宇宙航空研究開発機構(JAXA)は4月28日、通信が途絶えていたX線天文衛星「ひとみ」(ASTRO-H)の運用を断念し、今後は事故の原因究明に専念していくことを明らかにした。これまで、復旧に向けた運用を行ってきたが、詳細な解析の結果、機能回復が期待できない状態であることがわかったため。
ひとみに起こった今回の事故については、過去記事で経緯を詳しくまとめてあるので、そちらも参照していただきたい。
太陽電池パドルはすべて喪失か
ひとみは姿勢制御系に異常が発生し、3月26日に通信が途絶えた。そのまま復旧できない状態が続けば、いずれは運用を断念せざるを得ないわけだが、わずか1カ月でその決断を下したのは、それだけ、今回の解析結果の確度が高いということだろう。
前回の記者会見(4月15日)からのアップデートは大きく2つある。ひとつは、太陽電池パドルが根元からすべて分離した可能性が高いこと。もうひとつは、事故後に受信した電波が、ひとみからの電波では無かったと推測されたことだ。
太陽電池パドルについては、姿勢制御系の異常により高速回転に至り、一部が分解した可能性が指摘されていた。今回、有限要素法による構造解析を実施。その結果、回転状態で発生する力に対しては、根元の取付部が最も弱いことが判明した。最も弱い場所から壊れるわけで、太陽電池は一部ではなく、全部を失った可能性が極めて高くなった。
ひとみ由来の物体は、軌道上で合計11物体が観測されている。一番大きい物体がひとみ本体で、残りはひとみから分離したものと考えられているが、その中に比較的大きな物体が3つあるという。これは、異常回転により両翼の太陽電池パドルと伸展式光学ベンチが分離したという、今回の構造解析の結果とも整合する。
すべての太陽電池を失っていれば、もはや電力を得ることができない。電力が無ければ、衛星は何もすることができない。万事休すだ。
またこれまで、ひとみの分解推定時刻の後にも、衛星からの電波が計3回受信されており、このことから、衛星がまだ生きていて、復旧する可能性があると考えられていた。電波の周波数はひとみのものと200kHzずれていたが、衛星が想定外の状態にあるため、その程度のずれが生じてもおかしくないという判断だった。
ところが詳細な解析の結果、今回のような異常な姿勢や温度状態であっても、200kHzものずれは起きないことが判明。さらに、4月13日に同じような微弱な電波を再び受信したが、この時間はひとみが見え始めるよりも2分ほど早かった。つまり、これはひとみとは別の衛星の存在を示している。
この衛星の軌道を検討し、ドップラー効果による周波数変化等を解析したところ、ひとみのものと考えられてきた電波の周波数と一致。このことから、3回受信した電波は、すべてひとみからのものではなかったと結論付けた。「分解後も生きていた」という前提が崩れてしまったわけだ。
以上2つの理由から、JAXAは「衛星が機能回復することは期待できない」と判断。今後、復旧に向けた運用は中止し、原因究明に専念することを決めた。
シミュレーション結果が一致
前回のレポートで、ひとみが破壊に至った3つの異常について説明した。今回、JAXAはシミュレーション解析の結果を新たに公表。実際に起きたことと良く一致しており、JAXAが推測した異常発生のメカニズムを裏付ける結果となった。
ひとみはまず、姿勢に異常が発生した。詳しくは前回のレポートを参照して欲しいが、衛星搭載ソフトウェアを使い、スタートラッカ(STT)のリセットを再現してみたところ、慣性基準装置(IRU)の誤差推定値が高い値のまま保持されることが確認できた。つまり、このタイミングでSTTのリセットが起きれば、何度やっても同じ結果になるというわけだ。
このことから、IRUやコンピュータなど、ハードウェアの故障である可能性は低いと考えられる。STTがなぜリセットされたかは不明だが、放射線によるシングルイベントで説明は付く。おそらく問題は、高い誤差推定値を保持したままになる危険性を抱えていたソフトウェアだ。
2つめの異常は、衛星が回転を始めたことで、リアクションホイール(RW)のアンローディングが正常に行えなかったことだ。これについてもシミュレーションで確認したところ、実際に計測された数値と同じ角運動量がRWに蓄積されることが分かった。つまり、ハードウェアもソフトウェアも異常がなく、すべて「設計通りに動いただけ」というわけだ。
