6月下旬、岡山大学は「氷と水の区別がなくなる新たな臨界点が存在することを世界で初めて明らかにした」と発表した。カーボンナノチューブ内部に閉じ込められた水の挙動を分子シミュレーションで解析し、そこで得られたデータから氷と水の区別がなくなる「固液臨界点」が存在することを世界で初めて明らかにしたのだという。

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「氷と水の区別がなくなる」とはどういうことだろうか?当たり前だが、氷は固体で水は液体である。コップの水に氷を浮かべてみてもわかるように、その2つは通常混ざりあうことはないし、私達も簡単に見分けることができる。放っておけば氷はやがて溶けて無くなるが、それは氷が水になったのであって、固体と液体の区別が無くなったわけではない。水も氷も日常的に触れている分、その2つの区別がなくなることをイメージするのはなかなか難しい。

そこで今回、同研究の中心となった同大学大学院自然科学研究科(理)の望月建爾 特任助教と甲賀研一郎 教授のもとを訪ね、同研究成果について話を聞いてきた。

そもそも「臨界点」って何?

甲賀研一郎 教授

本題に入る前に、「臨界点」について確認しておこう。「臨界点」とは物質の「相転移」が起こる温度および圧力の範囲の限界のこと。「相」とは固体、液体、気体のように、物質の組成が一定である物理的状態を指す言葉で、温度や圧力の変化によって水が氷になったり、水蒸気になったりすることを相転移という。相転移が起こると、物質の密度が変化するが、相転移が発生しうる限界、つまり臨界点に達すると物質の密度が均一になり、相の区別がない「臨界状態」となる。

したがって、「氷と水の区別がなくなる固液臨界点」とは、氷と水の密度が均一になる温度や圧力で指定される状態、ということになる。「氷と水の区別が無くなった物質」は「超臨界流体」と呼ばれ、甲賀教授はこれを「氷が液体っぽくなってくる」と表現する。ただ、両氏によれば、これはコップの中の水だと絶対に起きない現象なのだという。

そもそもナノサイズの氷は我々が知っている氷とは別物

望月建爾 特任助教

同研究のポイントの1つは「カーボンナノチューブ内部に閉じ込められた水の挙動」を分子シミュレーションで調べたことだ。というのも、カーボンナノチューブの中に閉じ込めた水から変化した氷は、普段私達が知っている氷と構造が異なるのだ。つまり、カーボンナノチューブという超微小な空洞をもつ筒の中で作った、通常とは異なる構造を持ったナノサイズの氷でないと固液臨界点は現れないということになる。"なんだ、かなり特殊なケースじゃないか"と思うかもしれないが、そういうわけでもない。

カーボンナノチューブ内の氷が通常と異なる構造を持つというのは、甲賀教授らによる2001年から2008年までの研究成果だ。同研究グループはその研究で、カーボンナノチューブの直径サイズによって、通常とは異なる9種類の構造が生まれることを示した。そして、今回の研究では固液臨界点の存在を示すデータが、そのうちの6種類で得られたのだ。甲賀教授はこの結果について「直径を変えていけば、そのたびに臨界点が見つかることを示唆していて、ナノレベルでは固液臨界点は一般的なものだと考えられる」と説明する。

さらに、両氏は液体アルゴンというほかの液体を対象としたシミュレーションでも、固液臨界点の存在を示す結果を得ている。液体アルゴンは、単純な原子や分子(希ガス、メタン、窒素、酸素、ナトリウムなど)からなる液体の典型とされる。そのため、アルゴンで固液臨界点の存在が示されたことは、固液臨界点は物理学的に特殊な液体とされる水に特有のものではなく、より一般的な現象であることを示唆していることになる。

「固液臨界点」を認めない研究者も

実は、「固液臨界点」はこれまでその存在が否定されていた。ある有名な物理学者が1950年代に発表した物理学の教科書に「固体は規則正しい分子配列をもつ秩序だった構造をしている。これに対し液体と気体は無秩序である。物質の状態は秩序があるかないかのどちらかしかありえない」と記されていたのだ。つまり、無秩序グループである液体と気体の中間である「気液臨界点」があるのはわかるが、分子が秩序だっている固体と無秩序な液体の臨界点は存在するはずがないとしているわけだ(存在しないことが証明されているわけではないとしている教科書もある)。

今回の研究でも、得られたデータを見せても、「何かしらの臨界点」の存在は認めるものの、さまざまな理由からそれを「固液臨界点」としては認めない研究者がいたという。彼らは"そもそもナノレベルという1次元の系では結晶が存在しないのでは"とか、"1次元の系では相転移がない"と考えていて、「固液臨界点」そのものは自分がベースとする理論ではありえないものだとしているのだ。「哲学的論争に近いですが、臨界点はそれほど根本的に重要な問題なのです」(甲賀教授)

こうした論争は今回のシミュレーション結果が実験で再現されれば白黒がつく。2001年の研究成果は、その後首都大学東京の研究グループによって実際に実験で再現されており、今回も実験での再現が期待される。もし実際に確認されれば「確実に物理の教科書に載るレベルの発見」(甲賀教授)となる。果たして物理学の教科書は書き換わるのか、実験が実施される日を楽しみに待ちたい。

望月建爾 特任助教(左)と甲賀研一郎 教授