自分の来し方を振り返り、ちょっとしたきっかけで、すこし違った人生になっていたかもしれないと思ったことはないだろうか。この環境で育ったのだから大筋では変わらないとしても、今の私の人生は、数あったはずの可能性から選ばれた選択肢のひとつ――。地球の気候にも、じつはこれと似た性質がある。大枠としては同じでも、ちょっとしたきっかけで、気候は微妙にずれる可能性を持っている。
図 猛烈な台風やハリケーンなどが通過する頻度の変化。現在に比べて増える幅が大きいほど赤みが強く、逆に青、紫と通過頻度が少なくなる。日本の南海上からメキシコにいたる太平洋上の帯状海域で増加している。(吉田さんら研究グループ提供) |
地球の気候を決めるおおもとは、外界との間で出入りするエネルギーだ。太陽のエネルギーで温められ、地面の温度や気温に応じた強さのエネルギーが宇宙に放射される。大気中の温室効果ガスの量なども重要だ。これらが決まれば、地球の気候は決まる。
だが、決まるといっても、それは「だいたい」決まるだけだ。エネルギーなどの条件が完全に同じでも、地球の気候は一通りには決まらない。大気の中で偶然に起きたちょっとした出来事がその先の状態を大きく左右し、その結果として、実現の可能性があった数ある選択肢からひとつが選ばれて、それが現実の気候になる。だから、太陽から来るエネルギーは変わらないのに、冷夏の次に猛暑の夏が来ることもあれば、これから話題にする「台風」も、多い年もあれば少ない年もある。気候とは、本来そういうものなのだ。
気候を左右する偶然の出来事は、当たり前だが予測できない。将来の気候を知るには、「気候モデル」と呼ばれる数式の集まりをコンピューターで計算するのだが、偶然の出来事は想定しようがないので、計算には入れられない。また、気候の計算では、わずかな誤差が結果を大きく変えてしまうこともある。それに、開発者が違う気候モデルは、それぞれ特有のクセを持っている。それなら将来の気候を正確に予測することは無理なのかといえば、そうでもない。「アンサンブル予報」という手がある。
気象研究所の吉田康平(よしだ こうへい)研究官らの研究グループは、二酸化炭素の排出抑制を怠って今世紀末に平均気温が今より3度くらい上がった場合、日本の南海上を通る猛烈な台風が増えるという研究結果を発表した。アンサンブル予報の手法を使った研究だ。地球温暖化が台風に与える影響を海域ごとに明らかにしたのは、世界で初めてだという。
アンサンブルというのは、もともと、たとえばバイオリンやビオラ、チェロなどの奏者で構成された合奏団のように、似通った性質を持つメンバーによる集団のことだ。気候の予測で使うアンサンブルは、気候モデルを使って同じ条件で将来の気候を計算した結果の集まりだ。おおよそは同じだが細部が微妙に違う予測結果が集まっている。
吉田さんらが使ったのは、今世紀末にあたる2090年前後の気候を予測した計算結果を90通り集めたアンサンブル。気候の計算には、気象研究所が開発したモデルを使ったが、他のモデルで計算した6種類の異なる海面水温を利用して気候モデルのクセを緩和したほか、小さな誤差をわざと入れ、実現可能性のある気候の選択肢も増やしておいた。同じ時期を対象にこれだけたくさんの計算結果を集めておけば、猛烈な台風のようにまれにしか起きない現象も含まれているので、現在との比較ができる。この計算結果の中に現れた台風を、現在の気候を再現した場合の台風と比べた。
台風やハリケーンは、水温が高い海の上で生まれた熱帯低気圧が発達したものだ。吉田さんらの研究の結果、世界全体の熱帯低気圧の発生数は、今世紀末には現在に比べて3割減ることがわかった。地球温暖化が進むと、熱帯低気圧の発生に必要な上昇気流が生まれにくくなることなどが原因と考えられるという。
また、最大風速が秒速59メートル以上になる猛烈な台風(ハリケーンなども含む)の数も、1割あまり減る予想となった。ただし、日本の南海上からハワイ、メキシコの西海岸にいたる太平洋の帯状海域は別で、この海域を通過する猛烈な台風は増える傾向にあった。増加傾向が大きかった日本の南海上は、北上して日本に近づく台風が通ってくる海域だ。
海域ごとにこのような変化を検出できたことが、吉田さんらの研究のポイントで、2014年にまとまった「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第5次評価報告書では、データ不足で不明とされていた。
IPCCの報告書では、猛烈な台風は全体としてはやや増えるとされていたので、吉田さんらの結果と食い違っている。吉田さんによると、IPCCの想定と温暖化の条件がすこし違うことなどが、その理由として考えられるという。このほか、台風の最大風速は1割近く増し、中心から200キロメートル以内の雨量は3割近く増加するという結果になった。地球温暖化で台風がより強く、雨も多くなるというこの傾向は、IPCCの報告書でも指摘されていた。
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