そして3つめの異常が、スラスタの制御パラメータの設定ミスにより、セーフホールドモードに正常に移行できなかったことだ。この誤ったパラメータ通りにスラスタの噴射を模擬したところ、回転を加速する方向に作用し、衛星を壊してしまうほどの回転速度になることがあることが分かった。
今回はこれが致命的だったわけだが、もし事故の発端となった姿勢異常が起きなかったとしても、いずれ何かのタイミングでセーフホールドモードに移行しようとする事態になれば、やはり同じ結果になった可能性が高い。セーフホールドモードは最後の砦。絶対に間違えてはならない場所で間違えてしまったわけだ。
だが逆に、もしあのタイミングでSTTのリセットが起きなかったら、問題が発生しないまま運用を全うできたかもしれない。ひとみは「運が悪かった」と言えるかもしれないが、事故が起きなかったら、この問題が表面化することは無かった。今まで無事だった衛星も実は「運が良かった」だけということはないか、徹底的に調査する必要があるだろう。
事故が発生したメカニズムは、ほぼ確定できた。ある特定のタイミングでSTTがリセットすれば、あとはプログラム通りに動作するだけで、衛星が壊れる可能性があったわけだ。この大きな脆弱性をなぜ見逃してしまったのか。JAXAは、設計、製造、検証、運用の全段階に渡って調査し、背後要因も踏まえた原因を究明していく構え。
12年間の空白をどうするのか
記者会見では、JAXAの常田佐久・宇宙科学研究所長が、「ひとみは世界の天文台として、日本はもちろん、海外の研究者からも期待されていた。その期待に応えられず申し訳ない」と陳謝。原因の究明を急ぎ、1~2カ月の間に詳細を報告できる見通しであることを明らかにした。
「X線天文学は日本のお家芸」と言われる。これまでに5機のX線天文衛星を開発しており、ひとみは6機目だった。だが、機能確認のための初期観測を開始してから1カ月もしないうちに事故が発生。「観測機器は完璧に動作しており、素晴らしいデータが取れていた」(常田所長)だけに、非常に残念なところだ。
ひとみの開発には、310億円の国費が投じられている。それだけに、プレスからは責任の所在に関する質問も多かったが、常田所長は「クリティカルなシステムは、人間が誤る想定で作らないといけない」と指摘。「人間の間違いを検出できなかった全体のシステムにこそ、より大きな問題がある」との考えを示した。
たとえばバスの交通事故が起きた場合、直接的な原因は大体運転手のミスだろう。しかし運転手だけを罰して事故の再発が防げるかというと、そうとは限らない。もし運転手が過酷な勤務状況を強いられていたとしたら、そのことの方が根本的な原因だ。今回の事故の背景に何があったのか。重要なのは再発を防止するという視点で、誰のミスなのかという"犯人捜し"にあまり意味は無いだろう。
小惑星探査機「はやぶさ」では、サンプル採取のための弾丸が発射されなかったというミスがあった。金星探査機「あかつき」でも先日、制御パラメータの誤りにより、一時通信不通になるという重大なミスがあったばかりだ。成功するとトラブルは"美談"になりがちだが、美談で終わらせてはいけない。背景に共通の要因が無かったか、深く掘り下げて検証して欲しい。
また気になるのは、今後のことだ。ひとみと同じような観測ができる衛星は現在軌道上に無い。欧州が次世代のX線天文衛星「Athena」を2028年に打ち上げる予定で、それまで待たなければならない。日本として、この12年をどうするのか。空白を埋めるのか、それとも埋めないのか。
ひとみの前世代機である「ASTRO-E」は、2000年2月、M-Vロケット4号機による打ち上げが失敗。2001年4月に代替機の開発が開始され、2005年7月に「すざく」(ASTRO-EII)として打ち上げられている。すざくは目標寿命の2年を大幅に超え、約10年間も運用を続けることができた。
ひとみの後継機について問われた常田所長は、「まずは原因を徹底究明したい。まだその先のことを言える状況に無い」として、言及を避けた。もし後継機として、ひとみの同型機を作るにしても、対策をきちんと立てた後でないと、今回と同じ脆弱性を抱えたままになってしまう。まずは原因を究明するしかないだろう。
X線は大気でほとんど吸収されてしまうため、観測するには天文衛星を打ち上げるしか無い。12年の空白というのは、研究者にとってあまりにも長い。科学コミュニティの維持も難しくなるかもしれない。後継機の開発には予算の問題もあるが、今後、"ひとみ2"について議論していく必要があるだろう。