米国航空宇宙局(NASA)は2020年5月20日、開発中の次世代宇宙望遠鏡「WFIRST」に、ハッブル宇宙望遠鏡の生みの親となった天文学者にちなみ、「ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡」と名付けたと発表した。
打ち上げは2020年代半ばの予定で、ハッブル宇宙望遠鏡の成果を受け継ぎ、宇宙の膨張や太陽系外惑星など、宇宙にまつわるさまざまな謎の解明を目指す。
ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡
ナンシー・グレース・ローマン宇宙望遠鏡(Nancy Grace Roman Space Telescope、略称「ローマン宇宙望遠鏡」)は、NASAが開発している次世代宇宙望遠鏡で、現在活躍中の「ハッブル宇宙望遠鏡」や、開発中の「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」に続く、宇宙の天文台である。打ち上げは2020年代半ばに予定されている。
NASAや米国の科学界は、最優先に開発を進めるべきと位置づけるなど大きな期待を寄せており、観測が始まれば、ダーク・エネルギーや系外惑星など、数々の宇宙の謎を解き明かすことができると期待されている。
ローマン宇宙望遠鏡は、ハッブル宇宙望遠鏡と同じ口径2.4mの望遠鏡と、そしてハッブルより進んだ撮像装置をもち、ハッブルと同じ感度をもちながら、100倍の領域を撮影することができる。すなわち、ローマン宇宙望遠鏡が撮影する1枚の画像は、ハッブルの100枚の画像と同じ価値をもつことを意味する。
この望遠鏡はこれまで、「Wide Field Infrared Survey Telescope(広視野赤外線サーベイ望遠鏡)」、略して「WFIRST」と呼ばれていたが、このたび天文学者ナンシー・グレース・ローマン氏(1925~2018)の名前が与えられることになった。
ローマン氏は、NASAにおいてハッブル宇宙望遠鏡の構想を立ち上げ、その実現に尽力した、「ハッブルの母」として知られる。
NASAのジム・ブライデンスタイン長官は「NASAが宇宙物理学においてパイオニアになり、そして世界で最も優れた宇宙望遠鏡であるハッブルを打ち上げることができたのは、ローマン氏の優れたリーダーシップと洞察のおかげです」と語る。
「ハッブル宇宙望遠鏡とジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡に続く新しい宇宙望遠鏡の名前として、彼女の名前以上にふさわしいものはないでしょう」。
また、ハッブル宇宙望遠鏡の開発や、WFIRSTの計画立ち上げなどに関わったバーバラ・ミクルスキー元上院議員は「NASAが、"ハッブルの母"であるローマン氏の名前をWFIRSTに付けたことは、女性参政権100周年の記念にふさわしい出来事です」と語る。
「これは科学における女性の優れた業績をしっかりと評価するとともに、これ以上"隠された人材(hidden figures)"や、隠れた宇宙の謎のない時代に、私たちを導いてくれることでしょう」。
ナンシー・グレース・ローマン氏
ローマン氏は1925年にテネシー州で生まれ、子どものころから科学に強い興味を持っていた。当時はまだ、いま以上に女性が科学の道へ進むのが難しい時代だったが、ローマン氏は粘り強く勉強を続け、7年生(7th Grade)のころには将来の夢を天文学者に定めていたという。
その後、シカゴ大学に進学し、恒星の組成と、それが天の川銀河の進化に与える影響について研究。卒業後は米海軍研究所に就職し、電波天文学を研究した。
そして1959年、ローマン氏は設立されて間もないNASAに転職。ここでは一転して研究者ではなく、天文学部局の局長という、天文学関連のプログラムや助成金を管理する立場となった。ローマン氏は後年、このことについて「この仕事に就くことで研究ができなくなることはわかっていましたが、これから何十年にもわたって天文学の役に立つであろう大きなプログラムを、ゼロから創り上げるという挑戦の魅力には抗えませんでした」と振り返っている。
このころもまだ、科学の世界に女性が入ることは難しい時代ではあったものの、NASAでは基本的には男女が平等に扱われていたという。ただ、場合によっては、自分の名前に「博士(Dr.)」とつけなければ、NASAの天文学者として認識されなかったこともあったとしている。
当時NASAでは、気球や飛行機、ロケットを使って宇宙の観測を行っていたが、観測できる時間帯が限られており、さらに大気のせいで観測できる電磁波の波長も限られているなど制約が多かった。そのころから、ローマン氏は「昼夜問わず、そして大気が邪魔することなく観測できる宇宙空間に望遠鏡を置くべき」という信念を持っていたという。
ローマン氏のいとこであるLaura Bates Verreau氏とBarbara Brinker氏は「彼女は控えめな人でしたが、信じたことに対しては非常に固い意志を持っていました」と語る。
そしてローマン氏は、自身の役職を活かして宇宙望遠鏡の実現に尽力。1966年から1972年にかけて4機の宇宙望遠鏡を打ち上げた。そのうち成功したのは2機だけだったが、ハッブルの前身となる大きな成果を残した。さらにその後も、欧州などと協力して「国際紫外線探査機(IUE)」や「宇宙背景放射探査機(COBE)」を実現させた。
それと並行して1960年代には、大型の宇宙望遠鏡の開発構想を立案。当時としては途方もない規模のものだったが、ローマン氏は「これからの宇宙科学にとっては絶対必要」という信念を持ち、さらに「アメリカ人一人ひとりが映画のチケット代と同じ金額を支払うだけで、何年間にもわたって新しい科学的発見をもたらすことができるのです」という比喩を用いるなどし、NASAと議会を説得。実現に向けて奔走した。
ローマン氏は1979年、母親の介護のため、NASAを早期退職する。しかし、彼女のこの構想と意思は他の科学者に受け継がれ、そして1990年4月24日、ハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げに成功し、その夢が実現した。
このことから、ローマン氏は「ハッブル宇宙望遠鏡の母(the mother of the Hubble Space Telescope)」と呼ばれている。
ローマン氏はNASAを退職したあとも、女性や若者が科学の道を進むための機会を促進する活動に時間と努力を捧げるなど、女性科学者の草分けであったと同時に、科学を志す女性たちの背中を押す存在ともなった。
ローマン氏は2018年12月25日、93歳で亡くなった。一方、ハッブル宇宙望遠鏡は2020年4月に打ち上げから30年を迎えたいまなお、第一線で観測を続け、数々の成果を挙げている。
参考文献
・News | NASA Telescope Named for 'Mother of Hubble' Nancy Grace Roman
・About the Roman Space Telescope | NASA
・WFIRST Telescope Named For ‘Mother of Hubble’ Nancy Grace Roman
・Family Statement: Nancy Grace Roman Space TelescopeLaura Bates Verreau and Barbara Bates Brinker