気温を測るためには温度計を使い、雲のようすを知るために気象衛星から撮影した画像を使う。こうした計器や観測装置を使い、世界の気象の状況がわかるようになったのは、せいぜいこの100年くらいのことだ。水温や塩分、極域で氷が浮いている範囲といった海の全体像は、20世紀の半ば以降の観測で、やっと明らかになってきた。
観測機器がなかった昔の気温や水温などを知りたければ、なにか代わりになるものを使って、間接的に推定するほかない。その代表的なものが木の年輪だ。温帯など季節に変化のある地域で育つ木には、1年にひとつずつ年輪が増えていく。寒い気候が続けば、木が育ちにくくて年輪の幅が狭く、温かいと広い。現在も生きている木なら、それが今から何年前かもわかる。サンゴの骨格に含まれている酸素には、ふつうの酸素と、それよりやや重い酸素がある。その割合から、この酸素が取り込まれた時点の海水温や塩分がわかる。あるいは、古文書に春の花見の記録があれば、そのとき桜が咲いていたのだと考えて気温を推定する。大気や海洋の状態を間接的に推定できるこうした「年輪の幅」「酸素の割合」などの指標を「プロキシ」という。「代用品」という意味だ。
昔の地球は、どのような状態だったのか。観測機器がないのだから、それを知るにはさまざまなプロキシが必要だ。使えるものなら、なんでも使う。個々のプロキシにはどうしても不確かな部分が残るので、いろいろなプロキシから得られた情報を照らし合わせて、できるだけ正確な過去の状況を再現していく。
北海道大学の飯塚芳徳(いいづか よしのり)准教授らの研究グループが試みたのは、永久凍土の地下に眠る氷を使って、北極海の状況を推定する方法だ。現在の地球温暖化では北極に近い高緯度での昇温幅が大きく、北極海の海氷も減ってきている。過去の海氷は、どんな具合だったのか。海面が夏になっても氷ですっかり覆われていた時期はあるのか――。研究の結果、氷に含まれる「メタンスルホン酸」の濃度は海の生物の活動量と関係が深く、1万年あまり前に訪れた寒冷期でも、アラスカ沖は海氷に閉ざされていたわけではないことがわかってきた。
永久凍土の地下にあるアイスウェッジとよばれる氷は、降り積もった雪などがもとになってできる。飯塚さんらは2016年、米アラスカ州バロー地域の永久凍土から氷を採取し、そこに含まれている物質を調べた。雪や雨の原料は、海面などから蒸発した水蒸気だ。バロー地域のこの地下氷は、おもにアラスカ沖のボーフォート海から蒸発した水蒸気がもとになっていることが、これまでの別の研究からわかっていた。採取した氷は、今からおよそ1万4000年前から1万2000年前にかけてできたもの。ここに、その当時の海の状況が記録されているはずだ。
氷に含まれているメタンスルホン酸は、植物プランクトンの活動にともなってできる物質がもとになっている。飯塚さんらの目的は、海の状況を復元することだ。そのため、このメタンスルホン酸が陸域の生き物に左右されていないことを入念にチェックし、ボーフォート海の生物活動を示すプロキシとして使えることを確認した。
この氷ができた期間には、「ヤンガードリアス期」とよばれる寒冷期が含まれている。海底の堆積物を使ったこれまでの研究では、この時期にボーフォート海が海氷に閉ざされていたという説も、閉ざされていなかったという説もあった。堆積物による推定では、その真上の海についてしかわからない。飯塚さんらの方法だと、広くボーフォート海全体のようすを推定できる。それによると、ヤンガードリアス期のメタンスルホン酸濃度は高く、海中の盛んな生物活動の影響が、海氷のない海面から大気に及んでいたらしい。つまり、ビューフォート海は全面結氷してはいなかったということだ。
南極の過去は、南極点を中心に広がる南極大陸の氷床が記録している。縦に3000メートルの氷の柱(アイスコア)をくりぬくと、そこには70万年分の海洋環境データが保存されている。だが、北半球の極域に氷床があるのはグリーンランドだけ。しかも北極点ではない。したがって、北極海全体の古い環境を知るには、アイスコア以外の方法が必要だ。飯塚さんらは、そのひとつをみつけたことになる。
今回の研究で対象にしたのは、北極海のうちでもボーフォート海の部分だけだ。飯塚さんは、ぜひ他の場所でも試みたいという。北極域には、地球の気候変化が端的に表れる。過去の北極がよくわかれば、将来の気候予測にも大きく貢献できる。いま北極域は、地球の気候研究にとって興味深いエリアだ。
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