がん治療では外科療法(手術)、化学療法(抗がん剤)、放射線療法が「三大療法」とされる。一昔前はがん治療といえば身体に多大な負担がかかるイメージだったが、医療技術の進歩によりがんの部位によってはその負担が軽減されつつある。そうした身体的負担が少ないがん治療として近年注目されているのが「陽子線治療」だ。
陽子線治療は放射線療法の1つで、X線やガンマ線などの光子線を用いるものと、水素の原子核など粒子線を利用するものがあり、陽子線は後者にあたる。日本は粒子線治療で世界トップレベルにあり、国内では15施設で治療を受けることができる。
今回、最新の陽子線治療を提供しているメディポリス国際陽子線治療センターの菱川良夫センター長に同治療法について聞いた。
同センターは鹿児島県指宿市にあり2011年1月に陽子線治療を開始。これまでに、海外からのがん患者も含む1737名に対して陽子線治療を行っている。昨年10月には世界で初めて早期乳がんに対して陽子線による単独治療を行った。
メディポリス国際陽子線治療センター 菱川良夫センター長
和歌山県出身 67歳
神戸大学医学部卒業、医学博士、放射線治療専門医
2001年4月 兵庫県立粒子線医療センター 院長就任(現在は終身名誉院長)
2010年4月 メディポリス国際陽子線治療センター センター長就任
・日本放射線腫瘍学会第24回学術大会(2011年)大会長
・公益財団法人高輝度光科学研究センターSACLA選定委員会委員(2011年~2015年)
・九州ヘルスケア産業推進協議会幹事(2013年~)
・中国医学参考新聞放射線腫瘤治療学分野国際編集委員(2015年~)
・客員教授(鹿児島大学、順天堂大学)
・ヨーロッパ放射線治療学会小線源治療賞を受賞(1990年)
顔のがんでも形が変わらない
--近年注目されている陽子線治療ですが、具体的にはどのような仕組みでがんを治療するのでしょうか? また、治療にはどのような機器を使用するのでしょうか?
菱川:巨大な装置を用いて陽子線をがん細胞へ高精度に照射(攻撃)し、がん細胞を死滅させて増殖できなくさせます。装置は止まらないようにする維持管理が大変で、飛行機を飛ばす前の整備と同様の精度管理を毎日しています。装置の値段は、建屋を含めて50~100億円ぐらいです。
--陽子線治療はどのようながんに向いているのでしょうか?
菱川:手術ができない白血病など、血液のがんは不向きです。手術可能ながんのうち、胃、小腸、大腸のがんは、陽子線治療を行うと穴が空くのでできません。それ以外であれば、手術しましょうと言われたら、一度、陽子線治療のセカンドオピニオンを受けましょう。顔にできたがんなどでは、手術をすると顔の形が変わることがありますが、陽子線治療では心配はありません。
--放射線療法では、X線やガンマ線、重粒子線なども用いた治療法も存在しますが、それらに対して陽子線治療はどのような点が優れているのでしょうか?
菱川:それぞれ長所、短所はあります。陽子線治療の一番の長所は、患者さんに優しい治療であることです。例えば、当センターでは中国から来た患者さんでも治療終了の翌日に、北京や上海に帰っていきます。
--3大がん治療には放射線療法のほかに手術、抗がん剤治療が存在します。手術/抗がん剤治療と放射線療法を併用する場合はあるのでしょうか?
菱川: 進行したがんの場合、抗がん剤治療をしてから手術を行う事が良くあります。陽子線治療でも同様に、抗がん剤治療をしてからの治療は可能です。ただ、そのような治療ができるのは、装置を使いこなす技術力が必要となります。放射線治療の併用は、同じ部位でなければ可能です。
世界初の陽子線単独での早期乳がん治療
--昨年10月、陽子線単独による早期乳がん治療を実施したことを発表されました。具体的にどのような効果が見られたのでしょうか?発表時点(経過2カ月後)では、大きな問題は無いとのことでしたが、その後の経過はいかがですか?
菱川:照射後、腫瘤が画像では確認できないくらいの大きさまで縮小し、このまま経過が順調であれば、手術で腫瘤をとるのと同じ効果が期待されます。ただ、数年間の経過後に、がん治療としての(効果の)位置づけがされると思います。
--臨床研究はI相で4例、II相で20例を予定しているとのことでしたが、今後どのようなことを行っていくのでしょうか?
菱川:I相では、推奨線量を設定して治療を行い安全性と有効性を確認していきます。II相では、再発の有無、有害事象を確認し至適線量を決めます。
--乳がんは5年経過後も生存率が低下し続けるなど、経過観察に特に注意が必要ながんとして知られます。臨床研究では術後何年まで経過観察し、治療の効果を確定するのでしょうか?
菱川:最低5年で、10年は必要だと思っています。
--同治療では3Dプリンタを用いたことも注目されましたが、3Dプリンタを利用したのはなぜでしょうか?また、今回の「陽子線治療×3Dプリンタ」のように、他の分野の先端技術をがん治療に取り込んでいくことはスタンダードになるのでしょうか?
菱川:技術進歩にあわせて医療も進歩しています。例えば今回のケースでは3Dプリンタの利用で、新しい乳房の固定法が開発されました。
--がん治療の選択肢の幅を広げる陽子線治療ですが、メディポリス国際陽子線治療センターだと1部位の治療に約300万円の費用が必要となります。多くの人が選択できる額ではなく、「医療の不公平」が発生しているとも捉えられますが、この点はどのように考えていらっしゃいますか?
菱川:非常に難しい問題です。ただ、再生医療や新しいがん治療などを全て健康保険でカバーしていくと、医療費が50兆円を超える時代がすぐ来ると思います。さらに増えると、医療費で国が破綻する時代になります。そろそろ、国民負担と自己負担の医療費を整理し、考え直す時期だと思います。 でも、一番大事なことは、がんにならないことです。
--陽子線治療を含むがん治療は今後どのような発展を遂げていくと考えられるのでしょうか?
菱川:医学研究の進歩は凄いので、手術や陽子線治療も不要な時代が期待できます。ただ、それまでの間では、がん患者に優しい陽子線治療は、すばらしい治療です。