現世人類が約3万年前に日本列島に渡った1つのルートとされる台湾―南西諸島間の海洋を丸木舟で実際にたどる航海に国立科学博物館のプロジェクトチームが挑戦し、9日午前、目的地の沖縄県・与那国島に無事到着した。プロジェクトは日本人の祖先がどのような困難を乗り越えて日本列島に渡ってきたかを実体験し、当時の航海技術水準などを探るのが目的。チームは台湾東岸を7日午後出発、海図などは持たず、太陽や星の位置だけを頼りに夜を徹しての孤独な航海を完遂させた。

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    こぎ手5人を乗せ9日午前11時半すぎに与那国島のナーマ浜に到着した丸木舟(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

日本人の起源についてはさまざまな説、見方があるが、約20万年前にアフリカで生まれたとされる現世人類はその後アフリカを出て約3万8千年前以降、日本列島に進出したと考えられている。今回実験航海の対象になった台湾から南西諸島に渡るルートのほか、朝鮮半島から対馬を経て九州北部へ渡るルートや、サハリンから北海道に渡った後南下するルートの3ルートがあったとみられている。このうち現世人類は朝鮮半島から最初に日本列島に到達。台湾からのルートでの渡来はその後と考えられている。

3ルートのうち、特に台湾からのルートでは、日本人の祖先がどのような手段で荒波を乗り越え海を渡って南の島々に移り住んだのかなど、詳しいことは分かっていない。このため、海部さんらのチームは、台湾からの渡来ルートとみられる約3万年前の航海を再現しようとこの壮大なプロジェクトを計画した。

このルートでの渡来には、世界最大規模の海流である黒潮という「関門」を超える航海術が必要だった。南西諸島にはこれまで遺跡から丸木舟作製に必要な石おのが見つかっていない。チームは当初、草や竹の舟で渡ったのではと考え、プロジェクトが本格始動した2016年以降これらの舟を再現して意欲的な実験航海に臨んだ。草の舟はヒメガマという自生の草を束ねた草束舟、竹の舟は竹で組んだいかだのような舟だった。

2016年7月に行われた草束舟による与那国島から西表島までの実験航海では黒潮の潮流が速い中で舟の速度が思うようには出なかったことなどから予定地に到達したものの人力だけでの単独航海はできなかった。このためチームは、黒潮を渡るには丸太の舟が必要だったのではないかと判断。今回、最後の挑戦として石おので切り倒したスギの丸木舟を使った。

今回、当時の想定航海技術水準に合わせて、衛星利用測位システム(GPS)はもちろん地図やコンパスも使わず、風や星を手掛かりにした。伴走船も手助けしなかったという。

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    与那国島に向かう丸木舟(伴走船から撮影)(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

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    完成した丸木舟。何度も試作、改良している(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

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    黒潮の流れの中でのこぎ方練習。舟は今回使われた丸木舟ではない(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

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    2016年7月に行われた、草の束でできた舟での航海前の様子(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

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    台湾から与那国島までの航路には黒潮が流れている(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム)

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    3つの渡来ルート(提供・国立科学博物館/「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」チーム) 背景地図:GeoMapApp (www.geomapapp.org)/ CC BY

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