人の顔を覚えるのが苦手でも、この顔なら、いちど見るときっと忘れない。テングザルの顔だ。その名のごとく、雄の鼻が天狗(てんぐ)のように長い。どうしてこんな奇妙で長い鼻になっているのか。鼻が目立つことに、どんなメリットがあるのか。京都大学霊長類研究所の香田啓貴(こうだ ひろき)助教らの研究によると、やはりというべきか、大きな鼻は、雌にとって頼りがいのある雄のシンボルなのだという。
テングザルはボルネオ島にだけ生息し、絶滅が心配されている。1頭の雄が複数の雌とハーレムを作って暮らしている。香田さんらのグループは、その生態を10年以上にわたって観察してきた。2011~2015年には、マレーシア・サバ州政府などによるテングザル保全プロジェクトの一環として野生のテングザルを捕獲し、18頭の雄について体の計測も行った。
香田さんらは、この18頭の雄について、体のどの部分が鼻の大きさと関係が深いのかを調べた。そして分かったのは、体重やこう丸の大きさとの関係だ。鼻が大きいほど体は重く、こう丸も大きかったのだ。テングザルの世界では、鼻の大きさは、力と繁殖能力を象徴しているようだ。
そんな雄に、ほんとうに雌はひきつけられるのだろうか。野生の状態にいるテングザルの鼻は計測できないので、香田さんらは顔を正面から写真に撮り、鼻の部分の面積が顔全体のどれくらいを占めているかを算出した。鼻の目立ち具合といってもよい。これを「鼻の大きさ」とすると、雄の鼻が大きいほど、そのハーレムに属する雌の数が多い傾向がみられた。雄が遠くにいる場合だと、体そのものの大きさより、むしろ鼻の目立ち具合のほうが、「頼りになる雄」を見分けるよい目印になる可能性がある。また、ハーレムを作らない雄の鼻は、ハーレムを作る雄の鼻より小さかった。鼻が大きく目立つ雄は、さきほどの計測によれば体もこう丸も大きく、実際にたくさんの雌に取り巻かれているわけだ。
香田さんらが注目したもうひとつの点は、雄の鳴き声だ。うっそうと茂る熱帯林の中では、そう遠くを見通せないことも多いからだ。日本の「よこはま動物園」を含む世界の動物園でテングザルの雄の鳴き声を録音して調べたところ、体が重くて大きいほど、声が低音になっていた。さらに、鼻の大きさは、声の質とも関係があった。香田さんによると、テングザルの雌は、声の高低だけでなく、声の音色でも雄を評価している可能性がある。雄は、低音で、しかも大きな鼻に響かせたよい音色の声の魅力で雌を引き付けているのかもしれない。
香田さんによると、テングザルのハーレムはお互いに接触する機会が多く、たとえばゴリラのハーレムに比べて雌の流動性が高い。雌が別のハーレムに移ってしまうかもしれないのだ。そうなると、雄はつねに雌を獲得する努力をしなければならない。そんなとき、鼻の大きさのような「強さ」を示す分かりやすい目印が顕著になるように進化しやすく、それが雄どうしの無用な争いを避けることにもつながるという。
体の大きさや顔の特徴、生殖器官、鳴き声、群れの構造などの関係を、進化の視点から霊長類で総合的に調べた研究は初めてだという。そういえば、私たちも霊長類。妙に派手な服を着たり、ひげを生やしたりする男もいるが……。
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