半導体メモリ大手の米Micron Technologyは4月27日(米国時間)、SanDiskの共同創業者の1人で2016年まで同社の社長兼CEOを務めていたSanjay Mehrotra氏をMicronの社長兼CEOならびに取締役会メンバーに任命。5月8日付けで就任することを発表した。
現在、Micronの社長兼CEOを務めるMark Durcan氏は、2月に辞意を表明。Durcan氏は2017年8月まで顧問として同社に留まり、業務の新任社長に引き継ぎを行った後、会社を去る予定で、Micronでは、後任探しを続けてきた。
17年間にわたって東芝とのNANDでの協業を指揮
新CEOに就任する予定のMehrotra氏は1988年、SanDiskの創業に参画し、同社を年間売上高66億ドル、Fortune 500企業の1つに数えられるまでに成長させるほどの手腕を発揮してきた。最終的にSanDiskは、米Western Digitalに売却されたが、MicronのCEO指名委員会は、彼が過去17年間にわたって東芝と東芝四日市工場にてNAND型フラッシュメモリの開発・製造に関する協業を推進してきたこと、ならびにメモリやストレージ業界での経験、70件以上の特許に裏打ちされた技術的な知識などを評価して指名を行ったようだ。
Mehrotra氏は、インド生まれの58歳。カリフォルニア大学バークレー校電気工学およびコンピューターサイエンス学科を卒業したのち大学院に進み、修士号を取得した。その後、スタンフォード大学ビジネススクールエグゼクティブプログラムも卒業している。IDTやSEEQ Technology、Intel、Atmelなどのハイテク企業に回路設計エンジニアとして勤務したのち、1988年にSanDiskに共同設立者として参加した。SanDiskでは、エグゼクティブVPやCOOを経て、2011年から2016年まで社長兼CEOを務めた。また、「MicronのCEO選任委員会が社内外から適任者を探し始めた直後の今年2月9日にMehrotra氏はWestern Digital取締役を辞任していた」とMicronの本社があるアイダホ州の地元紙は伝えていた。
Micronは、新社長の就任により、会社の方針や方向が大きく変わることはないとしている。Mehrotra氏は、長年にわたってシリコンバレーに居を構えて仕事をしてきた人物だが、Micron本社をアイダホ州ボイジ―市からシリコンバレーに移転する予定はなく、彼自身が、ボイジーの本社とシリコンバレーのミルピタスにあるMicronオフィスの両方を行き来しながら執務することになっていると同社では説明している。
昨日の友は今日の敵となるのか?
一方、SanDiskと長年にわたってNANDの開発・製造を共に進めてきた東芝メモリの経営陣から見ると、良きカウンターパートの経営者であった人物が、競合企業のトップとなり、「昨日の友は今日の敵」状態になってしまった状況だ。
東芝のNAND型フラッシュメモリビジネスの売却問題で、2017年初めころは、Micronが売却先の最有力候補の1つに挙がっていた。しかし、日本政府が、技術の海外流出防止を唱え、産業革新機構が乗り出し始めたころには、すっかり影をひそめてしまった。1999年の合弁契約締結から17年にわたって東芝との協業を指揮し、東芝メモリの内情も熟知しているMehrotra氏がMicronのCEOに就任してから、東芝メモリの2次入札締め切り日である5月19日までは10日ほどしかないため、この間に新たな決断を下すか否か微妙な状況であるが、もし手を挙げなければ、Micronは、東芝にとって今以上に手ごわい競争相手になる可能性があるだろう。しかし実は両社は、かつて東芝が、DRAM撤退時に米国のDRAM工場を設備ごとMicronに売却したこともある仲であり、昨日の敵は今日の友にならないとは限らない。