Microsoftを共同創業した億万長者で、慈善活動で世界を変えようと試みるBill Gates氏だが、60歳を迎えてなお、その一挙一動が注目されている。
トレンドが目まぐるしく移り変わるIT業界でも長きにわたって影響力を持ち続けているGates氏だが、その秘密は何か。Incの記事「Bill Gatesはどうして成功しているのか? 7つの習慣、実践、体験(原題:What Makes Bill Gates So Successful? 7 Key Habits, Practices, and Experiences)」を見てみたい。
ビル・ゲイツになるには?
Gates氏はこの1月、MicrosoftのCEOを退任して15年を迎えた。Microsoftではその後も会長、チーフ・ソフトウェア・アーキテクト職を務めたが、現CEOのSatya Nadella氏のトップ就任時に会長からも退き、技術アドバイザーとなった。15年前のCEO退任以降は、慈善活動Bill&Merinda Gates FoundationがGates氏の主な活動となっている。
Incの記事では、Gates氏の成功の秘訣を7点にまとめている。
早期にスタートして継続的に学ぶ
Gates氏は14歳、日本の中学2年生にあたる年に、コンピューターを使い始めた。
Gates氏は学校に導入されたコンピューターの使用を特別に許され、プログラムを学んだそうだ。最初に作成したのは「Tic Tac Toe」という"三目並べ"だそうな。
許可ではなく許しを求める
Gates氏は自分を抑えるようなことはしなかった。
もっと学校のコンピューターを使いたかったGates氏(そしてPaul Allen氏ら)は、バグを発見してそれを突き、リソースにアクセスしていたという。
それがバレた時は、バグを発見できるという能力と引き換えに、使用時間を延長してもらっていたそうだ。
自分の作業を評価できる
上記のエピソードからわかるように、Gates氏は自分の能力を若い頃から取引に役立てていた。
17歳の時に、Allen氏と会社を立ち上げてプログラムを売り始めたほか、まだ趣味でプログラミングをする人が多くを占めていた時代に、ソフトウェアのコピーに対して警告することもあったという。
「Open Letter to Hobbyist」という公開書簡を発表し、対価を払うように求めた当時、Gates氏は21歳だった。
学校よりも現場で学ぶ
Gates氏は成績優秀で、17歳で名門のハーバード大へ入学したが、在学中はコンピューターに没頭していたようだ。
結局、2年目に退学し、Allen氏と起業する。Gates氏にとっては、その後が"本物の教育"となったようだ。
責任をとる
Microsoftのトップを務めていた時、Gates氏は競争的で厳しい上司だった。
AppleのSteve Jobs氏ではないが、ミーティング中に辛辣な言葉で反対することもあったとか。当時のある社員は、Gates氏の批判の言葉は「痛烈だった」と振り返っているようだ。
会社を率いるという責任感が強く、Microsoftでの最初の5年間は事業のすべてを見ていた。製品のコードすべてに目を通し、書き直すこともしばしばだったという。
MS-DOS、初期のWindowsを使っていた人は、Gates氏の手が加わった製品を使っていたことになる。
将来を展望する
Gates氏の重要な点は、先見の明があったことだろう。
DOSのライセンスをIBMと交渉した際、当初のライセンス料は5万ドルだったが、著作権は渡さなかった。これにより、そのほかのベンダーにもライセンスが可能となり、今日のマイクロソフトの礎を築いた。
大きなミッションを手がける
Gates氏はMicrosoftの日々の業務から手を引いたのちに慈善活動にフォーカスした。
基本財産は363億ドルと世界最大級であり、予防接種などのヘルスケアを通じて途上国の人々が貧困を克服するための支援を行っている。
米国内では教育分野の支援も行っており、政府が取り組めない世界レベルの大きな問題に取り組んでいる。