生き物は、その生息範囲を広げておいたほうが子孫の繁栄には有利だ。山火事があってその一帯の生き物が焼けてしまっても、別の場所で暮らしている仲間がいれば全滅せずにすむ。気候の激変があったとしても、地球上のあちこちに生息範囲が広がっていれば、きっとどこかで生き延びている仲間がいるはずだ。
だが、生き物は、自分で動けるとはかぎらない。動けない場合、生息範囲を広げるには、なにか特別な戦略が必要だ。植物は動けないから、種を風で飛ばしたり、果実の中に種を仕込んでおいて鳥にまるごと食べてもらい、遠くで糞(ふん)として落としてもらったりする。それならば、昆虫のなかにも、親ごと鳥に食べられて体内の卵を遠くに運んでもらう種類がいるのではないか。そう考えたのが、神戸大学の末次健司(すえつぐ けんじ)特命講師らの研究グループだ。
昆虫の多くは、飛んだり跳ねたりして自分で生息範囲を広げることができる。そこで末次さんらが注目したのは、ナナフシの仲間だ。木の枝そっくりに擬態して、じっとしている。ちょっと見ただけでは木なのか昆虫なのか分からない。ナナフシは飛ぶための羽がないので、長距離の移動は苦手だ。だから、鳥の助けを借りることにメリットがある。
それだけではない。ナナフシの卵は硬く、外側には水に溶けにくいシュウ酸カルシウムの層があって、鳥に食べられても消化されずに糞として排出される可能性がありそうだ。また、幼虫が卵からかえっても、えさになる植物にたどり着けなければ困るのだが、ナナフシはもともと地面にばらまくように卵を産むので、糞で卵を落とされても、自然の姿との違いはあまりない。たとえばアゲハチョウは、幼虫が食べるミカン科などの植物の葉に産卵するが、ナナフシの親はそれほど面倒見がよくないわけだ。
もうひとつ大事なことがある。昆虫の受精はふつう、産卵の瞬間に行われる。つまり、体内にあるのは未授精卵だから、その状態の雌を鳥が捕食しても意味がない。その点、ナナフシは有利だ。きちんと幼虫になる卵を雄なしにつくれる「単為生殖」の昆虫だからだ。体内の卵が成熟していれば、それで十分なのだ。
そこで末次さんらは、実際に試してみた。トゲナナフシ、ナナフシモドキ、トビナナフシが産んだそれぞれ40個、45個、60個の卵を人工的なえさに交ぜ、ヒヨドリに食べさせた。糞として出てきた卵を調べたところ、そのうちのそれぞれ8%、5%、9%が無傷だった。このときの卵は2年たってもかえらなかったが、ナナフシモドキの卵70個を使って2017年10月に行った同様の実験では、そのうち14個が無傷で排出され、2018年2月までに2個がかえった。ヒヨドリの体内を通過した卵から幼虫がかえったのだ。
末次さんによると、鳥に食べられた昆虫は、その卵を含めて命を絶たれるというのがこれまでの常識だった。だが、この研究結果をみるかぎり、ナナフシの卵は、ヒヨドリの消化管を通過して子孫をつなぐことができる。
ナナフシは長距離を飛んで移動できないのに、かつて陸地とつながったことのない島にも分布している。移動が下手な生き物が、どうして遠く離れた地域に移れるのか。自然界のナナフシが、ほんとうに鳥に食べられて分布を広げているのか、現時点では分からない。なんらかの方法で海を流れて孤島にたどりついたのかもしれない。だが、末次さんは、「『鳥に食われて分布域を広げる』という新しい有力な仮説を提唱できたと思う」と話す。それを確かめるには、同じ遺伝子を持ったナナフシが鳥の渡りのルートに沿って分布しているかどうかといったことを調べる必要があるという。
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