デザイン、と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。プロダクトデザイン、グラフィックデザイン、インテリアデザイン……など、デザインという言葉が包み込む意味は思いの外広い。デザインを仕事とする者としては大変複雑な思いのある話題だが、東京オリンピックのエンブレム問題の印象は強烈なものだったと言わざるを得ない。
そうした事件を受け、日本国内では現在「デザイン」の置かれている状況は非常に風向きが悪いと言えるかもしれない。だがそんな中にあって、以前アート関連で取材させていただいた「東京ステーションホテル」では、総支配人自らがデザインを統括しているとの話を耳にし、直接お話を伺ってみたくなった。
インタビューにあたり、事前に聞いて驚いたのが「ホテル業界では(外資系を中心に)全体のブランドデザインが決まっている事が多く、社内にデザイナーがいる場合もある」ということだ。業種の垣根を取り払って考えた場合、日本の企業ではデザイナーを社内に抱えているパターンはそう多くはないのでその点も興味深い。
そこで今回は、昨年で開業100周年を迎えた「東京ステーションホテル」のブランディングについて、さらには「デザインの必要性」について、総支配人である藤崎斉氏にうかがった。
――東京ステーションホテルのブランディングについて、総支配人が指揮をとっていらっしゃると伺いました。みずからディレクションに関わるのはなぜですか?
ホテルにとってデザインというのはブランドそのものであり、命だと思っているためです。日本はときにデザインを軽く見る風潮があると思います。海外の大規模ホテルチェーンではコーポレートデザイナーが必ずいるのが常識で、東京ステーションホテルでも1名のデザイナーを配置しています。
ヒルトンやウエスティンなど、外資のホテルチェーンではパンフレットのデザインからスペック的な設えまで、ブランドとしての細かなデザインマニュアルが設定されています。内装デザイン等に関しては有名デザイナーを起用することも多々ありますが、お客様に届けられる販促物等は全世界で均質化したものとなります。
こうした背景から東京ステーションホテルの場合を申し上げますと、我々はチェーンブランドではない訳ですから、共有可能なデザインマニュアルを構築するというよりは、ブランドのフィロソフィーをきちんと理解した専属デザイナーがホテルの一員として、当ホテルらしいデザインを創り上げていくということになります。
単に「素敵で綺麗なものを作ってください。」と“投げる”のではなく、自らが「どういう哲学に基づいてどういう価値をお客様に届けなくてはいけないのか、そのためにこのデザインが持っているミッションは何か」ということをしっかりと組み立てたうえで共に創り上げていく必要があります。デザイナーのアウトプットがブランドの果たすべきミッションに沿っているかどうか、それを最終判断する「門番」として、私がいるんだと思います。
――東京ステーションホテルのデザインにおけるテーマや、守るべきガイドラインのようなものがあればお教えください。また、使用フォントについては何か取り決めがありますか?
フォントについては使い分けを規定しています。パワーポイントならCalibriやVerdana、エクセルならArial等が基本フォントです。また、お礼状やお手紙であれば日本語はHG行書体、英語はTimes New Roman & Italic(斜体)という風に、細やかな使い分けをしています。こういったガイドラインはデザイナーひとりが守るものではなく、ホテルスタッフ全員が、たとえ内部向けの資料であっても遵守するものとしています。
また、ダブルバイト文字(全角)の英数字の使用は原則禁止しています。見た目も良くないし、居心地が悪い。なにより海外で文章を出力しようとしてもプリンターが対応していないことが多く、文字化けしてしまいます。プレゼン資料を除くビジネス書類はモノトーンが世界のスタンダートで、色文字もアンダーラインもなるべく避けます。
日本では 残念ながら、そういった意識があまり高くないこと多いですね。そういったグローバルスタンダードを意識することも、昨今とても重要です。
――東京ステーションホテルのロゴマークのデザインのねらいについて、ご解説いただけますでしょうか。
「東京ステーションホテルのロゴマークは、グラフィックデザイン分野で豊富な実績を積んでこられた、デザイナーの天野和俊さん(http://kadltd.jp/archives/673)とわれわれホテルスタッフが共に創り上げました。
