意思の合致があったのかという点だと思います。
ところで、裁判上、本人名義の署名や押印があれば、当該文書は本人の意思に基づいて作成されたものと推定されるのですが(「二段の推定」といいます。)、電子契約書において、電子署名法に基づく電子署名(厳格な本人確認が要求されます)がなされていた場合も、本人の意思によって作成されたものと推定されるものとされており、本人名義の署名や押印と同程度の証拠力を備えることができます。
もっとも、電子契約サービスの中には、電子署名法に基づく電子署名ではなく、メールアドレスを本人確認の根拠として使うサービスも結構あると聞きます。そうすると、そのようなサービスは法的な証拠力の観点では、実はメールでのやり取りと大差ないといえます。
コロナ禍でテレワークが増加し、電子契約のニーズは増える
--電子契約サービスの種類によっても証拠力が変わってくるのですね。お話しを聞いていると、契約書をやめてすべてメールでやりとりすればよい気がしてきたのですが……。
馬渕氏:メールを推しすぎましたね(笑)。もちろん契約書は重要です。契約書は合意した内容が整理され誤解のないように記述されています。ですので、内容や条件が多い複雑な契約、金額が大きい契約、初めての相手との契約などはやはり契約書を使うことを推奨します。そして電子契約なら業務の効率化も期待できるでしょう。
さらに言えば契約書のように合意を必要としない、注文書や請求書などは、ほぼ全部電子化すべきではないかと思います。紙でやり取りする必要は一切ないですからね。
--最後に、弁護士としてのお立場から、今後の電子契約に関してコメントを頂けないでしょうか。
馬渕氏:お話ししました通り、契約の証拠力の観点からは紙も電子も、実はそれほど変わらないのです。ですが、業務効率化の観点では、紙よりもメールも含めた電子の方がはるかに効率的だと思います。印紙の節約にもなります。
最近はコロナ禍でのテレワーク増加も影響し、電子契約のニーズは増えているように思えます。今後、押印、ファックス、書簡といった、アナログなビジネス慣習も少しずつ変わっていくのではないかと思います。
著者紹介
トレードシフトジャパン
本稿はトレードシフトジャパンのブログをもとにした記事です。トレードシフトジャパンは、米国サンフランシスコに本社を持つTradeshift Holdings Inc.の子会社で「Tradeshift」の日本国内におけるサービス提供と導入支援サービスを行っています。グローバルな電子取引プラットフォーム上で動作する世界共通のアプリを提供するとともに、日本国内の商習慣や取引プロセスに対応したアプリをリリースしているほか、金融サービスやBPO企業と連携したサービスを日本国内市場に対し提供しています。