科学の研究は、独りで進めることはできない。科学者は、これまでに得られた成果をもとにして研究を進め、そこに新しい発見や考え方を積み増すことができると確信したら、それを論文として専門的な学術誌に投稿する。その内容が妥当なものかどうかが審査され、通過すると掲載される。それが業績となる。つまり、科学の研究は、つねに他の研究者との情報共有を前提としており、それが習慣でもある。
学術論文誌「Scientific Reports」に最近、「科学がもっともよく共有されるのは男性科学者の世界」というタイトルの論文が掲載された。男性科学者は、「あなたが書いた論文をメールで送ってほしい」という趣旨の依頼が男性から来ると、8割以上の高率で応じる。しかし、それ以外の組み合わせ、つまり「女性が男性科学者に」「男性が女性科学者に」「女性が女性科学者に」の場合だと、それより低率になるというのだ。男性科学者どうしの場合だけが、情報共有マインドがはっきりと高いのだという。
この研究は、ウィーン大学などの研究者グループが行ったもの。論文の著者が属する比較心理、社会的認知分野の研究者約300人に、最近書いた論文を電子メールで送ってくれるように依頼した。全体としては78%が応じたが、いま述べたように、「男男」の組み合わせだけが他の3通りに比べて高率だった。その他の組み合わせどうしの違い、たとえば、女性科学者が、女性からの依頼には男性からの依頼より高率で応じるといったことはなかった。
論文はもともと学術誌に載って公開されるものなので、その送付依頼には気軽に応じやすい。この研究では、応じにくい事柄についても尋ねている。「実験データがほしいのだが、応じてもらうことは可能だろうか」という趣旨の依頼だ。論文の材料となるデータを見せてもらうことは、「最終製品」である論文を送ってもらうよりハードルが高い。それでも全体の59%が承諾した。自分の情報を他の研究者と共有して科学全体に役立てようというマインドは、全体的にここでも高かったが、とくに高かったのは、論文依頼の場合と同様に「男男」の組み合わせだけだった。論文にしてもデータにしても、女性が組み合わせに入ると、情報共有が低調になるのだ。
女性科学者が科学情報の共有に消極的な理由について、この論文では、科学の世界では女性のほうが厳しい競争にさらされているので、送付の依頼に返答する時間の余裕がなく、他人に情報を渡すと出し抜かれるのではないかという疑心暗鬼もあるかもしれないと推測している。また、男性には、古来より自分たちを守るため、つねに結束して戦う習慣があったことが関係しているのではないかとも指摘している。
最近は日本でも、他分野の研究者との共同研究や、科学者が市民とともに進める新しい知の創造が推奨されている。この「Scientific Reports」誌の論文は、情報共有がそれよりはるかに容易なはずの同業者内部にさえ、まだ心理的な障壁が潜んでいることをうかがわせる。