2019年から変わる質量の定義

2019年から、質量の定義が大きく変わろうとしている。SI(国際単位系)として定義された単位で、基本単位と呼ばれている長さを表す「メートル」、質量を表す「キログラム」、時間を表す「秒」、電流を表す「アンペア」、熱力学温度を表す「ケルビン」、物質量の「モル」、光度の「カンデラ」の7つのうち、キログラム、アンペア、ケルビン、モルの4つが従来の定義から、人工物などに頼らない基礎物理定数による定義への変更がなされる見通しだ(実際には、11月に開催される測定の国際的な相互比較性に責任を持つ国際組織「国際度量衡総会(CGPM)」に承認される必要がある)。

これまでキログラムは、約130年ほど前にプラチナとイりジウムの合金で作られた「国際キログラム原器」が1kgと定義され、これを基に、同じ材質、形状の40個のキログラム原器が作られ、世界中のメートル条約加盟国に分配。日本にも複製のうち6番が原器として配布され、今日まで、日本国キログラム原器として、活用されてきた。

  • 現在のキログラム原器(レプリカ)

    現在のキログラム原器(レプリカ)

同原器を保管しているのが産業技術総合研究所(産総研)であり、同研究所では、9月5日から7日にかけて幕張メッセにて開催されている分析機器・科学機器専門展示会「JASIS 2018」にて、そのキログラム原器のレプリカと併せて、2019年(5月20日の世界計量記念日より発効予定)以降、新たなキログラム原器となるであろう単結晶シリコン球の展示が行なわれている。

  • 新たなキログラム原器となるであろう単結晶シリコン球

    2019年の定義改訂で新たなキログラム原器となるであろう単結晶シリコン球

新たなキログラム原器を触って体感

今回展示されているシリコン球は、厳密に言うと、新たな定義を定めるために作製されたオリジナルのものではなく、それをもとに作られた複製品である。オリジナルは世界で2個しか存在しておらず、世界各地の研究機関での測定などに活用されている。ただし、現在のキログラム原器にも、同じ材料でいくつかの副原器が作られ、活用されていることを考えれば、ほぼほぼこのシリコン球が次世代のキログラム原器と言っても差し支えないものなのだが(実際に、この複製シリコン球の制作にも相当な費用がかかっている)、今回の展示会では、係員のお願いすれば、実際にこれに触れて、持ち上げてみることを体験できる。

たかが1kgではあるのだが、球体であること、従来のキログラム原器と比べて大きいことなどから、実際に持ってみた感覚は、個人的な感想だが、1kg以上に感じた。

  • 新旧キログラム原器の大きさ比較

    新旧キログラム原器の大きさ比較。シリコン球が意外に大きいことがわかる

なぜ定義が変わるのか?

ではなぜ、約130年の長きにわたって活用されてきたキログラム原器を変えよう、という動きがでてきたのか。国際キログラム原器(およびそれに準じる各国の原器)は、厳重に管理・保管されてきたが、物体であるため、その精度を、あとどれだけの期間、維持し続けられるのか、という課題がつねに付きまとってきた。実際、30~40年に一度、各国の原器と比較して、校正を行なうことで、時間軸での一様性を担保しようとしてきたのだが、その質量は1889年を起点にして、1946年、1989年の校正結果から、最大50μg(重さにして指紋1つ程度)ほど変化している、という結論が得られた。

副原器群が正しく、国際キログラム原器が質量を失っている可能性もあるが、相対的な測定である以上、それ以上の答えを出せない、ということで、より普遍的な質量の標準となる方法はないか、という話が持ち上がり、さまざまな検討や研究が進められていくこととなった。

新たな質量の定義とは?

さきに結論を述べれば、新たな質量の定義は光の持つエネルギーの最小単位である「プランク定数」を基に算出する、というものであった。そうして、それを実現するために動き出した国際プロジェクトが「アボガドロ国際プロジェクト(IAC)」である。

結晶物質を構成する格子定数がわかれば、その結晶に含まれている原子の数が分かる。原子1個あたりの質量は決めることで、1kgとなるだけ原子を集めれば、それを定義とすることができるのではないか、という研究プロジェクトであったが、その最大の課題は、対象物質としたシリコン(Si)には、同位体として28Si、29Si、30Siが存在し、結晶の中に不均一に存在してしまうという点。これにより、単純にシリコンの結晶を作るだけでは、原子1個あたりの質量を必要とする精度で得ることができなかった。

そこで研究グループは、ロシアの研究機関の協力を得て、シリコン同位体の濃縮を実施。その結果、同位体の比率は28Siが99.994%、29Siが0.005%、30Siが0.001%と、ほぼほぼ28Siだけ、という28Si同位体濃縮結晶を得ることに成功した。ちなみに、この99.994%という比率は、現行のキログラム原器の質量が約100年で50μgほど変化した、という前提から、それよりも変化が少ない精度を実現できる値であったため、とのことである。

また、電子と任意の原子の質量比は、高精度で分かっていることから、アボガドロ定数を基準に、多数の原子の質量として1kgを表現するすることも可能だ。つまり、アボガドロ定数、プランク定数のどちらで定義しても等価となるのが新たなキログラムであり、双方を独立して測定することで、整合することで、より高い信頼性を勝ち得ることができるようになる。

新たな質量の定義に貢献した日本

こうして2011年に開催された第24回 国際度量衡総会において、世界の関係機関に研究の要請を実施。その後、2017年7月1日までに公開されたデータを対象に、検討を行なっていくことが決定された。

この期日までに、キログラムの質量定義改訂に必要な精度を達成できた研究機関は、日本の産総研 計量標準総合センター(NMIJ)のほか、独PTB、米NIST、カナダNRCの4機関のみ。日本とドイツは球体干渉計と用いたアボガドロ定数の測定で、米国とカナダはキブルバランスを用いたプランク定数の測定で、それぞれ求められる精度を達成。改訂に必要な精度を実現した7つのデータのうち、3つに日本が関与。そのうち1つは日本単独の提出データ(残り2つはドイツとの共同研究結果)であり、実は、新たな質量の定義を決定するうえで、日本は大きな役割を担ったといえる。

定義改訂は産業界になにをもたらす?

では、キログラムの定義が変わると、産業界にはどのような影響を及ぼすのか。この点についてはキログラムだけではなく、付随してアンペアの定義も電気素量へと変更されることも考慮する必要があるが、超微小質量や力の計測の実現に向けた扉が開かれることとなる。

これまで、校正用分銅を用いてきたが、下限は1mgで、それよりも軽い質量を正確かつ高精度に測定するということはできていなかった。それが、プランク定数という人工物を用いない定義へと変更されることで、そうしたミクロな世界での質量計測をトレーサブルに実現できるようになるとのことで、実際、産総研では、プランク定数に基づく超微小質量の測定を実現する電圧天秤方式の測定原理の開発を進めているとのことで、そのために必要となる光放射圧を利用した計測技術や、天秤の小型・高感度化を実現するMEMS超微小質量センサの開発などを進めているとのことであった。