欧州宇宙機関(ESA)は9月5日、2014年11月にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星への着陸に成功したあと、行方不明になっていた着陸機「フィラエ」(フィーレイ)を発見したと発表した。彗星を周囲を回りながら探査を行っている探査機「ロゼッタ」のカメラが見つけた。フィラエは着陸後、通信によって画像やデータは送られてきたものの、正確な着陸場所は不明なままだった。ロゼッタは今月末で運用を終える予定となっており、このタイミングでの発見に、関係者は「信じられないような出来事だ」と語る。
2年ぶりに姿を見せたフィラエ
フィラエは彗星表面への着陸を目指して開発された小型の探査機で、2004年に親機であるロゼッタと共にロケットで打ち上げられた。そして2014年11月、目的地であるチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星への着陸に成功し、探査を実施。通信はロゼッタを経由し地球に届いたものの、当初予定していた地点から外れた場所に着陸したことから、その正確な着陸地点や、着陸後のフィラエの姿は不明なままだった。
今回のフィラエの発見についてESAは、ロゼッタが9月2日に彗星の表面から高度2.7kmの位置で撮影した画像のなかから発見したとしている。画像にはフィラエの本体と、3本の着陸脚のうち2本が見えている。また残りの1本は溝のような隙間に落ちているように見え、機体が地面に対してほぼ垂直になっている様子もわかる。フィラエの姿が見つかったのは、彗星に向かってロゼッタから分離されたとき以来、初めて。
フィラエが最終的に着陸した場所の地形は険しく、探査機の姿勢は傾き、また機体のすぐそばに崖のような障害物があるせいで太陽電池に当たる太陽光も不足。着陸から約57時間後にはバッテリーの充電がなくなり、搭載機器の電源を落とし冬眠状態に入ることになった。
今回撮影された画像では、その凸凹だらけの険しい地形がくっきりと写っており、さらに探査機のすぐそばには大きな岩(氷)があり、それが作る影の中に入り込んでしまっていることがわかる。太陽電池による発電が不十分にしかできなかったのはこの岩のせいだと考えられ、ESAは「この画像により、なぜフィラエが2014年11月12日の着陸の後、なかなか通信ができずに苦労することになったのかを明らかにします」と説明する。
2年ぶりに発見された「フィラエ」。本体のほか、着陸脚も見える (C) ESA/Rosetta/MPS for OSIRIS Team MPS /UPD/LAM/IAA/SSO/INTA/UPM/DASP/IDA |
左の画像に説明を足したもの (C) ESA/Rosetta/MPS for OSIRIS Team MPS /UPD/LAM/IAA/SSO/INTA/UPM/DASP/IDA |
フィラエは冬眠後、2015年6月と7月に短時間ながら目覚め、散発的ながら信号が地球に届いている。おそらくは彗星と太陽との位置関係から、このときだけ岩が影にはならず、一時的に太陽電池による発電が回復したものと考えられる。
しかしその後、フィラエとの通信は再び途絶え、探査活動を再開するまでには至らなかった。彗星と太陽の位置関係がまた変わり、再び岩の影に入ってしまったことが原因だと考えられる。運用チームはその後もフィラエの復旧を待ち続けたが叶わず、やがて復旧の見込みはないと判断され、今年7月28日にはロゼッタに搭載されているフィラエとの通信装置の電源が切られ、完全に断念することになった。
フィラエに続き、ロゼッタも今月末で運用終了が決まっており、最後はチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星へ硬着陸することになっている。運用終了まで1カ月を切ったなかでの発見に、ロゼッタのプロジェクト・サイエンティストのMatt Taylor氏は「私たちは、もうフィラエの居場所を永遠に知ることはできないのでは、と思い始めていました。ロゼッタのミッション終了が迫ったこのタイミングでフィラエが見つかったことは信じがたいことです」と語る。
「フィラエが3日間の活動で集めた科学データを適切に評価するためには、地形の特徴を示した正確な情報が必要でした。今回の素晴らしいニューズは、それがついに手に入ったということを意味します」(同氏)
フィラエとの電波を使った測定により、着陸地点は数十mの中まで絞りこまれてはいたが、これまで撮影された画像では解像度が足らず、発見には至らなかった。しかし、現在のロゼッタは運用終了が近付いており、また彗星が太陽から離れたことで活動が落ち着いていることもあって、これまでよりも彗星に近付く軌道での運用が行われているため、より詳細な画像の撮影が可能になっている。今回フィラエが発見された画像も、彗星表面から高度2.7kmという比較的低いところから撮影されたもので、これにより1ピクセルあたり、およそ5cmという細かさの画像が得られた。フィラエは縦・横・高さが100cm(1m)ほどなので、見つけるには十分な解像度だった。
