月は、生まれつつある地球に火星サイズの天体が衝突し、その破片が地球のまわりで寄り集まってできた――という「巨大衝突説」が、月の成因として有力だ。手元の天文学辞典には、そう書いてある。月の成分が地球の成分とよく似ていることの説明も、これでつきそうだ。
ところが、すこし困ったことがある。この出来事をコンピューターでシミュレーションしてみると、うまい具合に地球の岩石がまわりに飛び散らない。衝突直後の岩石は、猛烈なエネルギーで加熱されてガスになっていると考えられているが、その出所は衝突してきた天体のものが多くなり、それが月の主成分になってしまうのだ。この天体がかりに地球と同一の成分でできていたら、こうしてできた月も地球とおなじ成分になるが、その確率はそう高くないだろう。やはり、月の材料は地球から飛び出したと考えるのが自然だ。
海洋研究開発機構の細野七月(ほその なつき)特任技術研究員らのグループは、地球から飛び出した物質が月のおもな材料として宇宙空間に残る過程をコンピューター・シミュレーションで再現することに、世界で初めて成功した。これまでのシミュレーションとの大きな違いは、地球を液体であると仮定したことだ。
現在の地球は、表面積の7割が液体の海で覆われている。だが、太陽系の一惑星として約46億年前に生まれた直後の地球の「海」は、それとは違っていた。高温でどろどろに溶けた岩、つまりマグマで覆われていたのだ。水の海ではなくてマグマの海。これをマグマオーシャンという。
月は地球誕生のごく初期にできたと考えられているので、マグマオーシャンの地球に他の天体が突っ込むという想定は、ごく自然なものだ。だが、これまでは、固まった地球に固まっている他の天体が衝突したと仮定してシミュレーションが行われてきた。溶けたマグマに外から天体が突っ込む場合の計算方法がわからなかったからだ。
その方法を開発したのが細野さんらのグループだ。高温・高圧にさらされた岩石中の分子の動き、蒸発の仕方など、液体の岩石に特有の性質を計算に取り込んだ。誕生初期の地球は、中心には鉄を主成分とする「核」があり、その外側を固体の岩石が取り巻き、その外側を液体のマグマオーシャンが覆っていたと考えられている。そこに火星サイズの固体の天体が、地球をかすめるような角度で衝突した。このシナリオをコンピューターで再現することが、細野さんらの研究で初めてできるようになった。
その結果、巨大衝突の動乱期が衝突から40時間あまりでひと段落すると、地球のまわりに残った物質の多くは、地球の岩石に由来していた。これがやがて月になる。米国のアポロ計画で持ち帰った岩石などからわかっている「月の成分は地球と似ている」という事実とつじつまのあうシミュレーション結果が、初めて得られたのだ。
その過程を、すこし細かく追ってみよう。巨大衝突が起こると、まずは外から来た天体と地球のそれぞれから同じくらいの量の物質が、地球の周囲に飛び散る。衝突から6時間あまりたつと、衝突した天体の残りの部分が地球に落ちてくる。そのころ、地球のまわりを回っている物質の一部が集まって塊になり、衝突から40時間ほどで地球に落ちてくる。この2度目の落下物には衝突した天体の成分が多く含まれており、したがって、これ以降に地球のまわりを回っている残りの物質には、もともと地球からやってきたものが多くなる。天体が衝突するときの速さや角度にもよるが、重さのおよそ7~8割が地球由来の物質になるという。
「お月さんって、どうやってできたの?」。子どもの心にも浮かびそうなこんな素朴な疑問に答えようと一線の科学者たちが奮闘し続けているのも、また科学の面白いところだ。専門分化して私たちの生活感覚から遠ざかっていく科学も多いなかで、細野さんらの研究は、いやいや科学はけっこう身近にあるのだということを思い出させてくれた。
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