岩手県釜石市の仮設住宅および復興公営住宅の見守り/見回りサービスにおいて、Dynamics 365が活用されている。特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンターが行っている「生活再建移行期被災者支援連絡員事業」では、ピーク時には、66団地3164戸の仮設住宅を毎日訪問し、住民をサポート。生活環境の確認と、快適な生活が送れていることを確認しながら、地域コミュニティの形成を支援したり、困りごと解決に取り組んだりといった重要な役割を担ってきた。その際の巡回記録作成や相談記録の作成にDynamics 365を活用。高いセキュリティ環境を活用して、個人情報を保護しながら、連絡員による効率的な作業を実現している。釜石市を訪れてその様子を追った。
2011年3月11日の東日本大震災において、釜石市は大きな被害を受けた。2019年6月に釜石市が発行した「復旧・復興の歩み」では、震災による死亡者数は、行方不明者数152人、関連死認定者数106人含み1064人。市内1万6182戸のうち、29%にあたる4704戸が全壊および半壊、一部損壊の被害を受けた。
市内では、震度6弱の地震を観測。最大で9.3メートルの津波が釜石市を襲い、その波は、防波堤を超え、市街地に流れ込み、引き波が街中のあらゆるものを奪い去っていった。
釜石市の野田武則市長は、「震災から8年を経過したが、いまでも約150世帯が仮設住宅で暮らし、厳しい生活をしている。復興はまだ道半ばだといわざるを得ない。だが、道路が整備され、宅地が造成され、着実にハードウェアが整ってきた段階にある」とする一方、「鵜住居小学校では、子供たちが自らの判断で高台を目指して登っていき、学校にいた子供は全員助かり、釜石の奇跡とも言われている。従来は、国や自治体の指示や情報を待ってから避難をしていたが、東日本大震災をきっかけに自分で判断して、自分で避難をするという考え方が定着した」とも語る。
釜石市は、これまでに幾度もの大きな被害を受けている。
1896年(明治29年)の三陸沿岸の大津波では6687人が死亡。1933年(昭和8年)の三陸大津波では死者183人、行方不明者224人という被害をもたらした。1945年(昭和20年)には、第二次世界大戦で、2度に渡る米英海軍による艦砲射撃を受けて、694人の死者と、全焼家屋2930戸、全壊家屋180戸という被害を受け、さらに、1960年(昭和35年)のチリ地震津波、1968年(昭和43年)の十勝沖地震では、いずれも死者はなかったものの、それぞれ6億円規模の被害が発生した。
一方で、1857年(安政4年)に、近代製鉄の父と呼ばれる南部藩士の大島高任氏が、釜石市内に西洋式高炉を建造。1880年(明治13年)には官営釜石製鉄所が完成し、それ以来、鉄鋼の街として栄えてきた。現在も日本製鉄の釜石製鉄所が稼働している。
また、1985年には、新日本製鐵(現日本製鉄)釜石ラグビー部が、日本選手権7連覇を達成。2019年に開催されるラグビーワールドカップの開催地に、スタジアムがないにも関わらず立候補をして、開催都市に選ばれた。2018年には、球技専用スタジアムとして釜石鵜住居復興スタジアムが完成し、ラグビーワールドカップの試合が行われるなど、ラグビーの街としても知られている。