ハダカデバネズミという風変わりな動物がいる。体長は10センチメートルあまり。ふつうのネズミに生えているような毛がなく、その名のとおり素っ裸に見える。大きな前歯が突き出している。アフリカのエチオピア、ケニアなどの地中に、トンネルを掘って住んでいる。
風体も奇妙だが、かれらの社会もまた変わっている。子どもを産むのは1匹の雌だけ。他のネズミは生殖器官が発達しない「働きネズミ」だ。卵を産むその1匹が「女王バチ」「女王アリ」とよばれるハチやアリなどと同じタイプの社会だ。このような生き物集団を「真社会性」の集団という。真社会性の昆虫は珍しくないが、哺乳類ではきわめてまれだ。
ハダカデバネズミの社会では、「女王ネズミ」が産んだ子を「働きネズミ」が世話する。女王バチと働きバチの関係と同じだ。毛がないハダカデバネズミは体温が下がりやすいので、働きネズミは子ネズミにくっついて体を温めてやる。おしりをなめて排せつをうながしてやるし、子ネズミが離れていきそうになると、「ダメダメ、遠くに行っちゃ」と連れ戻す。授乳するのは女王ネズミだけだが、子育てには働きネズミたちがこうして参加するのだ。
ところで、働きネズミは、自分の子でないネズミをどうして育てようとするのか。かれらを親のような子育てに駆り立てる、なにか秘密の仕掛けがあるのだろうか。麻布大学博士課程の度会晃行(わたらい あきゆき)さん、茂木一孝(もぎ かずたか)准教授らの研究グループがみつけた「秘密の仕掛け」は、女王ネズミの糞(ふん)だった。
子育て中の働きネズミは、子ネズミの声に反応する。声のするほうに近づいていくのだ。この行動を利用して、度会さんらはこんな実験を行った。四角いアクリル製の箱に働きネズミを入れる。この箱の左右両側からは長さ16センチメートルの筒がそれぞれ突き出していて、箱の中とつながっている。片方の筒の先にはスピーカーが取り付けてある。このスピーカーから、子ネズミの声を流す。そのとき、ネズミは声の聞こえる筒に向かうのか。筒の中の滞在時間に左右の筒で差がなければ、子ネズミの声には反応していないことになる。スピーカーのある筒にいる時間のほうが長ければ、子ネズミの声に反応して近づく「子育てマインド」をもった状態だと判断できる。
ハダカデバネズミは、糞をよく食べる。自分の糞でも、仲間の糞でも食べる。度会さんらが注目したのは、この習性だ。妊娠中の女王ネズミの糞を雌の働きネズミに食べさせたところ、働きネズミは子ネズミの声に反応するようになっていた。妊娠していない女王ネズミの糞を食べさせてもこのような現象はみられなかったが、この糞に、妊娠している雌の体内に増えるホルモン「エストロゲン」を添加して与えると、子ネズミの声に反応するようになった。
働きネズミは卵巣が発達しないので、自分の体の中でエストロゲンが自然に増えることはない。それなのに実際には、女王ネズミの妊娠期間には、働きネズミの糞の中にもエストロゲンが増える。実験でも、エストロゲンを添加した糞を食べさせると、働きネズミの糞にエストロゲンは増えた。
これらの結果について、茂木さんはつぎのように説明する。ハダカデバネズミは、ふだんから糞を食べる習性がある。女王ネズミが妊娠すると、働きネズミは、エストロゲンが増えている女王ネズミの糞を食べることになる。すると、働きネズミの体内には、自分が妊娠しているわけではないのにエストロゲンが増え、やがて産まれる子ネズミを世話する準備が整う。そして子ネズミが産まれると、働きネズミの子育てが始まる。糞に含まれる性ホルモンが他の個体の行動を決める現象を哺乳類で発見したのは、これが初めてだという。
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