新古今和歌集、小倉百人一首などを編んだ藤原定家が鎌倉時代に残した「明月記」と、福島県会津若松市に保存されている江戸時代の天文台の建屋が、日本天文学会(柴田一成会長)の第1回日本天文遺産に認定された。

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    図1 明月記で超新星の記録が書かれているページ(冷泉家時雨亭文庫提供)

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    図2 すばる望遠鏡で撮影した「かに星雲」。(国立天文台提供)

日本天文学会は、日本の天文学や暦学にとって歴史的価値の高い史跡や建造物、測定装置などの品物、文献を認定し、次世代へ伝える日本天文遺産の制度をこのほど創設した。初回の今回は、学会員から推薦のあった25件から明月記などの2件を認定した。

国宝に指定されている明月記は定家(1162~1241年)の自筆日記で、定家が見聞きした日食や月食、オーロラなどの天文現象も記されている。たとえば「客星」は急に現れた星を意味しており、恒星が寿命の最期に爆発して明るく輝く「超新星」や彗星(すいせい)などが含まれる。イタリアのガリレオ・ガリレイが望遠鏡を使って天体観測したのは1609年。それ以前の1006年、1054年、1181年に出現した三つの超新星が記録されている。1054年に現れた超新星の残骸が、現在の夜空に浮かぶ「おうし座」の「かに星雲」だ。定家が生まれる前の現象で、過去の「客星」を調べる過程で記録したものだ。柴田会長によると、1054年の超新星はヨーロッパでも記録がなく、こうして3件もの超新星が記録されている古い文献は世界唯一。天文学上の価値は高いという。

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    図3 会津日新館天文台跡(会津若松市教育委員会提供)

会津若松市の「会津日新館天文台跡」は、1803年に完成した会津藩校「日新館」に併設された天文台。江戸時代には水戸藩、薩摩藩なども天文台を設けたが、すべて失われている。会津日新館天文台跡には当時の建物の一部が残っており、内部に望遠鏡を収めたドーム状の屋根をもつ現代の天文台とはまったく違うその形が印象的だ。天体の位置を測定し、正確な暦を作ろうとした当時の営みがしのばれる遺構だ。

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