フィラエを発見したのは、ロゼッタの「OSIRIS」というカメラである。このOSIRISの主研究者を務めるHolger Sierks氏は「フィラエの捜索が終わった今、私たちはようやく、ああこれでロゼッタの着陸準備ができたんだ、と感じます。これからロゼッタが着陸地点に近付いていくにつれて、彗星表面のより詳しい画像やデータが届くのを楽しみにしています」と語った。
ロゼッタとフィラエの大冒険
ロゼッタは欧州宇宙機関(ESA)が開発した彗星探査機で、それに搭載される小型の着陸機として、ドイツ航空宇宙センター(DLR)によって開発されたのがフィラエである。フィラエは100kgほどの小さな探査機で、本体は六角柱の形をしており、縦・横・高さは1mほど。よく家庭用の洗濯機に近い大きさだと例えられる。
両機は結合した状態で、2004年3月2日に南米仏領ギアナにあるギアナ宇宙センターから打ち上げられた。そして約10年の長旅を経て、2014年8月6日に目的地のチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着。ロゼッタはその周囲を回りながら探査を行い、また同時にフィラエの着陸に適した場所を探索した。そして運用チームによってある場所が選ばれ、公募によって「アギルキア」と命名された。
そして同年11月12日17時35分(日本時間)、ロゼッタからフィラエが分離された。フィラエは約7時間かけて彗星表面に向けて降下し、13日0時33分に彗星表面に脚が触れた。その約30分後、そのことを示す信号が地球に届いた。その瞬間、管制室では喝采が起き、その様子はインターネットの生中継を通じて世界中に配信された。
ロゼッタから離れていくフィラエ (C) ESA/Rosetta/MPS for OSIRIS Team MPS/UPD/LAM/IAA/SSO/INTA/UPM/DASP/IDA |
フィラエから着陸したことを示す信号が届き、喜びに沸く運用チーム (C) ESA |
だが、その後運用チームがデータを分析したところ、事は思いどおりに運ばなかったことがわかった。フィラエは0時33分にたしかに一度着陸していたが、着陸装置の一部が不調で地表に固定されず、着陸の反動で跳ね上がり、計3回バウンドしたのち、最初の接地から約2時間後の4回目の接地で、フィラエはようやく落ち着いた。この場所はアギルキアから1kmほど離れており、運用チームはここを「アビドス」と名付けた。
しかしアビドスは起伏の多い岩場で、フィラエは大きく傾いたような姿勢になり、さらに太陽からの光が当たりづらい場所でもあったため、太陽電池による発電が十分にできない状態に陥った。
それでもフィラエはあらかじめ充電されていたバッテリーを使って探査を開始し、科学者らが予定していた初期観測の80%あまりを完了した。その後、探査機内のフライホイール(はずみ車)を回転させ、その反動を使ってより太陽光が当たりやすい場所へ移動させることが試みられたが、結果は不調に終わった。バッテリーも徐々に減り、観測機器は機能を停止し始めた。そして11月15日の9時36分にはついに通信装置も切れた。ロゼッタとの分離からここまでの活動時間は64時間だった。
フィラエが着陸直後に撮影したチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の地表 (C) ESA/Rosetta/Philae/CIVA |
フィラエの着陸後、得られたデータなどから推測されたフィラエの状態の想像図。地形のせいでやや影になる、太陽光が直接当たりづらい場所にいる様子が描かれている。実際にはこれよりもさらに状況は悪かった (C) CNES/D. Ducros. |
フィラエの復活、そして永遠の別れ
しかし、これでフィラエの挑戦が終わったわけではなかった。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星はこのとき、太陽に近付いていくように飛んでいた。そのため彗星はもちろん、フィラエに当たる太陽光の量も今後徐々に増えていくことから、太陽電池の発電によってバッテリーが再充電され、復活できるのではとの望みがあったのである。
それは叶い、2015年6月14日5時28分、DLRの管制センターに、ロゼッタを経由してフィラエからの信号が送られてきた。データの分析が行われた結果、すでには4月26日に目覚めており、メモリーには目覚めてからのこの6月13日までの間に取得されたデータが記録されていた。
