中華人民共和国(中国)は6月15日、X線天文衛星「慧眼」の打ち上げに成功した。中国にとってX線天文衛星の打ち上げは初。中国がこれまで手薄だった宇宙科学の分野に力を入れ始めたことで、同国と人類の宇宙科学の研究は新たな時代を迎えようとしている。
X線天文衛星「慧眼」を搭載した「長征四号乙」ロケットの打ち上げ (C) The State Council of the People's Republic of China |
慧眼の想像図 (C) IHEP |
慧眼を搭載した「長征四号乙」ロケットは、日本時間6月15日12時00分(北京時間同日11時00分)、中国北西部・甘粛省にある酒泉衛星発射センターの第2発射台から離昇した。飛行プロファイルは公表されていないものの、打ち上げを担当した企業や国営メディアなどはその後、ロケットは順調に飛行し、衛星を予定どおりの軌道に投入して打ち上げは成功したと発表している。
その後、米軍の観測により、高度約540km、軌道傾斜角43度の円軌道に投入されていることが確認されている。
また今回の打ち上げでは、慧眼とともに中国企業やアルゼンチン企業が開発した3機の小型衛星も搭載されており、軌道に投入された。
硬X線モジュレーション望遠鏡衛星「慧眼」(HXMT)
慧眼は、中国科学院の高エネルギー物理研究所(IHEP)が主導して開発した、X線を使って宇宙を観測する望遠鏡衛星である。慧眼(Huiyan)は愛称で、正式名称は「HXMT (Hard X-ray Modulation Telescope)」と呼ばれている。
レントゲンでおなじみのX線は、エネルギーの高い場所から出るという性質がある。宇宙には銀河団や超新星残骸といった、激しく活動してエネルギーの高い場所がいくつもあり、X線を使って観測することで、肉眼(可視光)や電波では捉えることのできなかった天体や宇宙の姿や、新しい現象が観測できる。
またX線は大気に吸収されてしまい地上にはほとんど届かないため、X線を使って観測するためには宇宙に望遠鏡を打ち上げるしかない。
慧眼はX線の中でも、とくにエネルギーが高い「硬X線」と呼ばれる領域を中心に観測することを目的としている。X線を出す天体にはいくつかの種類があり、たとえば銀河団や超新星残骸といった天体は高い熱をもったガスをもっており、X線はこの高温のガスから出ている。一方、中性子星やブラックホールなどの天体は、熱ではなく、大きな重力や磁場によって電子が加速されることでX線が出ており、その際に出るX線は比較的エネルギーが高い(波長の短い)ものになる。こうしたエネルギーの高いX線を硬X線と呼んでいる。
ブラック・ホールの想像図 (C) NASA/JPL-Caltech |
中性子星と地球の都市とを比較した図。中性子星は宇宙で最も密度の高い天体と考えられており、直径約20kmの大きさでも、質量は地球の50万倍になる (C) NASA's Goddard Space Flight Center |
慧眼にはこの硬X線を観測するための望遠鏡が搭載されており、さらにそれと平行に並ぶようにして、中くらいのエネルギーのX線と、低いエネルギーのX線も観測できる望遠鏡も2台搭載されている。これにより1~250keVという高感度・広帯域での観測ができるほか、衛星のモードにより、宇宙の広い範囲を観測する掃天観測と、ある特定の場所や天体を高解像度で観測する定点観測とを切り替えることができるという。
なお、硬X線を観測できる天文衛星は慧眼が初めてではなく、欧州宇宙機関(ESA)が2002年に打ち上げた「インテグラル」(INTEGRAL)や、米国航空宇宙局(NASA)が2012年に打ち上げた「NuSTAR」などが存在する。またNuSTARなどとは違い、慧眼には焦点を合わせられる望遠鏡は搭載されておらず、モジュレーション・コリメーターを使った観測装置を搭載している。これは一説には、中国にはX線を観測できる特殊な仕組みの望遠鏡に必要な反射鏡を造る技術がないためとされる。それでもX線天文衛星としては、また中国初のX線天文衛星のスタートとしては、十分よいスタートを切ったといえよう。
この計画を科学面から率いるIHEPの張双南博士は、「慧眼は、高い精度をもつX線の宇宙地図を作ること、そして硬X線を出している未知の天体や、銀河系の中で新しい種類の天体などを発見することを目指しています」と語る。
