「マット・デイモンは、『藻』の可能性をわかっていませんでした」
とは、今回の取材中に思わず笑ってしまった言葉だ。火星に一人置き去りにされた宇宙飛行士の生存をかけた奮闘を描いた映画『オデッセイ』のワンシーンに対する言及であった。
劇中でマット・デイモン演じる植物学者のマーク・ワトニーは、火星の土とクルーの排泄物を使って食料となる「ジャガイモ」を栽培したが、彼が藻類学に明るければ、映画のストーリーは大きく変わっていたのかもしれない。
タベルモとJAXAが目指す、次世代の宇宙食
バイオベンチャー企業群のちとせ研究所は2018年9月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙探査イノベーションハブが実施した研究提案募集「穀物に頼らないコンパクトなタンパク質生産システム」に、同社の研究テーマが採択されたと発表した。
研究名は「食用藻類スピルリナを用いた省資源かつコンパクトなタンパク質生産システムの開発」。2018年10月より1年間、ちとせ研究所はJAXAと共同で、将来的な月面長期滞在を見据えた「藻」の月面生産システムの開発を手掛ける。
研究が順調に進み、実際に宇宙空間で藻の栽培が行われた暁には、宇宙飛行士が吐き出す二酸化炭素を吸収して酸素を供給し、かつ増えた藻は栄養源として食べることができる、という一石二鳥な結果が期待される。
スピルリナはスーパーフードの王様
同研究に用いられるスピルリナとは、タンパク質含有量が高く(乾燥重量ベースで60% ほど)、さらにビタミン、ミネラル、食物繊維などを豊富に含む藻だ。スピルリナ1gから得られる栄養分は、1kgのバランスのとれた野菜と果物の栄養素に相当するとされており、健康食品として海外を中心に人気を集めている。
こうした理由からスピルリナは、「スーパーフードの王様」と呼ばれている。
共同研究には、ちとせ研究所のグループ会社であるタベルモやIHIエアロスペース、藤森工業も参加する。
タベルモはこのスピルリナにおいて、独自の培養技術と急速冷凍技術を武器に急成長しているスタートアップ企業だ。2018年に三菱商事と旧産業革新機構(現在の産業革新投資機構)から17億円の資金調達し、同年末には「NEXTユニコーン 推定企業価値ランキング」(日本経済新聞)新素材領域で4位(推定価値・27億円)にランクインした。
そんなちとせ研究所、およびタベルモの新たな挑戦が「未来の宇宙食」を作ることであるわけだが、そもそも宇宙空間で藻を栽培するなんて可能なのだろうか。
実は宇宙と接点の多い「藻」
研究の提案者である、ちとせ研究所 藻類活用本部 本部長 星野孝仁氏は、「昔から、宇宙空間での空気と食料の自給システムに藻を利用しようと、さまざまな研究が進められていました」と説明する。
そもそも「宇宙空間での藻の活用」を目指す動きは、今に始まった話ではないのだとか。
最近の成果では、ESA(欧州宇宙機関)が2017年12月、生きたスピルリナを宇宙ステーション(ISS)へと打ち上げている。実験を行った結果、スピルリナは地球上と同じ速度で育ち、酸素を生成することも確認された。
さらに2018年9月には、アメリカ航空宇宙局(NASA)もスピルリナをISSに打ち上げ、微小重力下での増殖能力があるかを確認するための試験を行ったそうだ。
これらの状況を踏まえて星野氏は、「この研究が描く未来は決して夢物語ではなく、むしろリアリティが高いと言えるでしょう」と続ける。
場所をとらない、コンパクトな生成システムの開発へ
今回の研究は、まずは地上で「宇宙でも使える可能性の高い装置」を作る所から始まる。肝になるのは、宇宙飛行士の作業工数や使用する水・酸素・二酸化炭素・電力などのリソースをどれだけ抑えられるか、という点だ。
突き詰めるべきは、「閉鎖的な環境において、藻の栽培に必要不可欠な水やガス、栄養素を効率的に循環させる方法を探ること」(星野氏)だ。
宇宙空間では、輸送費の都合もあり「コップ一杯の水」を持っていくだけで何十万円という費用がかかる。そのため、藻の生産に必要な水はできるだけ少量に抑えなければならない。
「映画『オデッセイ』を想像すればわかりやすいかと思いますが、宇宙空間で植物工場を作ろう、といった話もあります。しかし、野菜の栽培には大量の水が必要不可欠です。宇宙空間で水は大変貴重な存在。藻を上手く活用すれば、より少量の水で、より栄養価の高い食物を、高効率で得られるのです」(星野氏)
そこで考えたのが、単純な水槽のような形ではなく、「板状」の光源に湿ったシートを被せてその内側で藻を栽培する仕組み。まだ研究途上のため装置は完成していないものの、すでにプロトタイプはできている。
ひとまずは、同様の原理を用いた装置をより進化させていき「1日あたり、乾燥重量で6g/㎡」のスピルリナ栽培を目指す。
現時点では光合成のために必要な光には人工光源を使用しているが、将来的には光ファイバーやレンズを用いて太陽光を使用する考え。また、藻の成長に必要な栄養素やガス(二酸化炭素)には、宇宙飛行士の排泄物や呼気を利用する。
「マット・デイモンは、『藻』の可能性をわかっていませんでした。藻は、その培養のスピードや、成長に必要な栄養素などの点で野菜とは異なるメリットを持っています。ですが、まだまだ研究は道半ば。藻の持つポテンシャルを最大限に活かせるような装置を作り、将来の宇宙空間での実験につなげたいですね」(星野氏)
宇宙だけじゃない? 藻で「未来の牛乳」も目指す
さらに同社は、この「未来の宇宙食」を目指す技術を、別のビジネスにも応用する考えだ。それは、各家庭に置けるコンパクトな藻の生産装置によって作られる「未来の牛乳」。同社ではそれを「ミルク」を文字って「モルク」と名付けている。
毎朝、牛乳の代わりに飲むもの――。それがモルクという名前に付けたメッセージだ。同社はこれを、近未来の課題と言われる「食糧危機問題」への解決策としても見据えている。
「藻は水と太陽光があれば栽培が可能なので、現在の限られた農場とスペースを取り合いません。今回のJAXAとの共同研究で得られる、コンパクトな藻の栽培装置のノウハウを活用すれば、いずれは各家庭に置けるほどの大きさで十分に機能するようになることでしょう」(星野氏)
「藻」が将来の宇宙食になり、かつ朝食のお供になる――、とはなんともSFチックな話ではあるが、研究採択期間が終わる今年の秋頃までには何らかの成果が発表されるわけだ。こうしている今も、未来がどんどん近づいている。
(田中省伍)