その後も19日、20日、21日、23日、24日、そして7月9日と、計7回に分けて散発的に信号が届いたが、それぞれの通信時間は短く、探査活動を再開するまでには至らなかった。運用チームは、親機であるロゼッタによる彗星探査と、フィラエが冬眠の寸前までに送ってきたデータの分析を行いながら、フィラエがふたたび目覚め、信号を送ってくる日を待ち続けた。
しかしこのとき、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は太陽との最接近を過ぎ、今度は遠ざかっていくように飛んでいた。日を追うごとに太陽光は弱くなり、温度も低くなるため、フィラエが復活する可能性もまた日を追うごとに小さくなっていく。
そして2016年1月には、太陽からの距離が3億kmを超えたため、DLRは2月12日、「フィラエは永遠の眠りに就こうとしている」と述べ、もう復活は望めないことを発表した。だが、微弱ながら何らかの電波を出している可能性はあり、またロゼッタも軌道の高度を下げて、より彗星表面に近付く運用に入ることもあり、運が良ければその電波を受信できるのではとの期待から、ロゼッタに搭載されているフィラエと通信するための装置の電源は入れたままの状態にされた。
運用チームは微かな望みをかけてフィラエの復活を待ち続けたが、叶わないまま時間が流れ、やがてロゼッタに当たる太陽電池の量も減ったことから、消費電力を減らすため、7月28日をもってフィラエと通信する装置のスイッチは切られることなった。
終幕が近付く大冒険、そして次の世代の探査機へ
フィラエの運用は終わったが、ロゼッタは現在もチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の周囲をまわりながら探査を続けている。運用は今月末(9月30日)まで続く予定で、最終的には彗星の地表に着陸し、運用を終える予定となっている。ただしロゼッタには着陸のための機構はないため、捨て身の「硬着陸」になる。ただ、降下速度はフィラエよりも遅く、ゆっくりと近付きながら、機体が彗星表面にぶつかって壊れる最期の瞬間まで、観測データを送り続ける予定だという。着陸場所や詳しい時間などは現在検討が進められている。
フィラエの探査は終わり、またロゼッタもまもなく終わりを迎えるが、両機が集めた科学データは、これからも世界中の研究者によって分析や研究が進められることになる。
またフィラエを開発したDLRはその技術を活かし、日本の小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載されている小型着陸機「MASCOT」を開発。2018年に小惑星「リュウグウ」の地表に放たれる予定となっている。またESAが2020年ごろに打ち上げを目指している小惑星探査機「AIM」に搭載する小型着陸機「MASCOT-2」の開発も進んでいる。
日本の小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載されている小型着陸機「MASCOT」 (C) DLR |
ESAが計画している小惑星探査機「AIM」(右上)と、小型着陸機「MASCOT-2」(左下) (C) ESA/DLR |
【参考】
・Philae found! / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA mobile
http://m.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta/Philae_found
・Rosetta’s lander faces eternal hibernation / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta/
Rosetta_s_lander_faces_eternal_hibernation
・DLR - Blogs - Philae - Say goodbye to Philae
http://www.dlr.de/blogs/en/home/philae/Say-goodbye-to-Philae.aspx
・Farewell, silent Philae | Rosetta - ESA's comet chaser
http://blogs.esa.int/rosetta/2016/07/26/farewell-silent-philae/
・Lost Philae lander found on comet - Spaceflight Now
http://spaceflightnow.com/2016/09/05/lost-philae-lander-found-on-comet/