科学技術振興機構(JST)は8月22日、得意分野で競い合い、世界中の仲間と出逢う「国際科学オリンピック」が2020年から2023年まで、「生物学」、「化学」、「物理」、「数学」の4教科の順にの4年連続で日本で開催されることを受け、「国際科学オリンピック日本開催」シンポジウムを開催。2020年に開催される「国際生物学オリンピック」の概要について、東京大学 名誉教授で国際生物学オリンピック日本委員会委員長、国際生物学オリンピック2020長崎大会組織委員会委員長でもある浅島誠氏から説明が行われたほか、京都大学 iPS細胞研究所 所長である山中伸弥 教授による基調講演などが行われた。
始まりは研究者ではなく医師
山中教授の基調講演のタイトルは、「iPS細胞がひらく新しい医学」というもの。iPS細胞がどのようなものであり、それによりどのような未来が切り開かれるか、という話はもちろんだが、それ以上に重点的に話されたのは、自分がどのような人生を歩んで、現在に至ったか、ということであった。
山中教授が中学生のころ、父親が怪我の際の輸血が元で肝炎を発症。その症状が悪化していく様を見て、医学に興味を持ち、父親の勧めもあり、医師になることを決意。臨床医となった翌年の1988年に父親が58歳の若さで死去するという不幸に見舞われ、「医者になったばかりの自分にとって、衝撃で、無力感にさいなまれた」と述懐する。また、重症患者を救う手立てがないことに対し、「どうすれば将来、そうした患者を治せるか、と思って、研究の方向に進むために大学院に入りなおして、研究の基礎を学びなおした」と、研究者としての道に至った経緯を説明した。
ちなみに、C型肝炎ウイルスは1989年に発見され、2014年に米国で治療薬(レジパスビル/ソホスブビル、商品名ハーボニー)が発売され、日本でも2015年より販売が開始されている。「これが医学研究者が目指していること。40年前にはどうしようもなかった病気が、研究が進めば、治すことができるようになる。これがやりたいわけだが、我々の仕事は時間がかかる。C型肝炎ウイルスにしても、見つかって、薬が売られるようになるまで25年。こうした長い時間がかかるのが普通な研究分野。我々の仕事は超ウルトラマラソンのような時間のかかる仕事をしている」と、医学の研究には非常に時間がかかることを強調する。
仮説が覆された瞬間 - そこに感じた面白さ
山中教授は博士号を取得後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)グラッドストーン研究所に博士研究員として、31歳にして渡米。「ここで何をしたかというと、仮説を立てて、実験で検証を繰り返す、いわゆる研究」として、トーマス・イネラリティ教授の指導の下、イネラリティ教授が立てた仮説の検証を行っていたという。具体的には、コレステロールが下がれば健康になれるのではないか(肝臓でたんぱく質「APOBEC1」が多く作られた方が、健康になれるのではないか)という仮説のもと、肝臓に人工的にAPOBEC1を多くしたトランスジェニックマウスをつかって健康状況を調査するというもの。その結果について山中教授は、「ある日、マウスの世話をしてくれていたおばちゃんが、血相を変えて、シンヤの飼っているマウスが妊娠したと言うわけです。オス、メス混ぜて飼っているわけだから、そういうこともあるだろうと思ったわけですが、彼女が言うには、妊娠している半分はオスだと。そんなアホな、ということで、そのとき、APOBEC1はオスを妊娠させるのか? とも思いましたが、そんなことはなく、解剖してみた結果、コントロール群の肝臓は正常だったんですが、APOBEC1を発現させた群は、肝臓が大きくなってがんができていた。結果として、APOBEC1はがんを起こす遺伝子だった。当然ボスは蒼白になったわけです。仮説が違ったわけですから」と語るが、自身は、「偶然見つけたAPOBEC1遺伝子ががん遺伝子ということに興奮した」ということで、なぜがん化するのかの研究にまい進。その結果、原因候補として、NAT1(Novel APOBEC1 Target #1)遺伝子の発見に至り、その機能を調べていくうちに、がん抑制遺伝子である可能性のほか、ES細胞にも影響を及ぼすことが分かったという。
偶然? それとも必然? 発明に必要なものとは?
「浅島先生が発見したアクチビンは、ES細胞からいろいろな細胞ができるときに重要なもので、浅島先生がいなかったら、今の研究はなかった。それと同じようにNAT1を調べていくと、ES細胞からいろいろな細胞に変化するのに重要な存在であることが偶然分かった。米国には動脈硬化の勉強をしに行ったのに、偶然にも、自分の研究対象ががんになって、そこからさらに、ES細胞の研究に偶然にも導かれた。将来、こんな研究をするとは思わなかった」と、偶然の積み重ねが今の自分につながったとし、そうした研究から発展した成果がiPS細胞であり、「iPS細胞から、いろいろな細胞を大量に作り出すことができるので、それを再生医療と薬の開発への活用を現在、進めている」と、現在の研究内容を説明した。
最後に山中教授は発明という行為に対し、「必要は発明の母、という言葉があるが、iPS細胞は最初になんとか患者を治したい、という必要にかられて医者になったが、それだけではたどり着けるものではなかった。予想外の結果。偶然であった。自分でも出会うとは思わなかった結果に出会ったということ。つまり、"偶然は発明の父"といえる。偶然を大切にすることが重要だと思う」と語り、父と母の両方が揃うことが発明には重要なことだとし、参加した将来、研究者を志す大勢の子供たちにエールを送っていた。
科学は面白い
なお、山中教授の講演後、同氏ならびにアマゾンジャパン社長のジャスパー・チャン氏、国際生物学オリンピックに日本が初めて参加した第16回大会で銅メダルを獲得した初代メダリストの岩間亮 東大大学院 助教、2019年7月にフランスで開催されたばかりの「第51回化学オリンピック」で金メダルを獲得した末松万宙くんが参加したパネルディスカッションも開催された。
モデレーターを務めた池上彰氏は、山中教授の講演内容に触れ、「最近は、気取った言葉で偶然のことをセレンディピティ(serendipity)という人も居るが、そういう偶然は、一生懸命研究をしていたから、気づいたものだと思っている」と偶然に至るためには、その前提が重要であることを強調。令和時代の科学技術はどうなっていくのか、国際科学オリンピックで得た経験とはどういうものか、世界のテクノロジーに対する動きと日本の動向、日本の研究はどうあるべきかなどについて、各人が意見を述べた。最後に参加者たちへのメッセージを求められた山中教授は、「どうやって子供に科学の面白さを伝えていけるかは、本当に大切。私の研究所もScienceコミュニケーターを何人も抱えて、彼らが科学の面白さを伝えてくれているが、自分も子供の頃に読んだ科学の月刊誌についていた付録を覚えている。あの当時は、アルコールランプとかも付いてきて、こたつの上を火の海にして母親に怒られたこともある。ああいう気持ちに子供たちになれるように少しでも貢献したい。科学の面白さを伝えたい」と、子供の頃の科学に関する体験の重要性を強調。そうしてはぐくまれた科学に対する面白いと思う心を少しでも社会に広げていくために少しでも貢献していければ、としていた。