《喝采》1973(昭和48)年、 紙本着色・額、 横浜美術館蔵(中島清之氏寄贈)

横浜美術館、 神奈川新聞社、 tvkは、横浜ゆかりの「変転の画家」・中島清之氏の回顧展「横浜発 おもしろい画家:中島清之―日本画の迷宮」を開催する。会期は11月3日~2016年1月11日(木曜、12月29日2016年1月2日休館)。開館時間は10:00~18:00(入館は17:30まで)。会場は横浜美術館。入館料は一般1,200円、 65歳以上1,100円、大学・高校生800円、中学生400円、小学生以下無料(すべて当日券の場合/前売り券あり)。

同展は、画家・中島清之氏の16年ぶり(横浜では22年ぶり)の回顧展。初公開作品や画稿、スケッチを含む約130点を展観し、青年期から最晩年に至る清之の画業をたどり、主題や技法への関心のありようとその変遷を探っていく。

また、 中島氏は一見すると同じ画家とは思われないほど、 常に新しい様式と手法に挑戦しつづけたことから、 「変転の画家」と評された。そのために「焦点が定まらない」といった厳しい批評を受けることもあったが、自由奔放で型にはまらない作品群は、 中島清之という作家像の焦点を絞り込もうとする鑑賞者を惑わせ、まるで「迷宮」に誘い込むかのような魅力を備えているという。

《おん祭 四、 馬長稚児》(七部作のうち)1942(昭和17)年、 紙本着色・額、 おぶせミュージアム・中島千波館蔵

なお、中島清之(なかじまきよし)[1899(明治32)年~1989(平成元)年]は、明治・大正・昭和の激動の時代に生きた画家。会社勤めをしながら休日は東京の松本(まつもと)楓(ふう)湖(こ)の画塾で伝統的な模写を学び、 早朝や深夜に制作に勤しみ、 25歳で日本美術院展覧会(院展)に初入選を果たす。以降4度、院展にて日本美術院賞を受賞。後に同人として活躍し、83歳で病に伏すまで、 生き生きとした作品世界を展開した。画家・片岡球子の師として、あるいは今日活躍する日本画家・中島千波(ちなみ)の父としても知られる。