ケンブリッジ大学の研究チームは、アインシュタインの一般相対性理論が成り立たなくなる「裸の特異点(Naked Singularity)」が、4次元時空(空間3次元+時間1次元)において存在できるとする研究結果を発表した。これまで、5次元以上の高次元空間については裸の特異点が存在する可能性が指摘されていたが、私たちの住んでいるこの宇宙と同レベルの次元であっても裸の特異点が存在しうることを示すシミュレーション結果が得られたのは今回がはじめてであるという。研究論文は、物理学誌「Physical Review Letters」に掲載された。
ブラックホールの内部では質量が中心の一点に集中しており、この点では、密度と時空の曲率が無限大になると考えられている。そこでは、無限大の密度などを計算で扱うことができないため、アインシュタインの一般相対性理論を含む既存の物理法則が成り立たなくなる。このように無限大の出現によって物理法則が破綻する点は「特異点」と呼ばれる。
一方、ブラックホールに吸い込まれると強い重力場にとらえられ、光でさえも戻ってこられなくなるとされている。光が戻れなくなる地点(ブラックホールの内部と外部の境界面)は「事象の地平面」と呼ばれる。ブラックホールの内部で起きた出来事は外部からは観測できず、外部の宇宙に対しては因果関係をもたないとみなせる。
したがって、特異点が存在したとしても、それがブラックホールの内部にあるかぎりは外側の世界には影響がないと考えることができる。物理法則が成り立たない場所が宇宙の中に存在しているのは都合が悪いが、そのような不都合な場所は、上手い具合に事象の地平面によって周囲から覆い隠されているようにみえる。この考え方を「宇宙検閲官仮説(cosmic censorship conjecture)」という。物理学者のロジャー・ペンローズらによって提唱された。
宇宙検閲官仮説がどんな場合でも必ず成り立つかどうかは、議論が分かれるところであり、特異点が隠されずにむき出しの状態で存在する「裸の特異点」についてもさまざまな検討が行われている。
特殊な時空の条件を考えた場合には、裸の特異点が存在可能になるとする研究はいろいろと出てきており、たとえば、2016年にケンブリッジ大学のチームがスパコンを使って行ったシミュレーションでは、5次元空間上に存在する環状のブラックホールでは裸の特異点が形成されるという結果が出ている。
今回の研究が注目されるのは、5次元以上の高次元空間ではなく、私たちの宇宙と同じ次元レベルである4次元時空でも裸の特異点が存在しうると示されたところにある。ただし、この宇宙とまったく同じ性質をもつ時空というわけではなく、時空の曲率が負である「反ド・ジッター空間」という条件がついている。
観測されている実際の宇宙は、曲率がほぼゼロの平坦な時空構造であるとされており、負の曲率をもつ反ド・ジッター空間とはかなり異なっている。反ド・ジッター空間のイメージは、下図のように乗馬の鞍のような形に時空が歪曲した宇宙である。
反ド・ジッター空間の特徴として、ある点から出発した光が直進していくと、最終的にもとの場所に戻ってくるという性質がある。これは光が反射して帰ってくる境界面をもっているともいえる。研究チームは、この境界面における自由度を利用することで、系にエネルギーを加えたときに裸の特異点が形成されることをシミュレーションによって示したとする。
研究チームのJorge E. Santos氏は「今回示された裸の特異点は、シミュレーション内に荷電粒子を加えた場合には消滅するようにみえる」と話し、この問題についてさらに調べているところであるという。
荷電粒子の問題は、宇宙検閲官仮説と量子重力理論における「弱い重力予想(weak gravity conjecture)」の間に何らかのつながりがあることを示唆するものであると考えられている。「弱い重力予想」とは、矛盾のない量子重力理論であれば、どんな理論であっても重力がもっとも弱い力として現れるとする仮説であり、十分な量の荷電粒子の存在が不可欠とされる。このため、反ド・ジッター空間においては、弱い重力予想における荷電粒子の存在によって特異点が消滅することで、宇宙検閲官仮説が維持されるのかもしれないという。
裸の特異点が存在できる宇宙モデルの研究は、重力理論と量子力学を統合する量子重力理論を完成させる上でも役立つと考えられている。