宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、山梨大学大学院総合研究部発生工学研究センターの若山清香特任助教、若山照彦教授、JAXAの矢野幸子主任研究開発員らの研究グループが、国際宇宙ステーションにある日本実験棟「きぼう」で長期保存したマウス精子のDNA損傷度を明らかにし、健康な産仔を作出することに初めて成功したことを発表した。この成果は、米国科学アカデミー紀要(PNAS)の「In This Issue」にノミネートされ、5月22日付けでオンライン掲載された。
宇宙環境は無重力や強力な宇宙放射線が降り注ぐため、人類や家畜の生殖・繁殖にも影響があると考えられる。しかし、哺乳類は環境の変化に敏感で飼育が難しく、これまで宇宙での哺乳類の生殖に関する実験実績はほとんどない。
研究グループらはこれまで、哺乳類の生殖に関してさまざまな研究を行っており、宇宙での生殖に関する地上シミュレーション実験も報告しているが、微小重力や宇宙放射線環境を地上で再現できず、実宇宙環境での生殖細胞への影響を検討する方法を模索してきた。
そして2009年、"フリーズドライ精子"を用いた哺乳類初の宇宙生殖細胞実験が、JAXAの国際宇宙ステーション利用実験のテーマとして採択された。フリーズドライ精子は、哺乳類の宇宙生殖実験を阻む数々の制約を取り払うだけでなく、室温でも打ち上げが可能でかつ軽量で場所も取らないため、宇宙実験の柔軟性が格段に向上するという。
国際宇宙ステーションでは、太陽活動や船内の遮蔽環境によっては地上の数百倍程度 にも達する宇宙放射線の被ばく量が計測されるが、このような国際宇宙ステーション(ISS)の船内環境でフリーズドライ精子を長期間保存することで、宇宙放射線が哺乳類の精子DNAにどのような影響を与えるのかが明らかになったという。
実験では、遺伝的背景の異なる4系統の雄マウス12匹から、それぞれ24本(4本×6箱)のフリーズドライ精子のアンプルビンを作り、宇宙保存用3箱、対照区の地上保存用3箱に分け、ISSで288日(約9か月間)保存された。
回収された精子は、精子DNAの損傷度の測定、顕微授精による受精能の測定、受精卵における精子由来DNAの損傷度の測定、受精卵の初期発生と胚盤胞の正常性、世界初の宇宙マウスの作出と産仔率の測定、宇宙マウスの健康状態や妊性の観察、宇宙マウスの網羅的遺伝子発現解析(RNA-Seq)といった解析が行われた。
その結果、フリーズドライ精子への宇宙放射線被ばく量は、地上で同期間計測した放射線環境のほぼ100倍になったほか、宇宙保存精子のDNA損傷度は4系統中3系統でDNA損傷の割合が地上保存に比べて高くなっていたという。しかし、顕微授精を行うと宇宙保存精子の大部分は卵子と受精し、正常な胚盤胞へ発生。受精後の精子由来の核DNA損傷度は減少していたということだ。
次に、宇宙保存精子由来の受精卵を偽妊娠(借り腹)メスに移植したところ、4系統のマウス精子すべてから合計73匹の宇宙精子由来のマウスを得ることに成功したという。どの系統も地上保存マウスとほぼ同じ出産率で、宇宙保存による出産率への影響はなかった。宇宙マウスは順調に成長し、正常な妊性を示し、宇宙マウス同士の子供にも異常は見られなかったほか、網羅的遺伝子発現解析についても地上対照区のマウスと違いは見られなかったという。
この実験によって、ISS 船内の宇宙放射線環境では、約9か月間の保存により精子由来の核DNAに若干損傷を生じるものの、それらの損傷は受精や出産に影響のない範囲であり、生まれた産仔はほぼ正常であることが明らかになった。
この研究は、宇宙でも保存精子を使った生殖が可能であることを初めて示した一方、約9か月間宇宙で保存するだけでも、宇宙放射線によって精子のDNAにダメージが与えることがわかった。実験におけるDNAダメージは産仔へは影響していなかったが、より長期間宇宙で保存した場合の影響を調べることが不可欠だという。
試料の一部はISS内で保存されており、今後3年間および5年間におよぶ長期間保存したフリーズドライ精子の実験を行うことにより、宇宙放射線が生殖細胞や継世代に対してどのような影響を与えるのか明らかにしていく予定だとしている。