海はいま、しだいに酸性化している。海はもともと弱いアルカリ性だが、大気中に増えた二酸化炭素が海面を通して余計に溶け込むと、そのアルカリ性が弱まる。これが海の酸性化だ。
図 喜界島の巨大なハマサンゴ(左)。年齢は約430歳。右は、サンゴの「土台」のエックス線写真。年輪のような濃淡の縞が1年に1層ずつ重なっていく。中央の黄色い線は、いちばん成長の速い部分。(窪田さんら研究グループ提供) |
海の酸性化でもっとも困る生き物は、おそらく「炭酸カルシウム」という物質で殻や骨格を作る貝やサンゴなどだろう。海水中にカルシウムはたくさんあるのだが、海が酸性化すると「炭酸」(炭酸イオン)が減って、殻や骨格を作れなくなってしまうのだ。
サンゴの仲間に、「造礁サンゴ」という種類がいる。炭酸カルシウムの土台を自分で作り、その上にくっついて生活している。たくさんのサンゴが集まってどんどん硬い土台を作り続けるので、しだいに土台は大きくなり、まるで海底に大きな盛り上がりができたようになる。これがサンゴ礁だ。
サンゴが育つ温かい海は、冷たい海に比べて栄養分が不足していて、生き物も少ない。だが、サンゴ礁は別世界だ。多くの種類の生き物が集まってくる。この「南海のオアシス」は、海の酸性化でどうなってしまうのか。
生き物は、多少の環境悪化には耐えていける。私たちも、夏だろうと冬だろうと、気温の変化にかかわらず体温をほぼ一定に保つことができる。この性質を「ホメオスタシス」という。海では、酸性化で殻が溶けたプランクトンがすでに見つかっている一方で、酸性化が進む北極の海域でも貝はちゃんと生きているという報告がある。
海の環境が悪化しても、サンゴの体内環境はそれほど変わらないのではないか。すこしくらいの酸性化なら、サンゴは案外、そのホメオスタシスで、したたかに生きていくのではないか。ところが、海洋研究開発機構高知コア研究所の窪田薫(くぼた かおる)外来研究員らの研究グループがこのほど発表した論文によると、そんな楽観視は禁物らしい。日本南方のハマサンゴでは、酸性化による体内環境の悪化がすでに始まっているというのだ。
造礁サンゴのハマサンゴは、イソギンチャクのように軟らかいサンゴ本体と、その下の土台の間に隙間を持っている。この隙間は液体で満たされていて、そこで炭酸カルシウムの土台が作られていく。つまり、サンゴの土台作りにとって影響が大きいのは、海水よりも、むしろ間隙水の酸性化なのだ。この間隙水が酸性化してしまうと致命的だ。
ハマサンゴの寿命は100年以上もあり、木の年輪のように、1年で1層ずつの縞模様を土台に刻む。したがって、土台の成分を調べれば、何年前にどのような環境のもとで土台を作ったかがわかる。
窪田さんらは、父島(小笠原群島)と喜界島(奄美群島)のハマサンゴを使って調べた。土台に含まれている「ホウ素」の種類を高精度分析したところ、1960年ころを境に、間隙水が酸性化するペースが急に速まったことが分かった。1960年ころといえば、この海域で酸性化が速まった時期だ。つまり、海の酸性化が、ハマサンゴの体内環境の悪化にストレートに影響していたのだ。
また、間隙水の酸性化の程度は、海水に比べてやや緩和されてはいたが、これまでの研究で推定されていたよりもわずかだった。すくなくとも今回の研究で調べたかぎりでは、海の酸性化に対抗する間隙水のホメオスタシスはあまり有効に働かず、すでにサンゴへの悪影響が出始めているらしい。
大気中の二酸化炭素は冷たい海ほど多く溶け込むので、日本のあたりでは北から南に海の酸性化が広がると考えられている。そしてサンゴは夏の高水温に弱いので、地球温暖化で水温が上昇すると、南を捨てて北に広がるほかない。サンゴは北から酸性化の、南からは温暖化の脅威にさらされ、今世紀の半ばを待たずに、日本の周辺から造礁サンゴの適地は消えるという予測もある。これは、海水の酸性化をもとにした予測だが、窪田さんらの研究結果によれば、それがサンゴの体内環境の悪化にそのままつながり、サンゴは本当に大きな打撃を受けることになりそうだ。
窪田さんらによると、ハマサンゴは、造礁サンゴのうちでも環境の変化に強い種類だという。サンゴはもう、海の酸性化に耐えられなくなり始めているのかもしれない。ほかの種類のサンゴがどうなっているのか、それも心配だ。
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