マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームは、物質内部の深いところにある電子のエネルギーと運動量を直接測定する技術を初めて開発したと発表した。量子力学におけるトンネル効果を利用している。半導体材料開発や超伝導研究などで有用な技術になると期待されている。研究論文は「Science」に掲載された。
電子のエネルギーと運動量(バンド構造)は、その物質の電気的・光学的性質を知るための重要な情報となる。しかし、これまでの技術では、電子のエネルギーと運動量を直接測定できるのは物質表面に限られていた。
物質表面におけるバンド構造の測定には、角度分解光電子分光法(ARPES:Angle-resolved Photoemission Spectroscopy)と呼ばれる手法が使われてきた。ARPESでは、測定対象の物質に電磁波をあてて、そのエネルギーによって励起された電子が物質表面から飛び出してくる光電効果が利用される。
飛び出してきた電子の状態を測定することで電子のエネルギーと運動量がわかるが、この方法では物質表面の情報しか得られない。物質内部のバンド構造を特定するためには、表面の情報をもとに間接的に計算するしかなかった。
また物質が絶縁体の場合、光電効果を利用できないためARPESが使えないという問題もある。磁場中に置かれている物質の内部情報についても、磁場の影響で電子特性が大きく変化してしまうためARPESは使えない。
今回開発された方法は、物質内部のバンド構造に関する情報を直接得られることに加え、絶縁体や磁場中の物質など、これまでARPESが使えなかった対象にも適用可能であるという特徴がある。
研究チームはこの新手法を「運動量・エネルギー分解トンネル分光法」(MERTS:Momentum and Energy-resolved Tunneling Spectroscopy)と呼んでいる。この名前からもわかるように同法では、量子力学の世界の現象であるトンネル効果が利用されている。
トンネル効果とは、電子などの粒子が古典力学的には通過できないはずのエネルギーの壁を通り抜けて、壁の向こう側に抜けてしまう現象である。粒子のもっているエネルギーが、エネルギー障壁よりも小さい場合には、普通はその壁を抜けることはできないはずで、半導体トランジスタではこのエネルギー障壁の高さを制御することによってデバイス内部で電子を通したり遮断したりしてスイッチング動作を行っている。
しかし半導体の微細化スケールが極端に微小になるにつれて、量子力学的なトンネル効果の影響が強く効いてくるようになり、本来なら電子を遮断できるはずの高さのエネルギー障壁を電子が通り抜けて電流が流れてしまうといった問題も起こるようになってきている。
今回のMERTS法は、光電効果のかわりにこのトンネル効果を上手く利用しており、物質内部にある電子をトンネル効果で物質の外側に飛び出させることによってバンド構造の情報を直接得られるようにするというものである。
具体的には、ガリウム砒素(GaAs)の化合物半導体薄膜の2層がアルミニウム-ガリウム砒素(AlGaAs)のバリア層で隔てられたデバイス構造をもつ量子井戸を用意して、これに電気的パルスをかけるという実験を行った。
通常であれば、第1層のGaAs薄膜内の電子はAlGaAsバリア層に跳ね返され、第2層まで飛び出していくことはできないが、トンネル効果が働くことによって一部の電子はバリア層を通り抜けて第2層にまで到達するようになる。トンネル効果で第2層に飛び込んだ電子によって生じる電流を測定することで、第1層における電子の状態を直接測定することができるという。
研究チームはMERTS法を使って、さまざまな条件におけるGaAs薄膜のバンド構造を調べた。GaAs半導体のバンド構造は、縦軸に電子のエネルギー(E)、横軸に電子の波数(k)をとってグラフ化すると放物線型の曲線になるが、ある種の条件下での実験では、この曲線に「キンク」と呼ばれる折れ曲がりが見つかった。これはガリウム原子と砒素原子の振動が電子によって励起される現象に由来していると考えられている。GaAs半導体内部のキンクを直接観測できたのは今回が初めてのことであるという。
トンネル方向に直交する磁場をかけることで電子の運動量とエネルギーを変化させることもできる。研究チームは、この方法を使って、磁場の影響で物質内部の電子の挙動がどのように変わるかを視覚化することにも成功している。