慧眼の計画は1994年ごろに提案され、当初は2010年ごろの打ち上げが計画されていた。しかし本格的な開発が始まったのは2011年からで、このころには2015年ごろの打ち上げが予定されていたものの、中国にとって初のX線天文衛星の開発ということもあってか完成が遅れることになり、中国の研究者らにとってはまさに待望の打ち上げとなった。
慧眼にかかわるIHEPの研究者・熊少林氏は新華社通信を通じて「これまで、私たちは他国の衛星の観測データを、間接的に使った研究しかできませんでした。そのため、これまで大きな発見をすることはきわめて困難でした」と語る。
熊氏はまた「世界初の成果を得るたったひとつの方法は、私たちが自由に使える観測機器を開発することでした。そして今、中国の科学者たちはこの宇宙望遠鏡を開発しました。多くのユニークな特長をもつこの望遠鏡により、私たちはこの宇宙で、新しく、不思議な、そして未知の現象を、数多く発見できると期待しています」と語り、中国初のX線天文衛星の打ち上げへの喜びと期待を述べた。
望遠鏡の能力など、全体的な性能では他国の衛星に譲るところもあるものの、世界トップレベルの成果が出せるとされ、中国のX線天文学、ひいては高エネルギー天体物理学の分野が大きく発展し、ブラック・ホールや中性子星、ガンマ線バーストなどの研究が進むことが期待されている。
打ち上げ時の質量は2.5トンという大型の科学衛星で、設計寿命は4年とされる。今後約5カ月間、観測機器の立ち上げや試験観測を行い、今年の11月ごろから本格的な観測を開始するという。
中国初のX線天文衛星が拓く人類の未来
X線天文衛星は、1970年に米国のNASAが初めて打ち上げたのを皮切りに、世界中からいくつも打ち上げられている。しかし現在現役の、NASAの「チャンドラ」や欧州の「XMMニュートン」といった衛星は、すでに打ち上げから20年近くが経過しようとしている。
また日本は、1979年の「はくちょう」に始まり、これまでに6機ものX線天文衛星を打ち上げ、世界のX線天文学をリードしてきた。しかし2016年に打ち上げられた「ひとみ」(ASTRO-H)は、チャンドラやXMMニュートンを一部で大きく凌駕する性能をもっていたものの、観測開始の直前にトラブルが発生し、そのまま復旧できず運用を終えることになった。現在は一部の観測装置を削減した代替機の開発が検討されている。
欧州では2020年代後半の打ち上げを目指し、世界最高の性能をもつ大型のX線天文衛星「ATHENA」を開発する検討が進んでおり、ロシアでも2018年以降の打ち上げを目指し、X線天文衛星「スペクトルRG」(Spektr-RG)の開発が進んでいる。
一方で中国の宇宙開発は、これまで通信・放送衛星や偵察衛星の打ち上げ、運用などの実利用に焦点を絞っていた。宇宙科学分野の研究者はいたものの、他国との共同研究の機会も少なく、他国の衛星が観測したデータの、それも一部しか利用できなかった。しかし近年、独自に月や火星探査に乗り出し、さらに2015年にはダークマターの探査を目指した衛星「悟空」を打ち上げるなど、独自の宇宙科学・探査活動にも力を入れ始めており、長期的な戦略も存在する。
日本は「ひとみ」の事故で、2020年に計画されている代替機の打ち上げまで、数年間は観測できない期間が生じ、さらにATHENAの打ち上げも10年以上先のことになるため、今後中国が、X線天文学の分野で大きな存在感を発揮することになるかもしれない。
それは日本など他国にとっては脅威となりうるかもしれないが、しかし人類の宇宙科学研究や、科学・技術の発展という観点から見れば、優れた性能をもつ宇宙望遠鏡がひとつでも増えることは喜ばしいことである。今後、中国と望遠鏡の共同利用やデータの共同研究など国際協力がより進めば、宇宙の謎が解き明かされ、そして新たな謎に挑む機会がさらに増えることになるだろう。
参考
・http://newshxmt.ihep.ac.cn/index.php/enhome
・http://www.spacechina.com/n25/n144/n206/n214/c1669202/content.html
・China Launches First Space-Based X-ray Telescope---Chinese Academy of Sciences
・HXMT----Space Missions of IHEP
・Astroparticle Physics----Institute of High Energy Physics