何よりも「東京ステーションホテルらしさ」を表現することが重要で、制作にあたりこだわったのは「誰にでもわかる」ことと「特別感をだす」ことの2点です。そこで響きがいいだけの造語ではなく、誰にでも分かる単語を、そして誰が見ても一目でここが別格とわかるように駅舎正面を見せることにしました。
また、「ステーションホテル」というネーミングは、海外では「駅前の三流ホテル」というニュアンスが強くある場合が多い。しかし、東京ステーションホテルは“そう”ではないと伝えなくてはなりません。洗練された空間であり、歴史ある建物であり、国の重要文化財である。このホテルが別格である、ということを分かりやすく世界にむけて示すため、名称に「the」をつけました。
このロゴにまつわる質問をしたときに、藤崎氏が「大変だった…。」と感慨深げな表情をしたのが印象的だった。文字を二段に分けてフォントも変えたのは「別格感」を出すための天野さんのこだわりでもあり、プロもアマチュアも、デザインに関わる全ての人の意見が一致した部分だそうだ |
最初は企画会社や天野さんに「東京ステーションホテルは“どういう”ホテルなのか」を理解いただき、また目指すべき方向とミッションを確認するために相当の時間を要しましたが、徹底的に突き詰め合い、私たちが目指す方向性とミッションの共有ができてからは最終案まで一気に進んでいきました。
――今年はホテル開業100周年を迎えられたということで、シンボルマークや記念ノートブック、オリジナルグッズなどを作成されていますが、こちらも全て社内で作られたのでしょうか?デザインの意図とは?
もちろん社内でデザインしています。ホテル開業100周年のロゴは、ホテルそのもののロゴとは少し違うアプローチの作り方をしています。見やすくシンプルであること、わかりやすく美しい“シンボル”として、駅舎ドームの形状をマークに添えました。クラシカルで流行り廃りのないもの、ということに加えて「未来を想起させること」を意識した作りです。
また、ノートはお客様にここを訪れた記憶を留めていただければという想いから作成しました。ロゴマークのシルバーと濃紺をモチーフとして作成し、表紙の裏には東京ステーションホテルの設計図が配置されており、質感の良い布張りの表紙と中の本文紙にもこだわっています。
記念ノートブックの内側には同ホテルの図面があしらわれている |
川端康成など名だたる文豪に愛されたホテルであることから発案された100文字原稿用紙。客室への設置はもちろん、ボールペンやラゲッジステッカーと一緒に「文豪セット」として」発売もされている |
――また、昨年行われた100周年記念のカクテルを決めるコンペティションでは、カクテルを注文した方に缶バッジを配布したということですが、こうした、ホテルとしてはややカジュアルな試みを行った理由は何だったのでしょうか?
100周年企画はホテルのスタッフが自分たちで考え、企画し、取り組みました。誰のために何を行うかを考えることが重要で、海外や遠方からのお客様だけでなく、高感度な丸の内で働く人にむけて時代にマッチしたやり方も発信したいというのがこの企画の目的でした。
正直なところ、缶バッジの配布という手段には「少々カジュアルでは?」という感想を最初は持ちました。ですが、スタッフからの説明を受け、お客様とコミュニケートできるツールの一つとして、3種類集める楽しみをご提供できることも鑑みて、ユニークかもしれないと思い直しました。デザインも単純にグラスを描くのではなく、上からみたカクテルを抽象的にデザインするという東京ステーションホテルらしい作りになったと思います。
――最後に、ホテルにとってデザインとはなんでしょうか?
ブランドであり、お客様との約束そのものですね。
ホテルをご紹介するにあたって、建物を持ち歩いて直接お見せするわけにはいきません。デザインがなければホテルの空気感や価値を伝えられない。まさにデザインは命そのものです。
そのため、例えばパンフレットであればこの一冊一枚にホテルの哲学や価値、ブランドの全てを詰め込んで「わたくしたちは何者なのか」を見せることのできるものではなくてはならないのです。ここに展開している世界観は、私たちがお客様に「提供いたします」と約束したものなのです。
東京ステーションホテルは昨年、ラグジュアリーな独立系ホテルだけが加盟できる「スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド(SLH)」のメンバーに東京では初めて加盟。昨年スペインで開催されたSLH世界会議に参加して日本のデザインと世界の差にあらためて驚いたという藤崎氏。藤崎氏の目指すホテルのデザインは世界基準のその先にあり、その姿勢に背筋が伸びる思いがした。