沖縄科学技術大学院大学(OIST)の設立に尽力したシドニー・ブレナー博士が亡くなった。92歳だった。同氏は遺伝学や分子生物学の世界的権威で、2002年にノーベル医学生理学賞を受賞。OISTは、5年一貫制の博士課程を有するユニークな国際的大学院大学として知られるが、博士はその設立準備組織だった沖縄科学技術研究基盤整備機構で2005~2011年に理事長を務めた。
沖縄科学技術大学院大学などによると、ブレナー博士が亡くなったのは4月5日で、自宅のあるシンガポールで92歳の生涯を閉じた。博士は1927年南アフリカ生まれ。英国オックスフォード大学で博士号を取得。1979年に英国の分子生物学研究所所長を務めた。
同博士は、遺伝学や分子生物学の分野で輝かしい研究業績を挙げた。1960年代の初頭にDNAの遺伝情報を基にタンパク質を作る過程で働くメッセンジャーRNAの存在を他の研究者と共同で発見した。また線虫を使い、特定の遺伝子が臓器発生に関連していることを突き止めた業績などが評価されて2002年、2人の研究者と共にノーベル医学生理学賞を共同受賞した。これに先立ち1990年に京都賞(稲盛財団)を受賞。また2017年には旭日大綬章を受章している。
OISTはブレナー博士の功績をたたえ、「博士のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」と表明。ピーター・グルース学長は「博士は、多くの人に偲ばれ、深く人々の記憶に残るでしょう」とコメントした。また博士の逝去を悼むOISTの広報文は博士による以下のような言葉を紹介している。「科学の進歩は、重要な順番に、新技術、新発見、そして新たなアイデアにかかっています。イノベーションは未知のものへの挑戦からのみ生まれます。そして、創造性とは、間違ったことを言うことを恐れないということです」。
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